2018年3月9日、国連食糧農業機関(FAO)において審査が行われていた静岡県わさび栽培地域及び徳島県にし阿波地域が、世界農業遺産(GIAHS)に認定され、日本にある世界農業遺産は11地域になりました。1月から2月にかけて中国の2地域、4月に入ってからポルトガルの1地域が世界農業遺産に認定されたので、世界農業遺産は合わせて20か国の50地域になりました。
今回は、新たに認定されたこれらの世界農業遺産とともに、その認定証の授与が行われた4月19日にローマで開催されたGIAHS国際フォーラムなどについて紹介します。
2017年3月、FAOに設置されたGIAHS科学アドバイザリーグループ(SAG)の第6回会合がローマで開催され、新しいGIAHSの認定などについて審議が行われました。SAG会合では、SAGメンバーによる現地調査の報告を含めた総合的な評価が行われ、[1]認定、[2]申請書の修正と再提出、[3]却下のいずれかに決定されますが、このうち[2]申請書の修正と再提出とされたものは、その後、申請書の修正が行われ、SAGに再提出されて、委員に回付されて審査が行われているようです。
そのため、第5回会合で修正と再提出が求められた中国の「夏津の古代黄河河道の伝統的桑システム」と「南部山岳丘陵地域の棚田システム」の2サイトがそれぞれ1月と2月にGIAHSに認定されました。また、第6回会合では、日本の「静岡水わさびの伝統栽培 -発祥の地が伝える人とわさびの歴史-」と「にし阿波の傾斜地農耕システム」が、申請書の修正要求なしにGIAHSに認定され、ポルトガルの「バローゾの農業林間放牧システム」は申請書の修正と再提出を条件に認定が合意されたようです。
中国、ポルトガルの3サイトについては後ほど紹介するとして、まずは日本の2サイトについて、特にナビゲーターが何度か現地に足を運んだ徳島の「にし阿波の傾斜地農耕システム」を中心にその概要を紹介します。
徳島県西部の美馬市、三好市、つるぎ町、東みよし町からなる「にし阿波」と呼ばれる山間部では、場所によっては素人では歩くのも困難なような斜度40度にもなる急傾斜地で、段々畑のような水平面を形成せずに、傾斜地のまま農耕が行われています。ここでは、風雨などで起こる土のずれ落ちを石で止めたり、独自の農機具を用いてずれ落ちた土を元に戻したり、草地で採取した敷き草(カヤ)を畑にすき込んだりすることで土壌の流亡を最小限に抑えています。このような急傾斜地の農地を利用し、そば等の雑穀や伝統野菜に山菜、果樹など少量多品目を組み合わせた複合経営により、山間地の環境に適応した持続的な農業が400年以上にもわたり継承されてきました。これにより、採草地の多様な動植物や焼畑農法の流れを汲む、日本の原風景ともいえる山村景観、保存食への加工や食文化、そして農耕にまつわる伝統行事などが人々の手によって守られ継承されています。
ナビゲーターが初めてこのにし阿波地域の現地を訪れたのは2014年の3月でした。このときは、阿波歴史民族研究会会長で鳴門渦潮高校教諭の林博章先生らにご案内いただいたのですが、林先生は早くからこの地域の伝統的な農業に着目され、独自の活動を続けておられたようです【1】。ただ、よくあることですが、地元の方々にとってはこのような農業景観は日常そのものであり、そのときは世界農業遺産といっても今一つピンと来ていないような感じでした。しかし、その後、つるぎ町役場の篠原尚志商工観光課長らが熱心に地元の方々に働きかけられたようで、2014年11月にナビゲーターが所属する日本農業史学会のメンバーによる科学研究費助成事業(科研費)の研究チーム(代表:玉真之介徳島大学教授)が現地を訪問し、地元の方々にお会いしたときには、みなさん目を輝かせて世界農業遺産認定への意気込みを語られていました。2015年3月には、徳島大学主催の「にし阿波を世界農業遺産にする」というシンポジウムで現地に招かれたナビゲーターが、基調講演をさせていただきました。
その間もその後も、つるぎ町の篠原課長らは何度も国連大学に来られ、ナビゲーターらと申請に向けての戦略を練ってきました。それだけに、2014年の「世界農業遺産(GIAHS)の認定申請に係る農林水産省が承認する地域」【2】に、にし阿波地域が含まれなかったときはたいへん残念な思いでした。当時からこの地域は世界農業遺産に値すると確信していましたが、この地域はある意味で典型的なボトムアップ型の申請で、県庁がトップダウン型でリーダーシップをとって行うような申請と比べて、マンパワーなどの面で後れをとっていたことは否めませんでした。
