11月にアンドラ、オーストリア、中国、イラン、韓国の8地域が新たに世界農業遺産に認定され、世界農業遺産認定地域数が26か国86地域となりました。また、10月に韓国の錦山(クムサン)郡で「伝統的な高麗人参農業システム」の「世界重要農業遺産(GIAHS)登録5周年記念国際セミナー」、11月に韓国の水原(スウォン)市で「国家重要農業遺産10周年国際会議」が開催されました。さらに、11月に静岡県で「東アジア文化都市」の協同プログラムの一環として「農村サステナブルフォーラム」、12月に埼玉県武蔵野地域で「武蔵野の落ち葉堆肥農業世界農業遺産認定記念式典」が開催されました。
前回は国内各地で開催された世界農業遺産認定後の記念イベントなど、最近の農業遺産をめぐる日本国内の動きについて紹介しましたので、今回は新たに世界農業遺産に認定された8地域や韓国で開催された世界農業遺産認定後の記念イベントなど、最近の農業遺産をめぐる国際的な動きを中心に紹介します。
2023年11月7日11月7日から10日までローマで開催されたGIAHS科学諮問グループの会議でアンドラ、オーストリア、中国、イラン、韓国の8地域が新たに世界農業遺産に認定されました。このうち、アンドラとオーストリアは国としては初めての認定です。アンドラという国は、正直、ナビゲーターも知りませんでしたが、スペインとフランスの国境にまたがるピレネー山脈の真ん中に位置する、面積468平方キロ、人口約8万人の小さな国だそうです。
それでは、FAOのウェブサイトをもとに、今回認定された各地域を紹介したいと思います。
ピレネー山脈の平均海抜約2,000メートルに位置するこの小さな内陸国で、長年にわたって発展してきた農牧畜システムを反映しているのが、アンドラの亜高山帯および高山帯の牧草地です。地元の人々は、のびのびとした牧草地と耕作地を組み合わせてきました。放牧された牛、羊、馬などの家畜は、近隣の地域と他の商品や食料と交換されます。
共有の土地と共有の牧草地を基盤としており、家畜の所有者は羊飼いに報酬を支払ったり、交代で外敵から家畜の群れを守ったりすることで、他の農家は他の仕事に専念することができます。
発酵飼料ではなく、新鮮な牧草や干し草を食べた牛から搾乳する干し草ミルクの生産は、ヨーロッパにおける酪農の歴史と同じくらい古いです。
栄養価の高い冬の飼料として干し草を使うことで、反芻家畜は草木の生えない寒い季節を乗り切ることができ、農家の生計を支えています。
かつてはオーストリアの生乳生産量のほとんどを占めていた干し草ミルクですが、現在では15%に過ぎません。オーストリアの6,500の干し草ミルク生産農家と60の大手加工業者が、ARGE Heumilch
Österreich(ARGEオーストリア干し草ミルクの意味)コミュニティに集まりました。干し草酪農を保護し、この持続可能な方法の利点を伝えることで、市場で公正な乳生産者価格を得られるようにすることを目的としています。
中国北部の河北省にある寛城(クワンチョン)伝統クリ生態植林システムは、漢の時代(紀元前206年~紀元220年)に遡る、中国で最初にクリを栽培した最も重要な地域のひとつに位置しています。クリを核に、他の作物、薬草、養鶏業を加えた伝統的な栽培体系が徐々に確立されていきました。
世界的なクリの品種資源バンクの重要な一部を形成しており、文化的内容に富み、自然を尊重し、農業生産を促進する社会組織の形態に基づいています。
銅陵(トンリン)白ショウガ農園システムは、中国南部のショウガ栽培地域の重要な一部を形成しています。銅陵白ショウガ農園システムには17種類のショウガがあり、白ショウガが主要品種です。半晩生イネは銅陵の稲作の主要作物であり、早生イネと晩生イネの品種は少ないです。イネの主な品種は31種あります。
銅陵は、種子保存や発芽促進のための焼姜閣など、ショウガ栽培の重要な技術を開発してきました。塩漬けショウガ、醤油漬けショウガ、甘酢漬けショウガ、砂糖漬けショウガなど、約1,000年前に遡る多くの加工レシピがあります。
