世界はグローバルの名の元に、科学技術の向上でインターネットやサプライチェーンほか様々な関係性で繋がってきました。人々の距離もどんどん近づいていく中で、突然コロナウイルスという一つのウイルスが全世界に拡散し、パンデミックやロックダウンで生活を崩壊され、人々は死の恐怖に怯え、為す術もなく家に籠もらざるを得なくなりました。
神は天に達する塔を建てようとした人間の行いに「一つの言語を話していることが問題だ」としたように、今般はインターネットという世界共通言語が、神の琴線に触れてしまったのでしょうか。現在、世界各国は国を閉じ、輸出入をストップ。感染を防ぐためマスクで顔を覆い、ソーシャルディスタンスで、密着しないコミュニケーション不全の世界が作り出されており、まさに神になろうとした人間を戒めたバベルの塔の再厄災ではないかと感じてしまいます。
昔、某広告機構のCMで「人は人から育てられる」というキャッチコピーがありました。多くの有識者や地域づくりの先達は「地域づくりは人づくりに尽きる」と語ります。
人間が人間である限り、人は人との「つながり」を求めています。いくら情報手段が発達しようと生身の人間はリアルな関係性を失うことはできません。
居酒屋などで肩を寄せ合い、下世話な話から高尚な話でコップを傾け、盛り上がりたいところですが、自粛のためなかなか機会が持てないことから、「オンライン飲み会」が最近の流行です。会えない友人と関係を維持したいという思いが募っているのでしょう。この流れはアフター・コロナでも継続していくでしょう。
現在の状況では、いつコロナ禍が収束するか不明です。しかし確実に言えることは「世界は変わる」と言うことです。もちろん自分の身辺も大きく変わるでしょう。人に会わなくてもネットを介して生活できる。そうした変化がフェイス・トゥ・フェイスで信頼関係を高めてきた人間関係を希薄にするのではないかと心配しています。人間関係が希薄となれば、人の痛みや苦しみが理解できなくなります。
しばしば相手とコミュケーションが取れず、愚かな戦争に突入しましたが、人間は言葉を獲得し共感される環境で成長してきました。人と人の接触機会を極力削減しなければならない現状を鑑みると、人間は地球上で全ての生き物と共生していくことができるのでしょうか。
学び舎の休校で未来を担う子ども達が心配です。有り余る時間が与えられたものの友達と会うことや外遊びもスポーツできず、ゲームに興じ与えられた宿題をやる受動的な状況です。現在は、勉強は塾で、学校は勉強と言うより子ども達の社会生活の一部です。家庭も行動規範を学ぶところ、そして託児所的な学校に期待していたことが見えてきました。とは言うものの教育の場は付け焼き刃のオンライン授業を模索するも、本当にできているのは僅かで、全国で教育格差が起きており、先が見えないのが現状です。
人との分断により私が心配するのは、「コミュニケーション障害」や「対人恐怖症」の子どもが増加するのではないか、あるいは他人を非難したり攻撃する、コミュ障にならなくても他人との心の距離が離れて他者を思いやる心が希薄になる、などコロナ禍がトラウマになるのではないかと考えるわけです。聴覚障害の方々は手話だけでなく、口の動きを読むことで相手が何を話しているかを理解します。聴覚障害者に限らず相手の口の形や表情がマスクで見えないと不安になります。顔の表情はコミュニケーションだけでなく相手と共感するための大事な要素なのです。
子ども達が社会的距離を取り、相手の表情もわからない中で自己肯定感すら育めない、荒んだ未来を想像したくありません。
この想像を覆すには、親が範を示すことだと思います。自宅に籠もり稼ぎもままならず、外に出れば監視社会化しています。イライラ感から家庭でのコミュニケーション不全となれば、DVなどに発展し、それが子どもに伝染します。
まずは夫婦が朝晩の挨拶や「ありがとう」の言葉がけの実践です。コミュ障を放置すると20年後30年後、仕事ができない、友人や恋人ができない、そしてうつ病や引きこもりなど精神障害を発症こともあるのです。
今は自粛、自粛で周りをみて過敏になっています。
子ども達は未来の希望です。この騒動で様々な経験を子ども達から取り上げないこと、そして将来の夢や未来を奪わないで欲しいと願っています。だから家庭から優しく愛情たっぷりに接して子どもたちを守り、『幸せなコト』を共有できる家族になってほしいと願っています。
コロナ禍後の未来(2)に続く
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