それでも捲土重来で地元の皆さんの力で申請書を改善され、2017年には日本農業遺産に認定され、世界農業遺産への認定申請に係る承認を行う地域【3】にも決定されました。同年9月に農林水産省からFAOへの認定申請が行われ、11月にFAO・SAGメンバーによる現地調査、2018年2月に申請書・アクションプラン等(最終版)の提出を経て、3月9日のFAO・SAG委員会において世界農業遺産に認定されたのです。当日の夜遅くに篠原課長からナビゲーターの携帯電話に喜びの一報がはいりました。
にし阿波地域と同時に認定されたのが、静岡県内の清流で生産される「静岡水わさびの伝統栽培」でした。
わさびは、英語名も「WASABI」で世界的にも日本を代表する日本特産の香辛料です。日本列島で独自の進化を遂げた固有種で、自生する野生のわさびが日本各地で見られます。一方で、わさびは、豊富な降雨が生む豊かな森と湧水に恵まれた環境でしか育むことができない、貴重な作物です。
この地域では、約400年前の江戸時代初期に世界で初めて栽培が始まり、長い歴史の中で地域に適した数多くの品種・系統と栽培技術が生み出されてきました。農作物の生産が難しい森林に囲まれた環境の中で、山の傾斜に沿って沢を階段状に開墾してわさび田を作り、肥料を極力使わず豊富な湧水に含まれる養分で高品質なわさびを生産する技術が発展してきました。特に、明治25年頃に開発された「畳石式」と称される栽培方式は、生産量を飛躍的に向上させました。
わさび田は、わさびを強い日差しから守るために植栽されたヤマハンノキと相まって、独特の景観を織り成しています。また、緩やかな水の流れは、ハコネサンショウウオなどの希少な生物に生息環境を提供しています。
ナビゲーターは、個人的には何度か伊豆半島など静岡県のわさび産地を訪れたことがありますが、農業遺産サイトとしてはまだ行ったことがなく、近いうちにぜひ一度訪問してみたいと思っています。
日本の2サイトに前後してGIAHS認定が公表された中国とポルトガルのサイトについても、その概要を紹介したいと思います。
夏津(Xiajin)の古代黄河河道の伝統的桑システムは、黄河が東周時代に河道を変えたときに残した古代の河道の砂地の上にあります。桑の木は、砂嵐を防ぎ、農産物を提供するために植えられ、その歴史は11世紀に始まりました。遺産システムは400ヘクタール以上の面積をカバーし、樹齢100年以上の2万本以上の桑の木があります。
以前紹介したように、ナビゲーターは昨年7月のERAHSの前に、FAOの科学助言グループのメンバーとしてGIAHS申請地域の現地調査を行う武内教授に同行して、この現地を訪問しました。もともとは桑を植えてカイコを飼っている地域でしたが、現在は、桑の葉をお茶にしたり、桑の実をワインに加工したり、桑の木に生えるキノコを利用したりなど、カイコの飼育に代わる桑のさまざまな利用方法を開発しています。
一定の地域を囲い込んで観光資源になる伝統的な農業を開発から守り観光収入を確保するとともに、地域の農産加工企業がGIAHS認定によって加工品のブランド価値を高めるという、典型的な中国のGIAHSサイトのように感じられました。
中国は山が多い国であり、山岳地域が国土の約3分の2を占めていることから、棚田開発の長い歴史があり、山岳地帯に住む古代の人々は、生計を立てるために、地元の状況に応じた棚田のパターンを作り出しました。何百年もの間、山に沿って設けられた棚田は、地元の農作業の条件を改善するだけでなく、穀物の生産量を増やし、また、山岳地帯の生態系を支え、農業の持続可能な発展に大きく貢献してきました。
特に、中国の南部では、米を栽培するための平野が不足していたため、古代の移民は棚田を開発することで、丘陵地域で米を栽培することを可能にしました。中国の棚田は主に長江の南にある山間部に分布していますが、これらの地域では、山に沿って棚田が設けられています。今回の認定は、湖南省新化紫鹊界(Xinhua Ziquejie)棚田、広西チワン族自治区竜勝竜脊(Longsheng Longji)棚田、江西省崇義(Chongyi)客家(ハッカ)棚田、福建省尤渓聯合(Youxi Lianhe)棚田があり、いずれも亜熱帯の中国の棚田の典型的な代表例です。
これらは、もともとは別々の申請だったようで、それぞれが百ページずつ以上あり、合計すると5百ページを超えるような膨大な申請書でした。FAOのSAGでは、別々の申請書を単に合わせるだけではなく、一つの体系的な申請書にするよう指示されたようです。それにしても、中国にはいたるところに棚田があり、すでに2010年にはハニ族の棚田も認定されています。どこまで棚田を認定していくのかという感もありますが、さらなるポテンシャルを秘めているところに、中国の長い歴史と広大な国土の中の多様性を実感します。
