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「地域の健康診断」バックナンバー

0082013.02.05UP暮らしと産業から思考する軍艦島

軍艦島とは

軍艦を思わせる端島
軍艦を思わせる端島

 「軍艦島」は島の外観が軍艦と似ていることから付けられた通称で、唐津市、広島県上島町、石川県珠洲市など各地にあります。なかでも有名なのは、長崎港から南西の海上約17.5kmに浮かぶ「端島」です。大正5年に大阪朝日新聞が「軍艦と見間違える」と報道し、さらに長崎日日新聞が戦艦土佐【1】に似ていると報道したことで、「軍艦島」と呼ばれるようになりました。島の周囲約1,200mがすべてコンクリート護岸に覆われた面積6.3haの島です。人工の建物群に埋め尽くされ、そのほとんどが廃墟と化しています。最近では浅見光彦シリーズ『棄霊島』や007シリーズ「スカイフォール」のロケ地になっています。

軍艦島の成り立ち

日本初の高層アパートの今
日本初の高層アパートの今

 三菱財閥2代目総帥の岩崎弥之助が、社名を「郵便汽船三菱会社」から「三菱社」と改め、『海から陸へ』を合い言葉に海運業から炭坑・鉱山、銀行、造船、地所という現在の三菱グループの基礎となる事業へ方向転換を図るための一大事業として位置づけた「端島炭坑」が、軍艦島の発端でした。
 最盛期を迎えた昭和35年には人口5,267人で、83,600 人/km2と世界一の人口密度を誇りました。実に東京都特別区の9倍以上の人口集中です。この頃の島には住宅、小中学校、店舗、病院、寺院のほか、映画館やパチンコ屋、スナック、遊郭などの娯楽施設も完成し、ほぼ完結した都市機能がありました。日本初の高層アパート内部は3mの廊下が中央を走り、各部屋は鍵もトイレも風呂もなく(ただし後期に造られたものにはトイレがあった)、6畳2部屋程度のところに6?7人が生活していました。高層であったものの、アパートからアパートへの移動は地上に降りなくても途中階で繋がっており、コミュニティができていました。
 端島炭鉱は隣接する高島炭鉱とともに良質な強粘炭が採れたため、昭和16年の最盛期には約41万トンの出炭があり日本の近代化を支えてきましたが、石炭から石油へのエネルギー革命により昭和49年1月15日に閉山。約2,000人いた住民は閉山からわずか3ヶ月の4月20日までに、ふるさとを捨てる運命を辿りました。

産業遺産観光の幕開け

 長崎市に所有が移転されたのちも建物の老朽化で危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されていました。平成17年8月、報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子が各メディアで紹介されました。平成20年には、「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」が成立。平成21年4月から、島の南部に整備された見学通路に限って観光客が上陸・見学できるようになりました。
 上陸には風や波などの安全基準を満たしていることが条件で、上陸日数を年間100日程度と長崎市は見込んでいましたが、1年間で約59,000人が上陸しました。
 元住民で軍艦島ガイドの坂本道徳氏が理事長を務める「軍艦島を世界遺産にする会」の熱心な活動が実り、平成21年1月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されました。
 「炭鉱が閉山してから25年後に島を訪れた。島には自分の家がそのまま残り、高校時代に使っていた教科書や文房具があった。学校も周囲の住宅もそのままでタイムカプセルのようだった。その後も何度か島を訪れるうちに愛着が増し何とか残したいと考えた。炭鉱がどういうものなのかを知らない若者も増えている。100年、200年後に島が残っているかどうかわからないが、だからこそ島の歴史を伝えなければならない」と坂本氏は話してくれました。

日本のエネルギー、そして未来

誰も見ることのないテレビが鎮座
誰も見ることのないテレビが鎮座

 現在、原発問題で揺れている日本のエネルギー。軍艦島は日本の産業・エネルギー政策によって成立し、そして捨てられた島です。そして今、原子力政策と経済の狭間で翻弄される地域、放射能漏れ事故でふるさとを追いやられた方々の気持ちは、軍艦島を去らなければならなかった方々の気持ちと重なる部分が感じられます。東京よりも高い人口密度で人々が押し合いへし合い暮らしていた島。その廃墟には、確かに暮らしが存在したことを語る物言わぬ落書きやランドセルが残されています。朽ち果てた居間で誰も見ることのないブラウン管テレビに何とも言えない気持ちになります。現在、原子力発電所に依存している町や村の未来を垣間見た瞬間でもありました。
 無人の端島は、かつてひとときの安らぎを得ようと本土から持ち帰った植物たちが、帰らぬ住民を待ち続けているかのように繁茂していました。

