現在の「宇和島の鯛」は、配合飼料や養殖場の環境向上を進めてきた結果、脂ののり具合が天然鯛と遜色のなく、真鯛の養殖で日本一の愛媛県の中核を担うエリアとなっています。
宇和海は太平洋からミネラルや栄養を豊富に含む黒潮が流れ込む豊かな漁場です。しかし養殖業の発展は赤潮の発生(養殖生命体の老廃物、死骸による塩の過剰供給を指摘する研究者も多い)というマイナスの側面も出てきました。2012年には170万匹の養殖魚が被害に遭い、約12億円の損害がありました。2014年、2015年も約1億円を越え、昨年も約250万円と赤潮の被害は深刻です。
宇和島市西部の宇和海に飛び出す三浦半島(蒋淵(こもぶち)半島)の中央部に位置する遊子水荷浦(ゆすみずがうら)は、江戸時代から昭和30年代までイワシ・鯛漁で生計を立てる漁村でした。しかし回遊魚の不漁が続き、魚を捕まえる漁業から“育てる漁業”である養殖業に転換しました。
天保の時代から開拓されていった段畑(だんばた)は、幅・高さとも1メートルほどの石垣がはるか山頂まで続いており、「耕して天に至る」と形容されています。この絶景は「日本農村百景」「宇和島24景」、平成19年には全国で3例目の「国重要文化的景観」にも選定されており、石垣の段畑と海の景観は、近頃流行の「インスタ映え」します。
かつてはサツマイモ、そしてジャガイモで高収入のあった段々畑も収入が減り、養殖業が発展すると徐々に耕作放棄地が増えてきましたが、現在は地元の「段畑を守ろう会」が中心となり、ジャガイモ生産を復活し、さらにジャガイモ焼酎の開発、「だんだん祭り」や子どもたちの体験などのイベントを開催し盛り上げています。
遊子に嫁いできた山内満子さんは、遊子漁業協同組合女性部に所属し女性部長や愛媛県漁協女性部連合会副会長、宇和島ブロック漁協女性部連絡協議会会長などを歴任し様々な活動を展開してきました。
特に平成22年から「遊子ブランド」のPRのためキッチンカーで県内外のイベントに出張する「遊子の台所プロジェクト」は、全国青年・女性漁業者交流大会で「農林水産大臣賞」、さらに農林水産祭の水産部門で「内閣総理大臣賞」ほか8つの受賞をする快挙となりました。今年も大人気の「鯛(Utai)バーガー」を販売する「遊子の台所」キッチンカーには出店依頼がひっきりなしに入っている状態です。
現在は役職を全て降りて、スリーラインズ(株)代表で頑張る満子さん。山内さんのところの「歌吉鯛」と名付けた鯛は、ゆったりした生け簀でストレスを減らし、かつ時間を掛けた手法を取っているため、天然鯛にひけを取らない「見て美味しく、食べてなお美味しい」が売りです。
さらに「歌吉鯛」を遣って、世界料理オリンピック銅賞の受賞、JR四国“伊予灘ものがたり”の料理等をプロデュースする近藤和之氏(フランス料理アカデミー会員)に監修してもらい、鯛のデザインを山内敏行氏が手がけた、「愛(め)でたい」という鯛のパイ包みを結婚式のお祝い用に提供しています。
「三代目歌吉の店」で前菜からメインまで鯛のフルコースを頂きましたが、鯛の美味しさを極めた料理に舌鼓を打ちました。
海苔の養殖は徳川家康が奨め、江戸前の海苔が大量に養殖されたことで、庶民の口に入るようになりました。現在の板海苔も江戸時代に和紙製造の手法を参考に発明したものです。
前述したとおり宇和海は毎年の赤潮に悩まされており、山内さんは赤潮の心配をしなくて良い陸上での海苔養殖を始めました。井戸海水をくみ上げてつくるスジアオノリの「きぬ青のり」は、まだ大量生産とはいきませんが、周年養殖を目指して、絶品の海苔を少しずつ販売できるようになりました。
将来の子供たちのために、そして「遊子の未来のために」と満子さんは今日も駆け回ります。
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