近年、教育施設が子どもの減少を理由に閉校を余儀なくされています。
平成の大合併が始まるまで、学校統合による閉校や廃校は地方自治体における「パンドラの箱」でした。自治体トップが学校を減らすと一言でも漏らしただけで、次の選挙で落選したからです。
ところが平成の合併が進展したことで、小学校区の地域コミュニティのアイデンティティや社会的つながりが希薄となり、学校統合に対する忌避感が薄まりました。
地域と学校の関係は「おらが学校」から、教育の問題もあって学習塾のごとく変化していったこともあり、行政トップが閉校宣言しても体制に影響がなくなったのです。
その結果、文部科学省によれば2002年度から2020年度に発生した廃校の延べ数が8,580校になり、近い将来、1万校に達する見込みです。
学校に通う子どもがおらず廃校状態でありながら、補助金返還ができないなどの問題から廃校にできずに「休校」としている隠れ廃校も数多く存在しており、統廃合や施設の除却さえ自治体財政を脅かす大きな課題となっているのです。
公立学校で特に小学校区の統廃合は、地域社会を立ち直れないほど破壊する可能性があります。
既に廃校となった地域を回ると、残念ながらコミュニティに活力が見られないと気づきました。
コミュニティが弱体化したことが先か、それとも廃校になりコミュニティが弱体化したかは不明ですが、少子化による下振れリスクが顕著に出ているのは間違いないところです。
このリスクを放置することは、学校区の衰退を助長してしまいます。
ただ子どもが減って、教育的観点や財政効率化から見て統廃合すると考えるのは、少々短絡的です。
山村では子どもが高校へ通う年代になると街に出て行き、空き屋と遊休農地が増加しています。親も子どもたちが暮らすことには否定的で、未来の地域に対する意欲を失いつつある状況を鑑みたとき、行政は上記の理由だけで閉校を決定してよいものでしょうか。
各地で移住促進を頑張っても、地域コミュニティに活力がなければ、若者は住めないし、住みたくない地域となってしまいます。
ここは統廃合を結論とする前に、学校区内の様々な価値やアイデンティティを拾い出し、どのような地域とするのか、住民と共にその目的を確認することが大切です。
柳田國男翁は「昔の良いことの消失は仕方ない。しかし消失したという意識は必要である。次に、それは消えて良いものか、消えて悪いものなら、その代わりはできているか」と、大石伍一に語りました。
いま柳田翁に問われれば、答えは「否」です。地域が失われたら元に戻らないし、代わりはありません。
柳田翁は「昔の良いことの消失は仕方ない」と言いますが、消えて良いことは因習だけです。
学校は地域の誇りであり、誇りが消失することは地域そのものを失うからです。
小規模校でも廃校とせずに頑張っている自治体はいくつもあります。
学校を多機能な拠点として活用したり、地域の子育て世代と高齢者との交流の場にする、またボランティアや企業の協力を得て学校の運営を支えるなど、地域にとって貴重な拠点として存続させるために、地域住民の協力や創意工夫による取り組みが求められます。
廃校となった施設も、放置して廃墟にしてはいけません。いま起こりつつある事態の重大性を理解し、それに対して適切な対策を行えるかどうかが、地域の未来を左右するからです。
そのためにはバーンアウトした住民に新たな燃料を投入することが大切となります。
学校区の住民意識を変えるためには、ミーティングやワークショップだけでなく、さまざまなアプローチを組み合わせることが重要となります。
廃校活用を自分事として考えられる方向に導かないといけません。その際には、特に地域リーダーや地域の有志が、廃校活用に対するリーダーシップを発揮することが重要です。地域住民に対して廃校活用の意義を情熱的に訴え、活動参加を呼びかけることで、住民が自分事として捉えるきっかけを与えることです。
とは言っても地域リーダー不在も顕著となっており、完全にコントロールすることは難しいと思います。そうした学校区ではぜひ外部アドバイザーの活用を検討してみてください。
長年、廃校活用の調査・指導から、廃校を有効に活用することの重要性やメリットを啓発する活動を行っている都市農山漁村交流活性化機構に相談すると良いでしょう。
廃校となった教育施設の再利用は、地域コミュニティにとって貴重な資産です。地域をリデザインし、再生する足がかりを創るローカルな「イノベーションコモンズ(共創拠点)」として廃校活用がいまこそ重要です。
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