洞爺湖有珠山ジオパークのテーマは、「変動する大地との共生」です。
洞爺湖は約11万年前の巨大噴火によってできたカルデラ湖。有珠山は約2万年前に洞爺湖のそばに誕生し、現在でも20?30年に1度噴火を起こす火山。火山の活動域にもかかわらず人々が生活を営んでいるという世界でもまれな地域です。
過去、噴火のたびに周辺地域は甚大な被害を被ってきましたが、2000年の噴火では、国道やアパートといったまさに日常生活の場の真下から噴火したにも関わらず、噴火での人的被害をゼロに抑えることができました。これは、火山の調査研究が進み事前に噴火を予知できたことや、砂防施設の整備が進んだこともありますが、火山と共生する地域として、災害遺構を学習素材として多く保存・活用し、また洞爺湖有珠火山マイスターなど、住民が中心となった生きた防災教育が活発に行われていることが非常に大きいと言われています。
このような火山との共生をめざす取り組みは、2013年の世界ジオパークネットワーク(GGN)の再審査においても注目され、次世代に対する防災教育の世界的なモデルとして高く評価されました。
(洞爺湖有珠山ジオパークの概要については、「洞爺湖有珠山ジオパークの魅力」をご覧ください)
2000年噴火の直前、前兆現象である地震や地割れを観測、気象庁から「緊急火山情報」が発表となり、1万人を超える周囲の住民の事前避難が行われます。とうやこ幼稚園では入園式の準備をすませ、あとは新しい子どもたちを迎え入れるだけとなった3月31日、噴火が始まりました。噴火口は有珠山の西側(西山の西麓)に開き、噴火は地表の砕かれた岩を1km以上先まで吹き飛ばす勢い。火口から約700mにあった幼稚園には、噴石が雨のように降り注ぎ、園舎や遊具を破壊。園庭もその後の地殻変動で大きく傾斜し、噴火活動のすさまじさをうかがい知ることができます。
この「旧とうやこ幼稚園」は、経営者のご厚意から遺構として残され、2000年の火口群や噴火遺構をめぐる「西山山麓火口散策路」の中でも、重要な見学地点の一つです。しかし噴火から10年以上を経て、園庭には背丈を超える草や低木が茂り、かつての園庭の風景や、降り注いだ噴石はほんの一部しか確認できないようになっていました。園庭の中にある砂場や鉄棒、滑り台、ベンチなども、生い茂る植物に隠され、その存在も忘れられていました。
状況が変わったのは、2012年に行った住民散策会でのこと。ある参加者から「我々の手で草刈りをして、噴火直後の幼稚園の様子が分かるように維持してはどうか」という声が上がりました。そこで、住民に草刈り作業の協力を呼び掛けると、30名を超すボランティアが草刈り機や鋸を手にして集まってくれました。噴火当時の様子に詳しい岡田弘北海道大学名誉教授指導の下、園庭全域にわたる除草が実施されました。低木とはいえ12年かけて育った樹木達、作業は1日で終わらず、有志が翌日に再び集まり、ようやく園庭が見渡せる状態に戻すことができました。
こうして行われた園庭復元作業により「植生の回復を観察する一部の範囲」を除き、多くの噴石と、そのかたわらに落下時にできた穴(インパクト・クレーター)が現れました。変形した鉄棒やベンチからは、噴石の破壊力が見て取れます。とうやこ幼稚園は、火山活動の様子を知ることができる2000年噴火の直後の姿に戻り、生きた学びの場であることを取り戻すことができたのです!
現在でも「旧とうやこ幼稚園」の草刈作業は1年に2回行われ、大勢の住民ボランティアが汗を流して作業を行っています。
このような地域の人々の思いが、洞爺湖有珠山周辺がジオパークとして再認定され、高く評価を得たことに大きくつながっているのではないでしょうか。
記事・写真:
洞爺湖有珠山ジオパーク推進室協議会 洞爺湖有珠山火山マイスター 加賀谷にれ
一般財団法人 自然公園財団 昭和新山支部 主任 佐藤 元彦
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