長崎県対馬は日本海の玄界灘に位置し、2万7千人が暮らす国境離島です。古事記の国産み神話で「大八島国」の1つ「津島」と表記され、魏志倭人伝にも倭の一国「対馬国」としての記述が見られるなど、古来より有名な島であったことがわかります。
日本と韓国の狭間に浮かぶ島は良港もあり、大陸と日本の中継地として、遣隋使や遣唐使の休憩地になり、その後も朝鮮使節団が必ず立ち寄るなど、賑わいをみせていました。
直線距離で韓国とたった50kmに位置し、釜山の夜景が見られるなど国境離島のリアルを実感できます。二度に渡る元寇と最初に戦った地であり、太平洋戦争時も戦艦武蔵の巨砲を設置するなど、常に国境離島の最前線にあり、古来より外交・防衛の先端を担ってきたのです。
もともと田畑が少なく食料生産にも苦慮していた対馬は交易が命綱でした。ところが日韓は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻以来、国交断絶が続いていたため、徳川幕府の成立期のどさくさに紛れて、互いが反省しているという偽の国書を日韓双方に送る高リスクの外交を展開、朝鮮王朝との関係修復を画策して、成功裡に導きました。歴史に翻弄された対馬は近年、韓国からのインバウンド観光で賑わいをみせていたものの、コロナ禍による渡航制限で、この3年間は観光客が蒸発。苦しい経済状況が続いています。
対馬最北端に位置する佐護(さご)地区は、天然記念物のツシマヤマネコが生息し、多くの渡り鳥が飛来する自然豊かなエリアです。しかし過疎化・少子化の波が押し寄せ、児童数は激減。1891年開校の伝統ある佐護小学校は、2013年に統廃合となりました。
電気が灯らなくなった学校は寂しい、何とかしたいと農家の平山美登(よしのり)さんが思っていた2019年、熊本県出身の高野清華さんが隣地区の佐須奈に移住してきました。
高野さんは島根県隠岐での地域づくりや熊本県山都町で廃校活用などの「地域コーディネーター」で、地元にどっぷりと浸かって活躍していました。対馬には、学生時代から環境、人権などの活動をベースに「平和で持続可能な社会づくりをしたい」との夢を実現したいと移住してきて、非営利型の株式会社「対馬地球大学」を設立しました。
そして旧佐護小学校を地区の活性化の拠点にすべく、地区の方々と一緒に「ふるさとづくり佐護笑楽校」を創設。校舎の改修を行い、現在は「ふるさと佐護笑楽校」の運営を担うなど地元の欠かせない存在となりました。
対馬地球大学は地域全体をフィールドに「地域丸ごと、地球の学び舎」のキャッチフレーズで、観光・教育ビジネスを展開しています。国境離島でツシマヤマネコなどの固有種が生息する自然や、日本一漂着物が多い海岸線の現状、さらに国境離島で平和を考えるなど、目の前のリアルな環境をそのまま伝え、学ぶことができます。島の特性を活かした環境をテーマに学ぶのに、最適な土地で、「教育事業」をメインに「飲食事業」「宿泊事業」「体験事業」を実施しています。
地域をフィールドにして、暮らしから生き方を1年間かけて学ぶ「教育事業」は、様々な大学と連携し、内外の専門家を講師として、持続可能社会の担い手を育てています。
2階の音楽室を改修した「さごんキッチン」は金~日の限定営業ですし、かつ訪問するには大変なエリアにもかかわらず、地域の旬の料理が味わえる体にも優しい地産地消レストランとして、対馬島内の各地からランチや弁当を求めてやってくる人気店です。
通常の廃校活用事例では、高齢者に配慮して1階の教室を飲食で活用することも多いため、なぜ不便な2階にレストランを設置したのかを聞くと、以前に豪雨で1階まで水に浸かることがあったことから、安全な2階に開設したことがわかりました。
話を伺って、「対馬地球大学」が地区内外の多様な主体を縦横斜めに紡ぐ「ビジョンを共有し実践する場づくり」の役割を果たしていることが理解できました。大学の地元出資者で「ふるさとづくり佐護笑楽校運営会」会長の平山美登さんも、移住者である高野さんを信頼し、徹底的にバックアップしています。市担当部局の幹部も「地域活性化や雇用のモデルになってほしい」と期待を寄せていました。
いま「対馬地球大学」は、佐護の人たちが地域を想い、誇りや生きがいを暮らしに取り戻すとともに、訪れる人たちもその生き様に触れて感動する「生き様ツーリズム」や相互に学び合う「歓交」まちづくりの拠点となることをめざしています。
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