最近、海外から日本の世界農業遺産の経験について話をしてほしいと依頼される機会が増えています。9月には韓国のクムサン(錦山、高麗ニンジンの伝統的な産地)、中国の北京で開催されたFAOの第2回GIAHSハイレベル研修の講師に招かれ、10月には韓国のタミャン(譚陽、竹の伝統的な産地)に招かれています。また、最近、FAOからインドネシアの世界農業遺産の申請にアドバイスしてほしいと依頼されました。
5年前にほぼゼロの状態から始まり、急速に進展してきた日本の世界農業遺産は、今、世界的な注目を浴びているといえます。
今回は、日本の世界農業遺産について、当時のエピソードを交えながらあらためてご紹介することにしたいと思います。
世界農業遺産はもともと開発途上国で開発によって失われつつある伝統的な農業を保全し、後世に伝えることを目的に2002年に始まったFAOのプロジェクトでした。そのため、日本のような先進国は対象となっておらず、国内では世界農業遺産を知る人はほとんどいませんでした。
このような中で、伝統農業に関する豊富な研究実績をもとに世界農業遺産の創設当初からFAOに協力してきた国連大学(武内和彦副学長(当時))は、人と自然の共生する日本の里山を世界農業遺産に認定してもらったらどうかと考え、FAOと日本の双方の関係者に働きかけました。
この呼びかけに最初に本気で応えたのが、農林水産省北陸農政局(角田豊局長(当時))でした。国連大学の金沢にある「いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット」(あん・まくどなるど所長(当時))とともに、まずは協力を得られやすい北陸地方で候補を探しました。このときに名前が挙がったのが里山振興に熱心だった石川県の能登地域と、トキの野生復帰に合わせて「朱鷺と暮らす郷づくり」の認証米制度に取り組んでいた佐渡地域でした。しかし、いずれも地元の方たちの多くは、生まれたときから慣れ親しんでいる景観や文化に対して、こんなものが本当に世界的な価値があるのかと半信半疑でした。それを、北陸農政局を中心に関係者が一丸となって地域に入り、話し合いを重ねて短期間に申請までもっていったのです。
当時、2010年10月に日本の名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催され、日本政府のリードでSATOYAMAイニシアティブが立ち上げられて、里山が国際的な関心を呼んでいました。このような追い風もあって、今から思うとFAOに教えを請いながら手探りの状態で作った申請書でしたが、2011年6月の中国・北京で開催された世界農業遺産国際フォーラムにおいて、先進国で初めて世界農業遺産の認定を無事に受けることができました。
佐渡では、金山の歴史が生み出した棚田などの水田で、冬期湛水など「生きものをはぐくむ農法」とその認証制度が推進されています。この認証制度によって農家の所得を向上させながら、野生復帰したトキの生息に不可欠な生きものが豊富な水田の生物多様性も保全されています。
この認証制度は、必ずしも大昔からあったものではありません。伝統的な農業を重視する世界農業遺産の趣旨に沿うよう、高野宏一郎市長(当時)自らが、江戸時代の金山に遡る棚田の歴史をたどり、伝統的農業のストーリーを作り上げました。
能登では、棚田やため池による美しい里山の景観と、海女漁、揚げ浜式製塩など里海の資源を活用した伝統技術や農業と結びついた風習や文化が継承されています。海に囲まれた能登では里地里山が密接につながっていて、そこで多様で持続的な農林漁業が営まれており、里地里山と里海が一体となって豊かな生物多様性を生み出しています。
ここには「能登農法」というような特別な農法があるわけではありません。しかし、先進国の日本の中で、これだけの規模で人と自然が共生する里山の景観や農林水産業にまつわる昔ながらの文化、伝統、慣習、技術などが現在に受け継がれているところはほかにほとんどないと思われます。まさに総合的にみて世界的に重要という評価がなされたのです。
佐渡と能登の世界農業遺産の認定をマスコミが大きく取り上げたことから、世界農業遺産も徐々に全国の地域の方々に知られるようになってきました。そのような中で、まず、熊本の阿蘇と、静岡の掛川の方々が、続いて大分の国東の方たちが関心を示されました。
最初に積極的に動かれたのは、私が記憶している限り、阿蘇はイタリアン・レストランの宮本けんしんオーナーシェフ、静岡は県の農林技術研究所の稲垣栄洋主任研究員(現静岡大学教授)、大分はしいたけ生産者の林浩昭さん(元東大助教授)でした。
途中いろいろと紆余曲折はありましたが、多くの地元関係者によって推進協議会が設立されるなどボトムアップで申請作業が行われました。2013年5月に石川県の能登で世界農業遺産国際会議が開催された際には、3地域とも知事が自ら熱弁をふるってプレゼンテーションをされ、3地域とも無事に認定を受けることができました。
掛川周辺では、伝統的な「茶草場農法」によって、茶園の近くにあるススキなどの草原(茶草場)の乾草(茶草)が茶園の土づくりに用いられ、茶の品質を高めながら同時に半自然草地特有の生物多様性が保全されています。 毎年、茶草場の草を刈ることによって日当たりが維持され、今では絶滅危惧種になってしまったような「秋の七草」なども昔と同じように普通に見ることができます。また、茶草を投入することによって土壌が改善されるなどの効果があり、そこで栽培されたお茶の評価も高まります。
世界農業遺産に認定されてからは、茶草場農法実践者の認定制度も始まり、認定を受ける農家が増えていると聞いています。
阿蘇では、千年以上続く「野焼き」などの伝統的な草原の管理方法により、あか牛の飼育に必要な草資源を確保しながら、木が生い茂るのを防ぎ、絶滅危惧種を含む貴重な草原の生態系が維持されています。
しかし、草原を焼くこと自体は世界的にはそれほど珍しいことではないようで、現地調査に訪れたFAOの関係者はなかなか評価してくれませんでした。そこで、阿蘇の「野焼き」がいかに環境保全的であるか、草原が地域の農業にとって、また都市の生活者にとってもいかに重要であるかなどを、副知事らがFAOに説明に行きました。世界農業遺産国際会議の本番では思いのこもった発表が行われ、認定を得ることができました。
国東半島・宇佐では、日本最大のクヌギ林で、しいたけの原木となるクヌギを伐採後の萌芽更新によって約15年のサイクルで再生し、循環的に利用することで日本一の原木乾しいたけ生産を行い、連携するため池群とともに豊かな生態系を育んでいます。また、中世の水田景観を現在に伝える文化的景観や、この地域にしか残されていない畳の材料となるシチトウイなどもあります。
内容的にはよかったのですが、なにしろ申請を決めてから実際の申請までの期間がきわめて短く、申請書の作成に当たった県庁のチームは、副知事を先頭に休日も返上し昼夜を徹して作業に当たって、何とか期限に間に合わせることができました。
このあと、2014年に農水省が世界農業遺産専門家会議を設置して本格的に世界農業遺産に取り組むようになりますが、その先は紙面の都合で次の機会に譲ることにします。
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