浜田市・太田市とあわせて石見三田と呼ばれる島根県益田市は、県内で最も広い面積を有する西部の中心都市です。「万葉集」の代表的歌人・柿本人麿の生誕終焉の地、水墨画家で禅僧の雪舟終焉の地といわれ、2つの柿本神社や雪舟の墓所、雪舟の手がけた庭園があります。
平成16年に益田市へ編入合併した匹見町は、JR益田駅から40分ほど車で移動した山間地にあります。さまざまな滝やシャクナゲの群生、珍しい渓流魚や鳥が見られる西中国山地国定公園の「匹見峡」が有名です。
面積の9割が山林で、かつて7550人が暮らしていましたが、昭和38年の記録的豪雪を契機に「
過疎化は進んでいたものの、匹見町は昔から特産品開発の得意な町で、わさび漬けからメロン、ヤマメ、栃餅、ゆべし、自然薯、せんべい、餅など50品目の特産品を全国に宅配していました。
ところが小泉内閣時代に、住民にとっては事件ともいうべき郵政民営化が行われ、地元産品を手がけてきた「ゆうパック商品」を、匹見郵便局で扱ってもらえなくなったのです。さらにチラシの印刷や遠方へのカタログ無料配布ができなくなったのに加え、審査や手続きが煩雑になりました。
物量でコストを下げる大企業と違い、山間地の少量物流にとっては経費がかさみ、小さな集落やグループにはかなりの負担となりました。
現在、匹見町の中心部からさらに奥に入ったところにある萩原集落は、19世帯20人(平成23年2月現在)が暮らす、高齢化率57%の限界集落です。
高齢化が進み農地の荒廃がみられだした平成10年3月、「集落から灯りの消える家を出さないために何かできないか?何かをやろう!」と何回も話し合いを重ねて、集落民全員加入で全員が主役という、集落任意組織『萩の会』を結成しました。
最初に手をつけたのは、集落に一軒だけあった空き家でした。平均年齢70歳以上の女性6人(現在7人)が、そこを借りて農家民宿「雪舟山荘」を開業。男性陣は遊休田を耕し、食器をつくり、山菜収穫やイノシシ捕獲などで自給食材の確保をするなど裏方のサポートをしました。そしていつしか、自分たちの都合でお客さんを泊める「わがままばあちゃんの宿」と呼ばれる名物宿になりました。
平成13年には町から遊休地のブルーベリー園を引き受け、年間6千本の注文が入る人気のジャムも誕生。そして、平成17年頃には経営が安定し、利益分配や税金の問題が出てきたため、仲間からソォねえさんと慕われる齋藤ソノさん(現在87歳)を代表取締役に「株式会社 萩の会」を設立してしまったのです。
まあとにかく、集落の女性たちが元気なんですね。
ところが平成18年、「雪舟山荘」の家主がUターンしてくることに。定住者の増加を目標にしてきた活動なので、歓迎しても困るとは言えません。やむなく民宿は閉鎖することにしました。
しかし女性たちの落ち込みを見た男性陣が「活動がここで途絶えてはいけない」と、ほぼ手づくりで新たな拠点「萩の舎(やど)」をがんばって作ったのです。
こうした取り組みが認められ「萩の会」は、男女共同参画社会づくり内閣官房長官表彰や地域づくり国土交通大臣表彰ほか、数々の栄誉を手にしています。
活動の原動力は、集落の良さを子どもたちに語り継ぎたい、良い形で次の世代に引き継ぎたいという思いですが、全員で話し合いをして合意していくまとまりの良さに加え、ボランティアでなくキチンとビジネスとして成立させ、就労の場を確保するという考え方が徹底しているのです。
過疎地域でも高齢者ばかりでも、すごいことができるという見本です。
エコナビ編集部です。
ご指摘ありがとうございました。
本文を「…昭和63年の記録的豪雪を契機に…」から、「…昭和38年の記録的豪雪を契機に…」に訂正の上、お詫び申し上げます。
今後ともEICネットおよびエコナビをよろしくお願い申し上げます。
(2016.11.18)
詳しい説明ありがとうございます。
昭和63年の記録的豪雪と上記されていますが1963年の間違いではないですか?
(2016.11.09)
こんなとこあるなんて、素敵です。ひとは、いくつになっても、人の役に立っていたいですよね。私も前向きに人生いきていきたいです。
(2013.12.22)
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