伊方町は、宇和海と瀬戸内海に挟まれた日本で一番細長い佐田岬半島に位置します。半島の背骨を貫く国道197号は、メロディーラインと呼ばれ、車の走行振動で「みかんの花咲く丘」などを奏でます。三方を海で囲まれ半島の両側に急速に海に落ち込む地形で、朝は瀬戸内海から宇和海へ霧が流れ、夕方は逆から雲が半島を越える姿を見ることができ、天気が良ければ本州や九州を望むことはできます。
青色発光ダイオードを開発した中村修二氏が生まれた町は、2005年に伊方町、瀬戸町、三崎町の三町合併があり、人口1万人を超えていましたが、現在は4,587世帯人口9262人で65歳以上4,279人と少子高齢化が進んでいます。
主な産業は柑橘類栽培の農業とシラス漁をはじめ岬アジや岬サバ、伊勢エビほか多種多様な魚介を水揚げする漁業です。
昔は冬期に担ぎ売りの行商や伊方杜氏として酒造りの出稼ぎを生業としていましたが、現在は四国管内の電力の約4割以上を供給する伊方原発が、町の雇用や原発作業員の宿泊、消費で町の消費を支えており、昨年10月に再稼働を容認した町も税収が原子力発電所から生じる恩典を受け、潤沢な町財政となっているため、他県の立地自治体と同様で表だって原発反対を言いません。
一方で、地元唯一の三崎高校の分校化と言った話題も出るなど、少子高齢化が顕著であり、原発に依存する自治体の将来の不安が見え隠れしています。
ほぼ傾斜地は、海洋性気候も相まって98%が柑橘畑です。海から吹き上げる潮風のお陰で柑橘が甘くなると言われ、温州みかんを始め伊予柑、清見タンゴールなど柑橘類を栽培しています。しかしその潮風が強く栽培の影響を受けやすいため、防風石垣と防風垣で畑をグルリと囲っており余所では見たことの無い景観が拡がっています。この景色を数年前に初めて見たとき「世界農業遺産」並みだと感じたことを覚えています。防風垣は主に杉や槇の木ですが、果樹木より手入れが大変で、農家の方の苦労は計り知れません。半島で一番高い標高413.6mの伽藍山の頂上にある展望台に登りましたが、ロケーションは良いのですが、風が強く柑橘栽培で風よけは不可欠と感じました。
旧三崎町名取集落は、家々が宇和海側の斜面中腹に張り付いて並び、イタリアの町を連想させるところから、“日本のアマルフィ”と呼ばれています。
集落の家々は石垣を組んだ上に建てられています。その石垣は青や緑、茶、白など色とりどりの石が平積みか矢羽根積み工法で積まれており、類を見ない風景が広がります。歴史ある石垣で、かつては「エバサン」と呼ばれる専門の石工職人が組んでおり、崩れることなく今の姿を留めていましたが、「エバサン」が居なくなると経年劣化は止めようがなく、毎年の風雨で石垣が崩れ、現在は集落の人たちで補修をしています。石工の技術がどれほど大切であったかを物語るものでしょう。
今回は名取にUターンし、柑橘栽培をしながら地域活動をしている宮部元治さんにご案内いただき、集落内の坂を徒歩で上り下りしながら、石垣を見て歩きました。
故郷に帰った宮部さんは、子どもの時には普通と思っていた歴史ある石垣の大切さに気づき、ワークショップを開催したり訪問客を案内したりしていたところ、「もっとみかん栽培に力を注げ」と先輩から言われました。それでも徐々に取組に賛同する住民が増え、今では石垣が集落の大切な宝と認識が拡がり、多くの仲間と石垣の保全管理ができるようになりました。
宮部さんは「佐田岬半島の自然や文化・歴史を後世にいかに繋げて行くのかを考え、自分が出来ることをやるだけ」と、その魅力を感じるようなフットパスコースを整備しマップ化する「佐田岬フットパス構想」を進めながら、それを対外的に発信することを地域活動の一環として行いつつ、宮城県名取市と名取集落との相互交流事業を行っています。
国内でも稀な景観を守るため、集落の人たちや外部の人たちを巻き込み我がふるさとを育む活動は、一人でもできる本物のSDGsではないでしょうか。
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