中国東部の浙江省にある仙居(シエンジュ)古代中国ヤマモモ複合システムは、ヤマモモの栽培が1,600年以上前から行われている地域にあり、多くの村人がお茶や鶏、ミツバチと一緒にヤマモモを育てています。
GIAHSの地区内には10万人の農家がおり、そのうち2万6千人がヤマモモ栽培、複合栽培飼育、その他の関連産業に従事しています。
地区内には、多様な種類と豊富な品種を持つ古代ヤマモモの遺伝資源が数多く蓄積されています。2015年5月、仙居県政府は中国初の県レベルの生物多様性保全行動計画を発表しました。
イランの首都テヘランの北西に位置するカズヴィンの伝統的な庭園は、数千年前から続く洪水拡散システムです。アルボルズ山脈の麓に位置し、街を囲む庭園の造成は、ナッツや地元の珍味を生産するために流域に適応し、流域を利用することで住民を洪水から守ってきました。
洪水を汲み上げ、迂回させ、共有することで、地域社会はカズヴィン一帯で果物を栽培し、育てることができるようになりました。今日、このシステムは人々に食料と雇用の機会を提供するだけでなく、都市の気温を下げ、地下水位を回復させる役割も果たしています。
イラン・トゥイセルカンの伝統的クルミ農業システムは、クルミ園だけでなく、その美味や景観、歴史的建造物でも知られています。 家族農業に基づくクルミ栽培は、この地域の世帯の大部分を支えています。
この栽培は主に渓谷で行われ、様々な高さに設計された用水路を使って灌漑され、主に河川や泉、カナート(Qanats)を水源としています。
この地域の慣行のひとつに、寒冷期と霜の降りる時期にクルミの木に灌漑を行うことがありますが、これは病害虫の駆除に役立つと農民たちは信じています。
済州島のヘニョ(海女)漁業は、伝統的な自給自足の漁業システムで、主に女性によって行われています。「ヘニョ」(韓国語で「海女」のこと)は、呼吸のための機材を使わずに海中に潜り、アワビ、サザエ、ワカメなどの魚介類を採取します。彼女らは長い間、半農半漁の生活を営んできました。
この漁業システムは、女性だけで管理されている世界唯一の漁業であると考えられています。済州海女の潜水技術と伝統的な知恵は、ユネスコの無形世界遺産に登録された生きた社会システムです。
ナビゲーターは、今年6月に中国の浙江省慶元県で開催された第7回東アジア農業遺産学会の機会を利用して、今回認定された「仙居古代中国ヤマモモ複合システム」を訪問しています。実際には多くの農家は甘くて大きい改良種を栽培していましたが、それでも、地区内に、多様な種類と豊富な品種を持つ古代ヤマモモの遺伝資源として1万3千本もの古樹を保存し栽培しているところに重要な意義があると感じました。
また、済州島は2014年に「済州島の石垣農業システム」が世界農業遺産に認定されたこともあって、ナビゲーターも何度か現地を訪問しています。2018年9月には「2018済州海女国際学術大会」で、「日本の世界農業遺産と日本農業遺産における漁業遺産システム」について講演し、日本の海女漁業についても紹介しました。済州島の海女は、日本とはまったくスケール感が異なり、多くの海女が今も漁業を生業にしています。それだけに事故も少なくないそうで、まさに命がけで伝統的な漁業が守られてきたと言えると思います。
10月13日に韓国の錦山(クムサン)郡で「伝統的な高麗人参農業システム」の「世界重要農業遺産(GIAHS)登録5周年記念国際セミナー」が開催されました。クムサン郡は、2016年の第3回東アジア農業遺産学会の開催地であり、それ以前にも世界農業遺産申請のアドバイスのために2回訪問していたので、ナビゲーターにとっては4回目の訪問になりますが、今回はセミナー参加だけの短い訪問でした。
ナビゲーターに与えられた講演のテーマは「日本におけるGIAHSの保全と活用の重要性と優良事例」でした。GIAHSの保全と活用については、ブランド化、ツーリズム(観光)、地域の自信と誇りの醸成に加え、次世代への継承、多様な主体の参加、認知度の向上などについてお話するとともに、優良事例については、高麗ニンジンとお茶という品目の違いはあるものの、加工用原料の生産という点で共通するところの多い「静岡の茶草場農法」を事例として紹介しました。
