全国の自治体の大多数でキャッチフレーズになる「歴史、文化、自然、暮らし」。狭い日本ですからどこも同じフレーズになるのは仕方ありませんが、この金太郎飴のような謳い文句に疑問を抱いた方もいらっしゃるでしょう。
歴史文化や伝統、祭りも同様で、大義名分は抽象化し、イメージだけで語っています。大切だから残そうだけでは担い手はできません。だからといって残すためだけに税金を投入するのも妙な感じがします。例えどれほどの価値があろうと、誇りを持っている方がいようと、強い支持や需要がなければ衰退するのは周知の事実です。
日本人の生活スタイルが洋式化する中で、日常着から着物が消え、布団も化学繊維や羽布団が主流となりました。一時期、「綿」はほぼ消滅しましたが、近頃はオーガニック・コットンの人気が高まってきており、綿花栽培の再生が各地で進められています。
三重県は三河とともに気候、水、土、肥料(イワシ)、輸送に恵まれたため、江戸期より綿花の大産地で、江戸時代より伊勢神宮の参拝土産の一つとして売られた伊勢木綿は、戦前までは日常着として全国の人々に愛用され、当時の伊勢商人達の経済的基盤を作りました。ところが戦後の高度経済成長期、化学繊維の隆盛や生活の洋風化など国民の暮らしの変化に伴い、木綿の需要が落ち込み、零細の製造業者のほとんどが廃業していき県民も知らない伝統工芸となっています。
現在唯一、伊勢木綿織として残る臼井織布(株)は、国内最高級の純綿糸を使用し、100年前の豊田自動織機を現役機械として使用し、昔から変わらない製法で生き残っています。
強く撚(よ)りをかけずに綿に近い状態の糸を天然の澱粉(でんぷん)のりで固めて、昔の機械でゆっくりと織っていくために一台の機械で一日一反(13m)しか織れませんが、暖かく、しわになりにくいことが伊勢木綿の特徴です。
「弱撚糸で出来上がった布は、洗うほどに糊(のり)が落ち、糸が綿に戻ろうとするので生地が柔らかくなります。一般の綿は洗えば硬くなるのに対して、伊勢木綿は洗えば洗うほど最高の肌触りと古布のような素朴な風合いが出てきます。それでいて、美しい伝統的な縞や格子柄ができることが魅力です」
臼井社長はそんなふうに説明します。
多くの伝統産業は今危機を迎えていますが、そもそも伝統産業という概念で、ガラスケースの中で展示されること自体が、既に産業として時代の流れに乗れず衰退した産業です。
「産業として残す。使うものとして残したいのです」と、臼井社長は語ります。
臼井織布で現役稼働する自動織機は、すでに部品の生産が終了しているため、廃業する織機工場に出向いて部品調達をしながら生産を続けています。伝統産業という言葉にイメージされる古く保守的な在り方にとらわれず、歴史資料としてただ保存展示されているトヨタ博物館へアンチテーゼであり、現在進行形で生きている産業として伊勢木綿を残したいという強い思いが臼井社長から感じられました。
伝統産業を「生きている産業」として残すために、歴史の中のモノとして展示されるのではなく、実際に着られる、使われるものとして残し、産業として残さなくてはならないと考える臼井社長は、異業種とのコラボを模索しています。具体的には現在、京都の「SOU・SOU」や「衣 伊勢木綿」など、新しいブランドを構築しようとするグループとの共同戦線です。
SOU・SOUは「伝統の続きをデザインする」というコンセプトの元、日本の伝統的モチーフを取り込んだテキスタイルデザインと日本の伝統的技術を活用しアレンジした服飾で、今、若者だけでなく高齢者にも人気の企業です。
県内でも知名度のない伊勢木綿は、どれほど良い物を作っても売れません。廃業を前提にしていると語りながらも、「補助金に頼らず、生きている産業として残すために、飾る物ではない伊勢木綿を残したい」と言う臼井社長にとってSOU・SOUの優れたテキスタイルデザインはうってつけだったのです。
そして伊勢木綿とコラボしたSOU・SOUは「SOUSOU・伊勢木綿」という明確なネーミングで京都の繁華街である寺町に専門店を開いたのです。
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