広島県庄原市比和町は「古事記」でイザナミを埋葬した「比婆山」(幻の「ヒバゴン」がいると騒がれた山)がある場所です。この比和町に属する三河内は、「砂子」「鍛冶屋」「かなくそ」「かんな」などの屋号も残っており、古くは「韓鍛冶部(からかぬちべ)」に由来した「神戸(かんべ)」あるいは「韓戸(からべ)」と呼称され、千年以上前から製鉄を生業にする民が生活していたことをうかがわせます。
江戸時代には「鉄穴流し(かんなながし)」という砂鉄採集が大規模に行われていました。鉄穴流しは、岩石中にある砂鉄を川や水路の流れを利用して、比重の差によって土砂と砂鉄に分離して、鉄のみを取り出す手法です。そのため下流域に河川を埋めてしまう大量の土砂が堆積しました。土砂を有効に利用するため、そこを整地して田畑をつくり、たたらの工人たちの食糧を補う耕地としました。
「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」と呼ばれている森のような小さな丘も、「たたら製鉄」の名残です。花崗岩に多く含まれる鉄を、鉄穴流しで砂鉄として取り出し、その砂鉄を加熱して溶かすやり方が「たたら製鉄」です。固くて崩せない花崗岩の岩がそのままポツリポツリと残り、時代を経て森や畑と変わり、美しい現在の棚田風景となりました。
昭和20年代ころまで、農業では牛や馬が、耕す・運ぶために重宝されました。糞尿も有機肥料として大事な資源になりました。そのため道路や水路の際や草地の草、そして田んぼの畦草は牛馬の餌であり、土手などは一年中見事に刈り揃えられ、美しい田園風景が拡がっていました。近年、省力大型化を旨とする機械化や化学肥料の利用など農業生産の変化から、使役のために牛馬を飼育することもなくなり、餌としての土手草は必要とされなくなりました。
そして、里山の草地や田畑の土手の草刈りは、手が掛かる厄介な作業としか見られなくなり、舐めるように刈られて、美田を誇った農村風景が次第に姿を消していきました。
三河内も例外ではなく、昭和30年代に耕耘機の普及と対照的に土手や草刈り場が放置され、この地域で「ぼにばな(=「盆花」)」として手向けられていたヒゴダイやオミナエシ、ワレモコウなどの貴重な植物が絶滅しかけていました。
環境省レッドリストで絶滅危惧種に指定されている「ヒゴダイ」は、キク科ヒゴダイ属の多年生植物で、九州の阿蘇山周辺の草原に多く自生していたため、漢字表記では「肥後躰」と書きます。アザミに似た葉っぱでトゲを持ち、1m以上直立した先端に青い球形の花が咲きます。
三河内地区では絶滅しかけいたヒゴダイを地区内の一人が保存しており、たまたま三河内小学校の校長先生が、種をもらい学校で育てていましたが、2000年にある大学准教授が「国内に二千株しか残っていない大事な花」と学校で話したことがきっかけとなり、子どもたちによる保存活動に着手しました。
子どもたちがヒゴダイを「地域の宝だ」と盛り上がる中で、校長先生も「総合的な学習の時間」で、地区の誇りを持続ける子どもたちの活動として位置づけ、小学校ぐるみで一生懸命に育て、さらに家庭へ種を配布しました。「ぼにばな」をスーパーなどで求めていた住民も「昔はこんな花を土手から取ってきて飾っていた」と振り返る機会となっていきました。
数年の児童の活動は、地域住民を巻き込み、地域の保存活動団体「ヒゴダイの会」が結成されたのです。三河内地区は、「ぼにばな」と「たたらの郷」になるという快挙を成し遂げました。
大人のちょっとした「きっかけづくり」や「場づくり」で、大事な資源の継承や地域の担い手が自然にできていく。そして子どもたちが「ここが好きだ」と誇りを持って言える地域になる。こうした取り組みが少子高齢化の進行を防ぐ最も良い施策ではないでしょうか。
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