高麗ニンジンの場合は、生鮮での出荷もありますが、多くは加工用原料として出荷され、工場で高度に加工されます。申請の際には、山間地での伝統的な栽培と、水田での近代的な栽培とを区別したのですが、実際の流通においてこれらが区別されているわけではなく、GIAHSの認定による付加価値の向上等に悩んでいるようすがうかがわれました。
この国際セミナーは、今年で第41回を迎えたクムサン国際高麗ニンジン・フェスティバルの一環として開催されましたが、10日間にわたる会期中には数十万人が訪れるそうで、案内所には日本語のガイドブックも置かれ、日本人の担当者の方もおられました。
2023年11月16日に韓国の水原(スウォン)市に新しくできた国立農業博物館で「国家重要農業遺産10周年国際会議」が開催されました。会場となった国立農業博物館は、日本の農水省に当たる農林畜産食品部(MAFRA)によって昨年12月に設立されたばかりの農業博物館です。韓国では最近まで、この国立農業博物館の設立を検討する「農業歴史文化展示体験館推進チーム」が世界農業遺産を担当していました。ナビゲーターは以前からこの「農業博物館」というものに関心が深く、中国の北京市にある壮大な中国農業博物館や、韓国のソウル市にある農協系の農業博物館などを訪問したことがあり、2013年には韓国で開催された日中韓等による農業博物館に関する「農業遺物の伝統継承・保存・アーカイブに関する国際会議」で日本農業史学会の推薦を受けて講演したこともあります。
さて、話を戻して、「国家重要農業遺産10周年国際会議」では、日中韓の代表が講演とパネルディスカッションを展開しました。日本からは、ナビゲーターと東京大学の八木信行教授が参加し、八木教授はFAOのGIAHS科学諮問グループ委員の観点から「GIAHSの最近のトレンド」と題し、最近の具体的な認定事例をもとに、GIAHSの「動的な保全」(dynamic
conservation)はどこまで受け入れられるのかに関して、「核となる伝統的な価値」が重要であることを指摘されました。ナビゲーターからは、「日本における農業遺産の発展と最近のトレンド」と題し、認知度の向上という国の取組、ブランド化や観光などへのGIAHSの活用、高校生等次世代への継承や認定地域間の連携などの地方自治体の取組、そして東アジア農業遺産学会などの国際的な取組について紹介しました。
国際会議終了後は、主要メンバーで、FAOにGIAHS認定を申請中の慶尚北道ウルジン郡の「ウルジン金剛松山地農業」の現地に行きました。ナビゲーターがここを訪問するのは2回目ですが、前回はセミナーが中心で、あまり現地を見る時間がなかったので、今回は多くの新しい発見がありました。この地域の松は材質がいいので、ソウルの歴史的建造物などの改修に用いられるのですが、主要な松の森林は山林庁が管理し、実際の作業は地域の人々が行う代わりに、彼らは高価なマツタケを収穫することができます。そのマツタケの収入は、老若の収穫量の違いに関わらず平等に配分する慣行があるそうです。前回は森林の保護が強調されていたので、人間の営みとの関係がわかりづらかったのですが、今回はマツタケなどによる地域の人々の生計の確保がよく説明されており、GIAHSの認定も近いのではないかと感じました。
11月25日に静岡県で「東アジア文化都市」の協同プログラムの一環として「農村サステナブルフォーラム」が開催されました。当初ナビゲーターは招待されていなかったのですが、主催した静岡県農地保全課の担当の方々が国際イベントは初めてということで、海外パネリストの紹介やパネリストとの連絡をお手伝いするうちに、フォーラム当日も海外パネリストのお世話をお手伝いした方がいいのではないかと考えるようになり、参加させていただきました。
フォーラムは、農水省世界農業遺産等専門家会議委員の小谷あゆみさんが司会を務め、川勝平太静岡県知事による開会挨拶、このフォーラムの背景となっていた「ふじのくに美しく品格のある邑」の知事顕彰式典などが行われました。続いて、ふじのくに美しく品格のある邑づくり推進委員長をずっと務めてこられた武内和彦IGES理事長が「美しく品格のある邑づくりから見える農村の可能性」と題した基調講演を行いました。武内委員長は、「ふじのくに美しく品格のある邑づくり」を紹介しつつ、グルーバルな視点から、環境、社会、経済のバランスのとれた持続可能な農村の可能性を示されました。
