9月19日から21日まで中国湖南省の新化県で第10回東アジア農業遺産学会(ERAHS)が開催され、日中韓の農業遺産関係者約340名が参加し、交流を深めました。また、来年の第11回東アジア農業遺産学会の開催地が埼玉県の武蔵野地域に決定しました。
今回は、第10回東アジア農業遺産学会を中心に、最近の農業遺産をめぐる動きについて紹介します。
9月19日から21日まで中国湖南省の新化県で第10回東アジア農業遺産学会(ERAHS)が「科学技術による世界農業遺産のエンパワーメント・若者とともに未来を創造」をテーマに開催され、日中韓やFAOの農業遺産関係者約340名が参加し、交流を深めました。日本からは農林水産省農村環境対策室の吉見友弘室長をはじめ農業遺産認定地域の関係者、大学の研究者ら約40名、韓国からも40名以上が参加しました。
東アジア農業遺産学会(ERAHS)の背景と経緯についてはエコレポ33号で紹介したとおり、複雑な日中・日韓関係の下でアカデミックな交流を前面に出して始まりました。今回も、「戦後最悪の日中関係」と言われる状況の下で無事に開催できたのは、やはりこれまでの実績と「学会」という名の下にアカデミックな交流を強調したからだと思われます。ただ、残念ながら、昨年の日中韓農業大臣会合共同声明を受けて始まった日中韓の政府間会合の開催は、今回は見送られました。
開催地の新化県にある紫鵲界(しじゃくかい)棚田は、世界農業遺産「中国の南部山岳丘陵地域における棚田システム」(2018年認定)の一角をなしています。FAOのGIAHSウェブサイトでは「中国の亜熱帯地域にある4つの棚田システムは長い歴史を有しており、そのうちの一つは2,300年以上前に起源を持つ。この地域には稲作に適した平地が乏しいため、農民たちは丘陵地帯で稲を栽培し、水を確保するために棚田を築いてきた。そこで栽培される伝統的な品種の米は、高品質で栄養価に富んでいる。」と紹介されています。紫鵲界棚田は、漢族や瑤(ヤオ)族、苗(ミャオ)族など多様な民族が、山の斜面を利用して水源を巧みに管理し、自然と共生する形で環境に調和した稲作を続けています。その中でも紫鵲界棚田は代表的なエリアで、標高差数百メートルにわたり約3300ヘクタールの棚田が連なり、独特の伝統的な水管理技術や輪作体系などが継承されています。
ナビゲーターは、昨年9月に「2025紫鵲界棚田と世界との対話」をテーマにここで開催された「第3回農耕文化交流学習大会」・「第9回農業遺産文化会議」にも招待されていたので、今回は2回目の訪問になりました(エコレポ39号)。
新化県は、湖南省の省都、長沙市の長沙空港からバスで約3時間半の遠隔地にあります。昨年までは成田空港と関西空港から長沙空港までの直行便も週に何便かあったのですが、昨今の日中関係の影響を受けてか現在は運休しており、上海で乗り換え、長沙で1泊せざるを得ませんでした。
9月20日に会場の新化蚩尤(Chiyou)華美(Huamei)ホテルで開催された開会式では、中国共産党婁底(ろうてい)市委員会書記らによる開会挨拶の後、日中韓の代表者(日本はナビゲーター)により「世界農業遺産地域の農業・文化・観光統合発展に関する紫鵲界合意」を朗読しました。直前に原稿をわたされたのですが、AIで翻訳したせいかどうも不自然な日本語になっており、できるだけ自然な日本語になるように読み替えました。
