メインコンテンツ ここから

「地域の健康診断」バックナンバー

0232016.09.27UP北海道最古のリンゴ「緋の衣」

竹鶴政孝とリンゴ

 昭和9年、北海道の余市で竹鶴政孝が大日本果汁(株)を設立し、ウヰスキーの製造を始めました。これはNHKの朝ドラ「まっさん」をご覧になっていた方はご存知かと思います。この時、ウヰスキーを仕込み寝かせる数年間の会社維持のための収入として、リンゴジュースの製造販売をしました(ただし、相当に苦戦したそうです)。つまり当時、余市でリンゴの栽培がされていなければ、ウヰスキー製造の夢も遠のいていたことでしょう。
 「余市町郷土史」によれば、栽培されていたリンゴは、明治5年、米国から輸入した苗を東京の官園で育成し、明治8年に札幌ほか道内各地に苗木が無償配布されました。

余市のリンゴ『緋の衣』

 慶応4(1868)年、会津藩は新政府軍の総攻撃により降伏しました。そして逆賊とされた会津藩士と家族1万7千人は、故郷を追われ酷寒で不毛の地であった青森県むつ市(斗南)に移住させられますが、それとは別に会津藩士に北海道の開墾を命じられ入植したのが北海道の山田村(現在の余市市)でした。
 その余市に500本配布されたリンゴは、ミシガン州原産のKing of Tompkins County(19号)という種類でしたが、農業としての可能性を見いだせなかったこともあり、苗木をほとんどの苗を枯らす中で、明治12年、旧会津藩士の庭に植えていたリンゴが国内で最初に実り、同時期に49号(国光)も結実。これが余市リンゴの始まりと言われています。
 19号は食してみると非常に美味しかったため、これを特産品にしたいと研究し、さらに肥料など改良を加えた結果、会津のリンゴ侍が作るリンゴは旨いと評判を取り、いつしかその評判を伝え聞いた道内の商人も買い付けにくるようになりました。
 19号と番号が振られたリンゴが『緋の衣』という名称に統一されたのは明治29年の帝国苹果(ひょうか)名称選定会でした。
 名前の由来は孝明天皇が会津藩主松平容保に下賜した衣の色が「緋色」だったとの説が有力です。その後、40年間に渡り天皇家に献上したそうです。
 明治30年代には東京やロシアまで販路を拡大、高値で販売される商品力で余市でも大規模栽培のリンゴ農家が増加するなど『緋の衣』は「水リンゴ」と呼ばれ、最高級のリンゴとしてピークを迎え日本の大品種リンゴに成長しました。

福島県で復活「会津藩士のりんご」

 昭和20年代まで余市のリンゴの代表格であった『緋の衣』も、改良されていく他品種に押され、徐々に姿を消していきます。そうした中で、猪苗代出身の吉田清亥さんが園主だった吉田農園で、腐爛病に罹患したり雷で割かれたりしても、まだ大切に守り続けられていたのが、北海道最古の『緋の衣』でした。
 現在、温泉なども経営する吉田観光農園の『緋の衣』の樹の前で、代表の吉田初美(83)さんに、福島県の会津から余市に開拓で入った時代から初美さん自身の生い立ちをたっぷり伺ったのが、前述した話です。
 昭和59年、このリンゴが旧会津藩士の作りあげたものと知った当時の福島県知事松平勇雄氏(松平容保の孫)が来道し、余市町で記念植樹を行い、余市の人々や旧会津藩士の子孫たちに「藩主、容保のかわりに孫の私が皆様に会いに来ました。皆様の祖先は容保の命を助けるべく、北海道に渡ってくださいました。今日、私の命があるのも、皆様の祖先が自分の命を差し出して守ってくださったからです」と感謝の言葉を述べました。そして平成12年、そのことを知った会津若松・会津坂下のりんご生産者が「会津平成りんご研究会」を結成し、平成12年に「藩士ゆかりのりんごを会津でも」と農園から枝を譲り受け、復活に取り組みました。吉田初美さんも会津若松市に苗を寄贈、会津で復活した『緋の衣』は再び、吉田農園の土に帰り、現在、すくすくと育っています。

