瀬戸内海の中央に位置する大三島(おおみしま)は面積65.63km2で、古くは海上交通の中心でした。広島県と愛媛県を繋ぐ「しまなみ海道」が開通し、美しい橋梁の織り成す景観を自転車で探訪できるようになり人気を集めています。
また2600年以上の歴史を持つ大山祇(おおやまづみ)神社には多くの国宝、重要文化財があり、多くの善男善女が訪れています。近くにもパワースポットになりそうな不思議な木があり、まだまだ潜在資源が山ほどありそうで「神の島」と呼ばれることに納得するばかりです。
今治市役所の大三島支所に電話すると、保留音で「島から島へと二人の未来は続いてゆく♪」流れます。爽やか歌声なので尋ねるとトワエモアの「あの橋を渡って」と教えてくれました。
通常、高速道路が開通すると「ストロー現象」が起き、若者がふるさとを離れて都市部へ移住するのですが、「しまなみ海道」の影響は逆に、転入を促進する他地域とは逆の現象が発生しています。
2018年12月に私は友人(ずいぶん年下だけど)の鍋島悠弥さんが開業したゲストハウス「さかりば」にお邪魔しました。大学院在籍中に農村観光に関わる中で、「もっと地域に溶け込んで、地域づくりがやりたい」と思い始め、卒業と同時に地域おこし協力隊として大三島へ移住しました。
島民を助けたいとの一方通行の思いは、人間関係が皆無であり、スタートから躓きます。意思疎通ができない中、やりたいことは島民との軋轢を生むばかりで空回りの連続でした。地域住民も「協力隊」という妙な存在に、どう扱えば良いのか困っていたのです。
これは他県に入った隊員がしばしば陥ることで「任期途中で夢破れ」の最大要因です。
そこで鍋島さんは自分のやりたいことを封印し、島暮らしを最優先に活動していると、ようやく島民から地域の困り事を相談されるようなりました。
島民に寄り添いながら信頼関係を築いていった鍋島さん。任期満了の頃になると協力隊の3年間を「人間的に成長させてくれた」と思えるようになりました。
自分の存在意義は「ここに住んでいること」と気づかされた若き隊員は、協力隊の任務を終えたが、最北端にある盛という集落に居を構え、園地を借りて安全な無農薬レモン栽培を始めました。それは「島民と同じ土俵で話がしたい」との考えからでした。
どうせやるなら体験型にしよう、そうすると宿泊施設も必要だと、地道に自前でリノベーションし、ゲストハウス「さかりば」を開業するに至ったのです。盛集落内でも信頼を得る中で、自治会の使丁(こづかい)という役を任され、さらに他地域の地域づくりコンサルティング、愛媛県への移住支援を行う「えひめ暮らしネットワーク」の副代表とマルチな活動で活躍しています。順風満帆なスタートでしたが、本格営業開始年の西日本豪雨災害に、今年はコロナ禍と苦難の連続ですが、培ったネットワーク仲間や周りの人に支えられ頑張っています。
大三島に入った地域おこし協力隊の卒業生11名は全員が定住し、起業しています。カフェや自家焙煎珈琲、ラーメン店、ゲストハウス経営、イノシシ革のクラフト、農業経営、パン屋と多彩な仕事づくりで島の活性化に寄与しています。
さらに協力隊以外の移住者も多く、地ビール工房、カフェ、ブドウ栽培から醸造まで行うワイナリー、農業などこちらも様々な仕事を創り頑張っており、その刺激を受けた地元の若者も、本業の傍らでシェハウスの経営、農家レストランの開業などに取り組むなど、移住者の増加が、良い方向に作用し共鳴しだしたようで、人の循環がどれほど重要かということを実証しました。
イカ釣船のような強烈な光を出す光源が無くても、住民全員が蛍のように光り出すことが理想だと思える好事例でしょう。
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