小田原と言えば、歴史好きには小田原城や小田原評定を連想する方が多いでしょう。「小田原提灯ぶら下げて♪」の歌を思い出す方、食いしん坊の方はカマボコが浮かぶ方もいるでしょう。
現在の小田原の城下町は戦国時代の北条早雲が、相模国を統一したときで、NHK大河ドラマで描かれた鎌倉幕府執権の北条氏とは縁もゆかりもありません。
豊臣秀吉による小田原攻めまでは、平城(ひらじろ)でありながら、延長9kmの外郭をぐるりと囲んだ「総構(そうがまえ)」が、長期籠城戦でも自給自足が可能であり、全国の大名に総動員を掛けた秀吉軍以外は包囲もできず、難攻不落と言われました。
のちに前田利家が金沢の城下町を整備する際、同様に総延長は約9km総構えを採用していますし、徳川家康も江戸城下町の整備で、総構えの考え方を取り入れるなど、先見性のある城構えだったと言えます。
古くから東海道の宿場町として発展しており、現在も鉄道や幹線道路、さらに駿河湾を控える小田原港があり恵まれた環境に加え、明治時代には政財界の要人や文化人をはじめ多くの著名人が、小田原に別邸を構え交流による歴史文化を育んできました。
しかし一大商業集積地であった中心市街地も、人口減少や店舗の撤退など次第に衰退していきました。
その解決策の1つとして、「なりわい交流館」や「街かど博物館」を核とした「まちあるき」体験を市民中心で進めています。
「なりわい」とは、漢字で「生業」と書き「せいぎょう」と読み、生計を立てていくための仕事です。元々は「なりわざ」と読んでおり、「技能」が根本であることから、自営業を営む者が中心の言葉です。
小田原市ではそれを「なりわい」と表現し、その定義を「日々の暮らしをより豊かにする営みと風土」としています。
市では小田原城の再建や駅前の再開発などのハード事業で観光客の受入環境を整えながら、街中に残っていた生業や農林水産業、古くから蓄積された文化を活用する方向で、日々の「なりわい(生業)」をメインとした「まちあるき観光」の「小田原なりわいツーリズム」を開始しました。
小田原の名産は前述した提灯やかまぼこだけでなく、梅干や干物、ろくろや寄せ木の木工、そして昭和当時の発明品「冷凍ミカン」もあります。これらばかりでなく市民の日常に当たり前のようにある食文化が埋もれていたのです。
本プログラムの肝は、小田原が有する「なりわい」と「暮らす人」です。これは日常の観光化であり、暮らしている人々をリスペクトできないと事業は成立しません。
「なりわいツーリズム」が、いわゆる観光収入だけを目指すのではなく、生業の活性化を図り、住民の元気を創造しようとする考え方が根底にあるからなのでしょう。
どこにでもある日常は、実はどこにもない、その地域だけのもので、本質的なモノ・コト・ストーリーに触れる「なりわいツーリズム」を担う案内人の語りには、まちを愛してやまない熱い思いが語りからヒシヒシと伝わってきます。
地域をオープンにするには、まず地域にどのようなメリットをもたらすかを事前に想定し、事業の中にあるべき姿を埋め込む必要があります。
観光客が「質」や「価値」を追求する傾向が見えています。その高質の観光客は現地での体験に関心が高く、地元の良質な品々を求めます。仕込み方でまちあるき観光は滞在時間を延長させることができ、お金を落としてくれます。
古くより栄えた産業(生業)文化に触れてもらう「なりわいツーリズム」に参加してくる観光客は、地元ガイドを活用したり、ローカルな飲食店に立ち寄ることで、滞在時間や消費額が伸びるなど中小の地元店にとっても重要なお客様となります。
地方は相変わらず旅行者の数のみにフォーカスしていますが、アフターコロナでは、オーバーツーリズムの軽減や地域を保全するサステナビリティの確保、さらに地域住民が当事者になることが大切です。
地域をオープンにした「なりわいツーリズム」は、知的好奇心を満たすプログラムであり、かつ身近に地元の方々と触れ合うことができ、市民の暮らしを大切にした事業です。
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