長野県小谷村の伊折集落に農山村体験交流施設「ゆきわり草」が平成25年6月9日にオープンしました。しかしその祝いの場に、交流施設の構想から奔走し、誰よりも楽しみにしていた藤原信夫さん(享年71歳)の姿はありませんでした。
ずっと空き家になっている古民家で、「カフェをやればきっと下から伊折まで上ってきてくれる。シェフをやるからこんなところに居られない」と入院先で語っていた信夫さんは、前年11月に亡くなっていたのです。
平成16年、その年に定年退職した信夫さんは、「伊折の集落を守りたい。そのためには稼ぎがないと駄目だ」とたった一人、重機を駆使して黙々と荒れた棚田を開墾し始めました。
「あいつは何をやってるんだ」等、冷やかしややっかみ、批判をされる中で、ふさ枝ばぁちゃんも再生した田んぼ手伝い、そのうち中古のビニールハウスを仕入れ、ミニトマトの栽培や育苗を始めました。
「百姓仕事はわいわい、楽しくやったほうが良い」と、遊休荒廃地の解消と農地の有効活用、集落内の働き場所の確保、地域の活性化を行う集落営農をやりたいという信夫さんの思いは、この活動をきっかけにして集落の機運が高まり、平成17年に全戸加入の集落営農組合「伊折生産組合」が結成され、初代組合長となりました。
現在、「ゆきわり草」を運営する藤原真弓さんは、「無関心だった住民が、だんだん賛同していき、集落がまとまっていった」と述懐します。
組合は60代後半から70代の4人の働き者のおばぁちゃんが主役です。春の山菜採りから真冬の雪中かんらん(キャベツ)の収穫、さらに「猫つぐら」の製作と四人が実に楽しそうに活動しています。
16戸23人が暮らす小さな集落で、歳を重ねますます高齢化する組合の高齢者たちに悲壮感はありませんが、若手は「一年や二年の計画なら立てられる。しかし数年先は見えないし、活動もどうなるか難しい」と悲観的でした。
難病を抱えた信夫さんの組合設立に反対だった長男の一幸さんも、今はやっていてもらって良かったと理解できるようになっていきました。
交流事業の一環で東京農大の学生や新規就農したいという若者も現れ、順調に組合活動が推移する中で、信夫さんは組合の高齢化による先行きを危惧し、次の一手を考えていました。都市住民や学生との交流事業と一つのところでできる収入源を模索していた信夫さんの考えの着地点が、築150年の古民家をリノベーションした交流施設「ゆきわり草」だったのです。
村で再生した「ゆきわり草」の管理・運営は、信夫さんの念願通り、伊折生産組合が任されることになりました。
ここでオーナー田などの交流で培った、ばぁちゃんたちが作る採れたて野菜の里山料理の提供や、じぃちゃんばぁちゃんたちを講師にわら細工、布草履、ちゃのこ作りの講習や、ミニトマト狩り・雪中キャベツ掘り体験など様々な体験メニューを行い、宿泊してもらいながら村の良さを知ってもらって、村を好きになってもらって訪れる人や、移り住む人が増えるように活動しています。
初代館長となった一幸さんの妻、真弓さんは平成8年に東京から豪雪地域の小谷村に移住し、縁があって伊折集落の藤原家に嫁ぎました。
「ゆきわり草」の運営を預かることになった真弓さんは、平成28年度農山漁村男女共同参画優良活動の次世代を担う若手地域リーダー部門で、農林水産副大臣賞を受賞しました。
真弓さんは言います。
「本当にこれでいいのだろうか、続けられるのだろうか。今の伊折を見たらじぃちゃんは喜んでくれるでしょうか? 亡くなってから、その思いを一番受け継いでいたのは、嫁である私なんじゃないかなと感じた時があります。よそから来た分、ここのいいところも悪いところも感じますが、それでも余りあるほどの素敵な環境だと思っています。高齢者の知恵や技を残さないと忘れ去られてしまいます。失って初めて気づく大事なものを、少しでも私自身が受け継いでいけるよう学びながら、今後は小さな美しいこの里山を残していくことが、私がここに嫁に来た役目はもしかしたらこれだったのかもしれません」
美しいこの里伊折を持続させたいという信夫さんの意志は、「おじいちゃんの魂が私を呼んだ。ここを拠点に意志を継いでいく」という真弓さんだけでなく集落に引き継がれています。
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