注釈

【1】戦艦土佐
 戦艦土佐は、日本海軍が戦艦8隻および巡洋戦艦8隻を保有するという「八八艦隊」計画の中で三菱長崎に発注され、大正10年12月に進水しましたが、ワシントン軍縮会議で廃艦が決定されて演習の標的艦となり、一度も出撃することなく海に沈みました。

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バックナンバー

  1. 001「地域を元気にする=観光地化ではない」
  2. 002「地域を元気にする=一村一品開発すればいいわけではない」
  3. 003「地域を元気にする=自ら考え行動する」
  4. 004「縦割りに横串を差す」
  5. 005「集落の元気を生産する「萩の会」」
  6. 006「小学生が地域を育んだ」 -広島県庄原市比和町三河内地区-
  7. 007「山古志に帰ろう!」
  8. 008「暮らしと産業から思考する軍艦島」
  9. 009「休校・廃校を活用する(1)」
  10. 010「休校・廃校を活用する(2)」
  11. 011「アートで地域を元気にする」
  12. 012「3.11被災地のまちではじまった協働の復興プロジェクト」
  13. 013「上勝町と馬路村を足して2で割った古座川町」
  14. 014「儲かる農業に変えることは大切だが、儲けのために農家が犠牲になるのは本末転倒」
  15. 015「持続する過疎山村」
  16. 016「したたかに生きる漁村」
  17. 017「飯田城下に地域人力車が走る」 -リニア沿線の人力車ネットワークをめざして-
  18. 018「コミュニティカフェの重要性」
  19. 019「伝統野菜の復興で地域づくり」 -プロジェクト粟の挑戦-
  20. 020「地元学から地域経営へ 浜田市弥栄町の農村経営」
  21. 021「持続する『ふるさと』をめざした地域の創出に向けて」
  22. 022「伊勢木綿は産業として残す」
  23. 023「北海道最古のリンゴ「緋の衣」」
  24. 024「風土(フード)ツーリズム」
  25. 025「ゆきわり草ヒストリー」
  26. 026「活かして守ろう 日本の伝統技術」
  27. 027「若い世代の帰島や移住が進む南北約160kmの長い村」 -東シナ海に浮かぶ吐喝喇(トカラ)列島(鹿児島県鹿児島郡十島村)-
  28. 028「徹底した子どもへの教育・子育て支援で過疎化の危機的状況を回避(高知県土佐町)」
  29. 029「農泊を再考する」
  30. 030「真鯛養殖日本一の愛媛県の中核を担う、宇和島の鯛(愛媛県宇和島市遊子水荷浦)」
  31. 031「一人の覚悟で村が変わる」 -京都府唯一の村、南山城村-
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  33. 033「福祉分野が雇用と関連ビジネスの宝庫になる」 -飯田市千代地区の自治会による保育園運営の取組-
  34. 034「日本のアマルフィの石垣景観を守る取り組み」 -愛媛県伊予町-
  35. 035「アニメ・ツーリズム」
  36. 036「おいしい田舎「のどか牧場」」
  37. 037「インバウンドの苦悩」
  38. 038「コロナ禍後の未来(1)」
  39. 039「コロナ禍後の未来(2)」
  40. 040「MaaSがもたらす未来」
  41. 041「二人の未来は続いてゆく」 -今治市大三島-
  42. 042「ワーケーションは地域を救えるか」
  43. 043「アフター・コロナの処方箋は地域のダイエット」
  44. 044「ヒトを呼ぶパワー(前編)」
  45. 045「ヒトを呼ぶパワー(後編)」
  46. 046「地域の価値創造」 -サスティナブル・ツーリズム-
  47. 047「廃校活用の未来」
  48. 048「小田原なりわいツーリズム」
  49. 049「地産地消エネルギーで地域自立する」
  50. 050「地域丸ごと地球の学び舎」
  51. 051「廃校活用の可能性と持続可能な社会への貢献(1)」
  52. 052「廃校活用の可能性と持続可能な社会への貢献(2)」
  53. 053「夢にチャレンジできるまち、実現できるまち」
  54. 054「新たな福祉コミュニティ」

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