財団法人伝統工芸品産業振興協会の調査によると、1979年の28万8千人いた伝統工芸職人が2012年では6万9千人、生産額もピーク時の5,400億円から1,040億円まで落ち込んでいます。しかしこれは直接的な数値で、その伝統工芸に関連する業態も同時に衰退していることがわかってきました。
「日本」の英語表記は「Japan」ですが、「漆」の技術やそれを使った「漆器」も日本を代表する伝統技術として「Japan」と呼ばれることがあると、デービット・アトキンス小西美術工藝社長は語っています。ところが、その漆の国内の年間使用量は50トンあるのに対して、国産はわずか1トンしかありません。
行政などの公的機関は、そのモノに焦点を当て、周辺の関連業種に目を向けていないことが問題です。公的補助金は「消え行く文化を保護する」対象として見ているだけで、残すべき産業として何とかしようと言う視点が希薄なのです。
例えば「漆」では、最後の仕上げをする塗師だけを育成しても本物になりません。漆器であれば「ろくろ」の技術者、漆かきの技術、特殊な漆かきの道具を作る「野鍛冶」の存在が大切です。
ダルマも生産に不可欠な国産の「本ニカワ」がなく、長期間は保たない中国産を使用せざるを得なくなってきています。和傘に使用する「柿渋」も同様です。
繊維業界も原材料生産が外国か、安く上がる化学製品に取って代わられただけでなく、ほとんどが伝統工芸品として展示され、産業として成り立たなくなっています。
かつては絹と同様に大産業であった「木綿」も、本染め職人の不足や染めの材料が科学品で良い色が出ない、織機の部品が無いなど周辺産業の廃業による問題が出ています。
絶滅寸前のこれら日本の伝統技術が結集されている重要文化財の神社仏閣の修復にも影を落としているのは言うまでもありません。日本の伝統技術を守るために一つの業態を支援すれば解決するという短絡的な考えでは振興どころか守ることさえできず、様々な形で人が介在してきた「本物」は、その価値より経済に負けて衰退の一途を辿っています。
訪日外国人が日本らしさを感じる日本の茶道ですが、その道具の未来はどうなるでしょうか。
茶筌は茶道において絶対必要な道具の一つですが、元々「わび茶」の創始者である村田珠光が、茶道にふさわしい“茶を撹拌する道具”を奈良の鷹山宗砌(たかやま そうせつ)に依頼してできあがったものです。わび茶はその後、千利休でほぼ完成されますが、宗砌も日夜研鑽して作り上げた茶筅を「鷹の風切羽のしなやかさを竹に写してみました」と後土御門天皇に説明したところ「高穂」という銘を賜り、鷹山家の秘伝とします。こうして高穂茶筅は有名になり、時の領主が高穂に因んで鷹山を高山と改めました。その高山氏が絶えた後も16名の家臣が一子相伝で伝え、現在に至っています。
全国の茶筌の9割を生産している「高山茶筌」。一般的には「筅」の文字を使用しますが、高山茶筌は「筌」を使用します。筅とは「ささら」のことで、昔は釜や鍋を洗う道具だったため、茶を点てる道具として区別したそうです。
500年の歴史を刻む奈良県生駒市高山の「高山茶筌」は国指定伝統的工芸品ですが、一方で歴史の重みが脆弱性の要因となっています。いわゆる工業製品と違い、職人個々の技術で支えられた手仕事であることや伝統を守るためにイノベーションが起きづらいことです。
近年、茶道人口の減少や100円ショップなどで安価な輸入物が売られることで、1970年の生産より半分に落ち込み、かつては50軒あった工房も激減しました。高山茶筌生産協同組合に所属する製造業者は、18になっています。職人の半分を60代・70代が占め、若手は30代が1名のみといった状況で、担い手不足の暗雲が立ち込めています。
全国の自治体のキャッチフレーズの文言に、「歴史、文化、自然、暮らし」があります。狭い日本ですからどこも同じフレーズになるのは仕方ありませんが、この金太郎飴のような謳い文句に疑問を抱いた方もいらっしゃるでしょう。大切だから残そうだけでは担い手はできません。時代の変遷や技術革新により、かつては必要だったモノも現代では見向きもされなくなるケースを各地で見聞してきました。
ユネスコに登録された祭りの山車も様々な伝統技術の上に成り立っています。グローバル化が叫ばれ、需給の経済活動から片隅に追いやられた伝統技術は、トキのように保護すれば良いわけではなく、文化という一面だけで測るものではないと思います。
内容が長すぎてあんまり分かりませんでした。
(2022.05.29)
日本で生まれたものを調べた時とても役にたちました。(学校の調べ学習)
(2019.05.25)
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