長野県飯田市で1998年より始めたワーキングホリデーいいだ。当時、若い世代を中心に都市部から地方へ移住しようとする「田園回帰」の潮流が見えていました。新幹線沿線(東海、北陸、東北)で都内に1時間以内で到達するエリアにIT系を中心としたベンチャー企業を興す若者の東京脱出が見受けられたのです。
こうした移住者たちは“わざわざ都心にいる必要はない”と考えており、コロナ禍でテレワークが進捗する現在の先駆けのような存在でした。
また、現代農業2005年8月増刊『戦後60年 若者はなぜ、農山村に向かうのか』(農文協)では、農山村に向かう若者を多く取材し、その要因を分析しています。曰く、終身雇用・年功序列を基本として再生産されてきた戦後の企業社会が一転、雇用の柔軟化と称した雇用形態そのものの変更で、派遣・契約社員、パート・アルバイトなど安価で交換可能なパーツ労働力が大幅に増加したと論じています。取材を担当した甲斐良治氏は、「企業社会に文化としての労働はないことを知った若者たちが、農山漁村の高齢者とともに、新しい文化としての労働を創造しつつある」と書いていました。
こうした傾向は総務省の「地域おこし協力隊」制度により、ますます顕著な動きとなっており、内閣府が2014年に行った調査によると、都市住民の3割が農山漁村地域に定住してみたいと答えており、2005年に比べて増加しています。
60歳代以上でも定年退職後の居住地としてUIJターンを想定している方が増加しています。そうした方々は大卒以上で、かつ様々なノウハウを有していることが特徴です。
美作市地域おこし協力隊の活動で全国的に有名なのは、上川集落の棚田保全活動でしょう。活動の詳細は様々な記事で取り上げられていますので、ここでは書きませんが、その上川集落に大規模な野焼きができると知り、41歳で隊員募集に応募した某氏。目指したのは上川集落で里山保全と薬草による地域医療の活動でした。地域おこし協力隊に着任するまで、全国津々浦々の山・川・海の植物分類と植生管理の研究・調査を仕事にしていましたが、腰を落ち着け里山再生を実践したいと集落に移住し、棚田保全をベースにマイクロモビリティの導入ほか様々な成果を出しています。
地域おこし協力隊制度の初期、大学を中退して2011年に美作市地域おこし協力隊員として赴任した藤井裕也さんも、着任1年目は棚田再生で、ひたすら草を刈り続ける毎日を送ったと言います。在任中から積極的に地元の困り事仕事を引き受け、地区住民の信頼を得ていきました。
在任期で苦労したことを踏まえて、後任の地域おこし協力隊員をサポートしたいと「山村エンタープライズ」を立ち上げました。空き家をシェアハウスにして、さらに「人おこし」で若者の自立を支援する業務をしながら、2015年にNPOとして活動を拡げていきました。
行政サービスが行き届かなくなるこれからの時代、いろんなことができるポテンシャルを地域おこし協力隊員は秘めていると藤井さんは言います。
2016年には「人おこしシェアハウス」を開設。カウンセラーや心療内科医、 臨床心理士、 社会福祉士などの専門家に、 地域の企業や農家、お坊さん、地域の高齢者を結集した「ひきこもり支援」の新しいモデルが成果を出しつつあります。
筆者はこのたび、美作市内の元地域おこし協力隊員のところを回りましたが、とにかく実践能力の高い方々ばかり。藤井さんは、「岡山県美作市の地域おこし協力隊は全国最強」と言い切りますが、そう言うだけのことはあります。
66歳で岡山県美作市に地域おこし協力隊員として入った方がいます。隊員としては全国最年長でしたが、東京都職員として広報や都心開発、財政、人事ほか様々な業務を経験し、その知見は過疎山村でも大いに役立ちました。隊員時代は観光協会事務局長として多彩なイベントや観光拠点の開発を担い、69歳で卒業した現在は古民家をリノベーションした地域拠点の「山村茶屋」を経営しています。伺ったときにはお目にかかれず、詳細のことを拝聴できなかったので再訪の機会を狙っているところです。
藤井さんがいう「最強」とは、“過疎地区を盛り上げる多種多様な方法を持ち合わせていること”です。山間集落で、現役の地域おこし協力隊だけでなく、定住したOBたちが有機的に連携し、様々なソーシャルビジネスを展開しています。
(後編に続く)
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