バローゾは、既存の農業システムが土壌や気候条件の影響を強く受けているペネダ・ゲレス国立公園の一部を統合した北ポルトガルの自然のランドスケープ構成であり、小規模農地やウシ、ヒツジ、ヤギの牧畜や養豚業が地域の農業経済の中心で、地域住民の生計に大きく貢献し、重要な社会的役割を果たしています。
何千年もの間の人間の営みによって、ポルトガル北部のこの地域は、農業、林業および放牧のための人間活動によって特徴づけられる土地所有パターンを示しており、たいへん意義があり比較的損なわれていない環境の地域がまだ残されています。
これは、山岳地帯の典型的な農村の自給自足経済を維持しており、インプットの利用率が低く、余剰が少なく、国内の他の地域に比べて人々の消費が比較的少ないシステムです。
FAOのGIAHSウェブサイトには以上のように書かれており、世界的な重要性が今一つわかりにくい内容で、ポルトガルからの初めての申請ということが有利に働いたのではないかという気もする一方で、まだまだ認定の少ないヨーロッパからの認定を活発化させるきっかけになればと期待しています。
2018年4月19日、ローマのFAO本部でGIAHS国際フォーラムが開催されました。これは、2013年に石川県の能登で開催された「世界農業遺産国際会議」のあと5年ぶりに開催されるもので、実質的には5回目のGIAHS国際フォーラムになります。
今回のGIAHS国際フォーラムは3つのセッションで構成されており、セッション1は各国のGIAHSに関する経験と学んだ教訓、セッション2は2016年以降新たにGIAHSに認定されたサイトへの認定証の授与、セッション3は新しいGIAHSサイトのプレゼンテーションとGIAHS活動のレビューでした。セッション1では、日本の古田肇岐阜県知事が基調講演を行い、続いて中国、イタリア、スペイン、タンザニアの副大臣らが経験と教訓について意見交換しました。セッション2では、セレモニーの中で日本の3地域も認定証を授与されました。セッション3では、新たに認定されたサイトによるプレゼンテーションに続き、既存サイトのチリ、ペルー、モロッコ・チュニジア、農業生態学、生物多様性、ユネスコ世界遺産の関係者が講演しました。
ナビゲーターは残念ながら今回は日程の都合で参加できませんでしたが、国連大学からは同僚のイヴォーン・ユー研究員が参加しました。
このたび、ナビゲーターがアドバイザーを務める国連大学サステイナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティングシステム・ユニット(UNU-IAS OUIK)が、「世界農業遺産への道のり -国連大学と地域の歩み-」を刊行しました。国連大学UNU-IASは、世界農業遺産が発足した2002年からFAOに協力し、2009年からは日本においてもGIAHSのコンセプトを広めてきました。ナビゲーターは本書の責任編集者の一人として、アジアを中心に各GIAHS地域とともに歩んできた世界農業遺産認定への道のりを記録するため、これまでお世話になってきた国内外のGIAHS関係者に寄稿をお願いしました。
本書は、UNU-IASがこれまで地域社会やさまざまなステークホルダーと連携しながら、貴重な農業遺産システムの保全のために、GIAHS認定に向けて取り組んできた過程を紹介するとともに、日本とアジア各地のGIAHSの経験から、持続可能な地域づくりに向けたGIAHSの価値を改めて問い直しています。以下( http://ouik.unu.edu/wp-content/uploads/Road_to_GIAHS.pdf )からダウンロードできますので、ぜひご一読ください。
いよいよ2018年8月26日から29日まで世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」のサイトである和歌山県のみなべ町・田辺市で第5回東アジア農業遺産学会(ERAHS)が開催されます。
東アジア農業遺産学会は、2013年から日本、中国、韓国の3か国が毎年持ち回りで開催しているもので、昨年度は中国の湖州市で開催されました【4】。FAOや農林水産省など関係国の政府機関にも参加をいただいており、学術的な交流の場だけでなく、農業遺産の認定地域の活動の交流の場にもなっています。
ナビゲーターが日本の事務局長を務めており、今回は約300名の規模を想定して、世界農業遺産の認定地域、日本農業遺産の認定地域を中心にすでにご案内を差し上げているところです。ご関心のある方はナビゲーターまで直接ご連絡ください。
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