大山には、絶景ポイントとして各種のポスターに掲載されている大山南壁を見ることのできる鍵掛峠があります。御机(みつくえ)集落にはかやぶき屋根の小屋があり、大山の南壁を背景に写真を写そうと多くのカメラマンが朝早くからシャッターチャンスを待っています。
また、この頃になると秋の味覚の大団円になります。ヤマブドウ、サルナシなどの木の実、ナラタケ、ヒラタケ、マイタケなどのきのこが、「お待たせしました」といわんばかりにあちこちでてきます。きのこの鍋は非常においしいのですが、もちろん一人で食べるのは厳禁。大人数でわいわい言いながら食べるものです。これはナラタケ、あれはマイタケなど箸で持ち上げながら、行儀悪く食べるのが“ツウ”というものです。そして最後にごはんととき卵を鍋にいれて食べますが、これはもうたまらんです! うまいです! やみつきになります!
そしておすすめなのが、「大山道」を歩いてみるというものです。大山の歴史はもちろん、大山と人との関わり方などを散策しながら体験できます。
かつて大山を修行の場として目指した山伏、大山を信仰する善男善女、そして牛馬市に参加する牛たちが歩いた道それが「大山道」です。今では改修されたり、自動車が通行するようになったりして、4本あった道【1】も、ほぼ昔のままに近い姿で残り歩くことができるのは2本だけになってしまいました。まさに、知る人ぞ知る散策コースであります。
今回は、その歩くことができる2本の「大山道」──すなわち、「横手道」と「川床道」──を紹介します。
最近「奥大山古道保存協議会」なるものが発足し、「横手道」の一部分を行政機関や地元の人たちの協力により復活させて、300人規模での散策を試みています。もちろん当財団も共催し、積極的に関わっています。歴史に詳しいガイドが「大山道」の意義やまつわる話等説明し、地元の人たちは小さい頃の「大山詣」の様子、朝早くから大人たちに連れられて走るように歩いたこと、大山寺に着くと詣でた証に飴【2】を買って帰ること、などを体験談として語ります。
昼ともなれば、地元の人たちお手製の「だんご汁」を賞味できます。昔、後醍醐天皇が隠岐に流される途中、ちょうど正月の時期にこの地を通過されたものの、貧しかった地元の人たちが天皇に雑煮を差し上げることができず、やむなく「だんご汁」を代わりに差し上げたという逸話が言い伝えられています。この地では、今でも正月三が日は雑煮を食べないという風習が残っています。
もう一つの「川床道」は、ほとんど手が加えられていなく、昔のままの面影を色濃く残しています。途中には別所村(現大山町)の庄屋小村定右衛門が私財を投じて造った石畳が残っています。牛馬市へつれていく牛馬が、ぬかるんだ道を歩くのに難儀をしていたのを見かねて造ったといわれています。
この牛馬市は日本三大牛馬市の一つに数えられるくらい大規模なもので、多い時は年に一万頭もの売買があったといわれています。昭和12年、鉄道の普及により廃止となりました。
またこの道の名称となった川床には、かつて木地師の集落があったそうですが、いまは大山寺集落でその名も「川床屋」として旅館業を営んでいる人もいます。
川床から一向平まで9kmもあり、往復はとても無理なことから、多くの人はほぼ中間点あたりにある大休峠まで、ほぼ平坦な道を往復して楽しんでいます。この大休峠には避難小屋があり、この小屋を起点として、野田ヶ山からユートピアコース、また、矢筈ヶ山から船上山コースに行くことができます。
見るだけでなく、食べるだけでなく、歩きながらすべてを満喫してしまう。そんな大山へぜひおいでください。お好きなコースを案内いたします。
(鳥取支部大山事業地・自然ふれあい事業担当 上橋敬)
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