続く基調講演では、FAOのジェレミー・ムバイラマジ上級コーディネーター(GIAHS事務局長)が「持続可能な開発に向けた農業遺産システムの保全:GIAHSの成果、課題、そして今後の展望」と題して、FAOの気候変動・生物多様性・環境室に置かれているGIAHS事務局の立場で、SDGsの推進を強調しました。ERAHS名誉議長の武内和彦教授は「生物多様性条約(CBD)と世界農業遺産(GIAHS)ネイチャーポジティブな社会を目指して」と題して、気候変動と生物多様性の相互関係、SATOYAMAイニシアティブ、OECM (Other Effective area-based Conservation Measures(その他の効果的な地域をベースとする手段))、GIAHSの関係を整理されました。また、中国ERAHS議長のミン・チンウェン教授と韓国ERAHS議長のイ・ユジック教授は、それぞれ中国と韓国の農業遺産の現状を紹介しました。
その後、6つの分科会に分かれ、発表が行われました。分科会のテーマは、①遺産地管理の実践とイノベーション、②農業景観と持続可能な観光、③農業食料システムの転換と持続可能な生計、④デジタル・インテリジェント技術による伝統的農業システムの強化、⑤農業生物多様性と生態系サービス、⑥農業遺産保全政策でした。
ナビゲーターはセッション4のモデレーターを務めるとともに、セッション3で「農業食料システムの転換と持続可能な生計:日本におけるGIAHSの次なる課題」について発表しました。日本のGIAHSの保全には、GIAHSを支える人々の暮らしを持続可能にする必要があり、能登半島地震を例に、住まい・仕事・地域社会の再生が欠かせないここと、今後は、保全と生計の両立、地域振興、変化に応じた運営を進め、日中韓の経験を共有することが重要であることを強調しました。
翌9月21日は、午前中に残り2つの分科会、⑦棚田保全における協働と若者によるイノベーション、⑧伝統的知識、文化の再生と活用で発表が行われ、続いて各国の政府代表による基調発表がありました。日本からは農林水産省農村環境保全室の吉見友弘室長が「日本における世界農業遺産・日本農業遺産の実践的な経験」について発表しました。
最後に閉会式が行われ、ERAHS中国事務局長のジャオ・ウェンジュン准教授による本会合の総括の後、ERAHS中国議長のミン・チンウェン教授から、これまでのERAHSへの貢献に対する謝意が表され、日本からは第8回ERAHS開催地の岐阜県と、2013年から2025年までERAHS日本事務局長を務めたナビゲーターがこれを受けました。ナビゲーターにとってはこれまでの努力が報われた感動的な瞬間でした。中国側の暖かいご配慮に感謝したいと思います。
最後に、次回開催予定地の埼玉県の武蔵野地域(「大都市近郊に今も息づく武蔵野の落ち葉堆肥農法」(2023年GIAHS認定))を代表して、世界農業遺産武蔵野の落ち葉堆肥農法推進協議会長の林伊佐雄三芳町長から、武蔵野の落葉堆肥農法の紹介とともに、川越市で2027年10月20-21日に第11回ERAHS会合を開催するという発表がありました。
午後は、各国ごとにバスに分乗してエクスカーション(現地調査)として、紫鵲界棚田地域を訪問しました。見学したのは、世界農業遺産と世界かんがい施設遺産の2つの遺産の展示館、月牙山棚田、正龍古村です。紫鵲界棚田は、ポンプやダムを使わず、山の湧水と自然の傾斜を利用した「自流式かんがい体系」が千年以上も守られており、2014年に世界かんがい施設遺産に認定されました。ちょうど稲の収穫期直前で、広大な棚田に黄金色の稲波が広がる美しい景観が見られました。正龍古村は、明・清代に建てられた多くの木造の伝統建築が美しく保存されており、瑶族、苗族、漢族が代々共に暮らし、独自の梅山文化が継承されています。
夕食前には第21回ERAHS作業会合が開催され、今回の評価と次回の計画が話し合われました。ナビゲーターからは、今回のERAHS会合は、①全体にとても良く準備されていたこと、②日中韓の比較研究が多くなってきたこと、③夕食レセプションなどで各国の参加者どうしのコミュニケーションが少し難しかったことなどを発言しました。
夕食は、正龍古村で、伝統的な武術、舞踏、山歌、歌唱などのパフォーマンスを鑑賞しながら、伝統料理を堪能しました。
