和歌山県南東部にある古座川町は、森林率約96%、気候は温暖多雨で樹木の育成に適しており、良質な古座川材の産地として古くから知られていました。昭和31年に1町4村が合併し古座川町となりました。合併当時は人口1万人でしたが、林業の衰退で平成26年には3,077人と大きく減少しました。
この林業の不振を何とかしたいと山間集落の平井地区の農家2戸が昭和35年代に柚子栽培を始めたことが「古座川ゆず」の始まりとなりました。柚子は他の柑橘類と違い耐寒性に優れていて、病害虫にも強いため、四国4県を中心に九州から栃木県という日本の半分以上で生産されています。「ゆずの里」や「ゆずの町」を標榜する町村も全国にあり、競合産地が多い中での船出でした。
平井地区の農家が始めた柚子栽培は輸入木材が激増した昭和40年代のこと。大阪市場で高値の取引がされたことにより換金作物と注目され、次第に町全域に拡大していきました。元々個々の家で絞っていた柚子も生産が増えたことで、廃校となった小学校の校庭に窄汁工場を共同で建設。柚子栽培技術の向上や販売の共同化を図り、古座川ブランドを確立するために「古座川柚子生産組合」を立ち上げました。
昭和60年、窄汁量が増えると絞り滓も溜まり、これを何とか活用しようと農家の女性20名で「古座川ゆず婦人部」を結成。特産加工品のなかった町に「ゆずジャム」や「ゆずマーマレード」など柚加工品を開発し、徐々に売上を伸ばしていきました。こうしたことから町も「女性たちを支援することが町の活性化となる」とPRなど後方支援を積極的に行い、ブランドを確立するまでになりました。
売上を伸長させてきた「古座川ゆず」は平成8年、柚子の不作により安定供給ができず、取引先の信用を失い大きな痛手を負いました。さらに農家の高齢化や老木化が顕著となり、平成12年から関係者を集めた「ゆず対策協議会」を設置して、六次産業法人の立ち上げに向けた話し合いがもたれ、これらの課題を一気に解決するため、平成16年農事組合法人「古座川ゆず平井の里」が誕生しました。法人化と同時に手狭になった工場に変わる新工場を開設。機械化も進みましたが、柚子の皮むきや刻みなど婦人部がこだわってきた「手づくり製法」はそのまま活かしています。「商品の仕上がりがきれいなことと、雇用確保が法人設立の目的だから」と法人の中核人材の倉岡有美(元役場職員)さんは言います。
この法人設立の背景にあったのは過疎高齢化という「待ったなし」の問題に、この地に暮らす住民個々が危機感を抱き、徹底的な話し合いによる地域の合意形成でした。特に主体となった平井集落の住民の半数が「柚子」と関係した経済活動の担い手であり、なおかつ限界集落になりつつあったからです。
町では林業に代わって遊休地や山林を活用した新たな農業経営を目指しています。中でも柚子と同様に栽培されていた「シキミ」に目を付け、振興することとしました。シキミは漢字で樒あるいは梻と書き、弘法大師の頃より仏前に供えられた常緑木です。
いわゆる山採り花木でなく、徳島県上勝町が行うような「ツマ物」でもないこと。さらに鹿や猪の食害に遭わないことを条件に検討した結果、「シキミ」と「千両」に決定したのです。
出荷は関西方面を中心に大幅に伸長しており、町内の栽培者も徐々に増加しました。平井の里でもその売上は絞り柚子の売上より大きく、法人の2大商品となっており、今後の期待は大きなものとなっています。
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