その後、ナビゲーターがお手伝いした海外の専門家として、中国科学院のミン・チンウェン教授が「農業遺産の保全が美しい村の建設に貢献:中国の経験」、韓国釜山大学のイ・ユジック教授が「東アジア文化都市による持続可能な農村景観:韓国における3事例」、ケニア博物館のヘリダ・オイエケ博士(FAOのGIAHS科学諮問グループ委員長)が「世界農業遺産(GIAHS)の農村:グローバルな美しさ、静謐(せいひつ)さ及び持続可能性」と題し、それぞれ講演を行いました。このフォーラムはもともとGIAHSをテーマとしたものではなく、美しく品格のある邑づくりが主要テーマでしたが、海外の専門家はGIAHSをベースに美しい村の建設、農村景観、多様性があり持続可能な農村など、テーマに沿ったかたちでうまくまとめてくれていました。
講演に続き、東京大学の八木信行教授のコーディネートにより、海外のゲストに、相模女子大学の依田真美教授、松崎町の深澤準弥町長も加わって、パネルディスカッションが行われました。
翌日は、海外のゲストらとともに、世界農業遺産「静岡の水わさび」の有東木のわさび田、ふじのくに茶の都ミュージアム、世界農業遺産「静岡の茶草場」のカネトウ美浦園、アーティストと地域の協同によるヌクリハウス(大井川無人駅の芸術祭)の視察を行いました。
ナビゲーターは、さらにその翌日も、中国科学院のミン・チンウェン教授の強い希望により訪れた、山梨県の世界農業遺産「峡東地域の扇状地に適応した果樹農業システム」の現地視察に同行しました。あいにく果樹の時期は過ぎていましたが、ワイナリー、ブドウの長い歴史を示す大善寺、ブドウ園地などを訪問しました。
12月16日に埼玉県武蔵野地域の川越市で「武蔵野の落ち葉堆肥農法世界農業遺産認定記念式典」が開催されました。ナビゲーターが初めてこの地域を訪れてから間もなくちょうど10年になりますので、まさに「苦節十年」です。それだけに、協議会会長を務める三芳町の林伊佐雄町長の主催者挨拶には気持ちがこもっていました。「落ち葉堆肥農法」自体がこの十年間で変わったわけではなく、ナビゲーターは当初から世界農業遺産に値すると確信していましたが、やはり申請書の内容と、その前提となる推進体制の確立が大きな課題でした。それを乗り越えたのが、林町長らのゆるぎない信念と、それを支えた佐久間文乃元観光産業課長らの熱意だったと思います。もちろん協議会の皆さんの協力なしには世界農業遺産の認定は実現しなかったと思います。ほんとうにすばらしいことです。林町長は激務の中、ナビゲーターが事務局を務める東アジア農業遺産学会(ERAHS)に海外も含め、毎回、参加してくださっています。世界農業遺産の認定だけでなく、認定後の戦略を考えておられたのだと思います。
武内和彦IGES理事長の「武蔵野の落葉堆肥農業と世界農業遺産」と題した記念講演も力が入っていました。土壌中の花粉分析によるとこの地域はもともと草原が主体だったのを、人工的に木を植えて平地林を形成し、落ち葉堆肥により肥沃な土地に改変していったことなどを強調されました。
記念式典には、国会議員、県議会議員をはじめ、堀光敦史埼玉県副知事、藤河正英農水省鳥獣対策・農村環境課長など多くの重責を担う方々が出席されていました。この地域がこれだけ多くの方々に支えられているということを強く実感しました。
2024年は、農水省による世界農業遺産・日本農業遺産の募集が行われる年です。前回の募集では、コロナ禍の影響などで応募が少なかったので、今回はたくさんの応募があることを期待しています。
また、2024年には、日本の岐阜県で第8回東アジア農業遺産学会(ERAHS)が開催されます。今のところ8月上旬の開催の可能性が高いと聞いていますが、また、決まり次第、本シリーズでもご紹介したいと思います。
2024年が世界農業遺産にとって新たな飛躍の年になることを願っています。
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