ナビゲーターが考える今回のERAHSの成果は、第一に、昨年来のきわめて厳しい日中関係の下で中国でのERAHS会合が正常に開催され、日中韓の農業遺産関係者がこれまでと同様に交流を深められたことです。実際、昨年来、ナビゲーターの関係する中国での会合はほとんどが直前になってキャンセルされており、今回もほんとうに開催できるのかは最後まで不安でした。これまで10年以上にわたって築いてきた信頼関係をベースに、「学会」という名の下で学術交流を前面に出したことが開催を実現できた大きな要因ではないかと考えています。
第二に、GIAHSと気候変動や生物多様性、さらにはSDGsとの関係が基調講演を中心に各所で強調されていたことです。GIAHSはもともと「環境」との親和性が高いものですが、自然のままの環境を守るというよりは、環境にやさしい伝統的な農業を通じて、地域住民の生計を維持しながら地域の環境を守るところに意義があります。GIAHSとOECMの関係に着目した講演や発表が目立ったのも特徴的でした。
第三に、さまざまな分野で日中韓の比較研究が多くなったことです。これまでは自国の農業遺産についての研究が中心だった印象ですが、今回は多くの研究者が日中韓あるいはその二国間の比較について発表していました。日中韓の学術交流というERAHSの目的の一つが定着してきたことが感じられました。
そのほか、大学院生を中心とする若い世代の研究発表が多かったことも印象的でした。若い世代がGIAHSに関心を持つようになることで、GIAHS研究の将来の発展が期待できます。
来年の第11回東アジア農業遺産学会は、埼玉県の武蔵野地域で10月20日、21日の両日に開催されることが決定しました。
世界農業遺産「大都市近郊に今も息づく武蔵野の落ち葉堆肥農法」は、江戸時代の開拓に始まり、平地林を活用して厳しい自然条件を克服した持続的な農業です。希少な動植物の保全にも貢献し、都市開発などの課題を抱えながらも、地域の農家や関係者の努力により、約10年に及ぶ挑戦を経て世界農業遺産に認定されました。今後は国内外への取り組みの発展が期待されています(エコレポ29号)。
決定に先立ち、ナビゲーターは、農林水産省農村環境保全室の吉見友弘室長ほか担当官、ERAHS日本事務局長の国連大学OUIKの富田さんらとともに、8月14日に東アジア農業遺産学会に向けての現地確認のために武蔵野地域の三芳町と川越市を訪問しました。
実は、来年度の開催地は当初関心を示されていた地域が次々に開催を辞退され、困り果てていたところを、ここ数年、公務多忙な中をずっと毎年ERAHSに参加してくださっていた林伊佐雄三芳町長に相談し、林町長が会長を務めておられる世界農業遺産武蔵野の落ち葉堆肥農法推進協議会に開催を引き受けていただいたものです。
やはり地元の経費負担が最大のネックでしたが、できるだけ参加費で経費が賄えるように簡素な運営に努めるとともに、来年度予算が認められればですが、初めて農水省がイベントの一部を共催してくださる方向で話が進み、最終的に受け入れていただくことになりました。
宿泊施設が多く、交通の便のいい川越市で会合を開催し、三芳町には現地視察に行く予定です。
開催のテーマは、「ネットワーク~共に行こう -ネットワークを構築し、SDGsを推進しよう-」です。これは「早く行きたければ一人で行け。遠くに行きたければ共に行こう」という考えに基づくものです。先般、中国で開催されたERAHSの中でインタビューを受けた際にこの話をしたところ、その場にいた方たちの大きな共感を得ました。
ナビゲーターも来年のERAHSの成功に向けて、できるかぎりの貢献をしていきたいと考えています。
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