吉田初美さんと『緋の衣』
吉田初美さんと『緋の衣』

吉田観光農園の『緋の衣』の樹
吉田観光農園の『緋の衣』の樹


北海道名産『緋衣』のラベル
北海道名産『緋衣』のラベル

吉田さんとの語らい
吉田さんとの語らい


このレポートは役に立ちましたか?→

役に立った

役に立った:7

地域の健康診断

「地域の健康診断」トップページ

エコレポ「地域の健康診断」へリンクの際はぜひこちらのバナーをご利用ください。

リンクURL:
http://econavi.eic.or.jp/ecorepo/together/series/29

バックナンバー

  1. 001「地域を元気にする=観光地化ではない」
  2. 002「地域を元気にする=一村一品開発すればいいわけではない」
  3. 003「地域を元気にする=自ら考え行動する」
  4. 004「縦割りに横串を差す」
  5. 005「集落の元気を生産する「萩の会」」
  6. 006「小学生が地域を育んだ」 -広島県庄原市比和町三河内地区-
  7. 007「山古志に帰ろう!」
  8. 008「暮らしと産業から思考する軍艦島」
  9. 009「休校・廃校を活用する(1)」
  10. 010「休校・廃校を活用する(2)」
  11. 011「アートで地域を元気にする」
  12. 012「3.11被災地のまちではじまった協働の復興プロジェクト」
  13. 013「上勝町と馬路村を足して2で割った古座川町」
  14. 014「儲かる農業に変えることは大切だが、儲けのために農家が犠牲になるのは本末転倒」
  15. 015「持続する過疎山村」
  16. 016「したたかに生きる漁村」
  17. 017「飯田城下に地域人力車が走る」 -リニア沿線の人力車ネットワークをめざして-
  18. 018「コミュニティカフェの重要性」
  19. 019「伝統野菜の復興で地域づくり」 -プロジェクト粟の挑戦-
  20. 020「地元学から地域経営へ 浜田市弥栄町の農村経営」
  21. 021「持続する『ふるさと』をめざした地域の創出に向けて」
  22. 022「伊勢木綿は産業として残す」
  23. 023「北海道最古のリンゴ「緋の衣」」
  24. 024「風土(フード)ツーリズム」
  25. 025「ゆきわり草ヒストリー」
  26. 026「活かして守ろう 日本の伝統技術」
  27. 027「若い世代の帰島や移住が進む南北約160kmの長い村」 -東シナ海に浮かぶ吐喝喇(トカラ)列島(鹿児島県鹿児島郡十島村)-
  28. 028「徹底した子どもへの教育・子育て支援で過疎化の危機的状況を回避(高知県土佐町)」
  29. 029「農泊を再考する」
  30. 030「真鯛養殖日本一の愛媛県の中核を担う、宇和島の鯛(愛媛県宇和島市遊子水荷浦)」
  31. 031「一人の覚悟で村が変わる」 -京都府唯一の村、南山城村-
  32. 032「遊休資産が素敵に生まれ変わる」
  33. 033「福祉分野が雇用と関連ビジネスの宝庫になる」 -飯田市千代地区の自治会による保育園運営の取組-
  34. 034「日本のアマルフィの石垣景観を守る取り組み」 -愛媛県伊予町-
  35. 035「アニメ・ツーリズム」
  36. 036「おいしい田舎「のどか牧場」」
  37. 037「インバウンドの苦悩」
  38. 038「コロナ禍後の未来(1)」
  39. 039「コロナ禍後の未来(2)」
  40. 040「MaaSがもたらす未来」
  41. 041「二人の未来は続いてゆく」 -今治市大三島-
  42. 042「ワーケーションは地域を救えるか」
  43. 043「アフター・コロナの処方箋は地域のダイエット」
  44. 044「ヒトを呼ぶパワー(前編)」
  45. 045「ヒトを呼ぶパワー(後編)」
  46. 046「地域の価値創造」 -サスティナブル・ツーリズム-
  47. 047「廃校活用の未来」
  48. 048「小田原なりわいツーリズム」
  49. 049「地産地消エネルギーで地域自立する」
  50. 050「地域丸ごと地球の学び舎」
  51. 051「廃校活用の可能性と持続可能な社会への貢献(1)」
  52. 052「廃校活用の可能性と持続可能な社会への貢献(2)」
  53. 053「夢にチャレンジできるまち、実現できるまち」
  54. 054「新たな福祉コミュニティ」
  55. 055「「食料・農業・農村基本法」の改正は食料安全保障の強化!?」

前のページへ戻る