9月にオーストリア、インドネシア、サントメ・プリンシペの3地域が新たに世界農業遺産(GIAHS)に認定され、世界農業遺産認定地域数が28か国89地域となりました。また、11月にFAOが中国で「世界農業遺産(GIAHS)に関するハイレベル研修と経験の共有」(以下「GIAHSハイレベル研修」)を開催しました。
今回は、新たに世界農業遺産に認定された3地域と、FAOのGIAHSハイレベル研修を中心に、最近の農業遺産をめぐる動きについて紹介します。
9月19日に開催されたGIAHS科学諮問グループの会合で、「オーストリアのユニークな鯉養殖池」(オーストリア共和国)、「バリ島カランアセムのサラック(スネークフルーツ)・アグロフォレストリーシステム」
(インドネシア共和国)、「サントメ・プリンシペのココア・アグロフォレストリーシステム」(サントメ・プリンシペ民主共和国)の3地域が、新たに世界農業遺産(GIAHS)に認定されました。インドネシアとサントメ・プリンシペからは初めての認定です。これで世界農業遺産認定地域数は28か国の89地域となりました。
中でも、ナビゲーターはインドネシアの世界農業遺産認定にとても感慨深いものがあります。実はナビゲーターは30年ほど前にJICA専門家としてインドネシア農業省に勤務していたことがあり、若干の土地勘とインドネシア語が理解できることもあって、2015年にFAOから依頼を受けて、世界農業遺産の申請を支援するために、当時、申請書を執筆していたボゴール農家大学のハディ教授と一緒に、1週間ほどバリ島の現地に入ったことがあります。いろいろ試行錯誤した末に申請書をまとめてFAOに申請したのですが、やはり時間不足で内容を詰めきれず、そのときは認定を見送られてしまいました。あれから約10年、サラックというバリ島の有名なフルーツに焦点を絞った結果、今回ようやく世界農業遺産に認定されました。ハディ教授にお祝いのメールを送ったところ、お礼とともに、ぜひまた一緒にカランアセムに行きたいねという返信がありました。
それでは、今回認定された3地域をFAOのウェブサイトから簡単に紹介します。
ニーダーエスターライヒ州ヴァルトフィアテル地方の鯉の養殖池は、900年の歴史を持つユニークな養殖システムである。低密度の飼育密度と伝統的な手法により、周辺の森林とつながる生物多様性に富んだ池の生態系が維持されている。
この持続可能な慣行は、生物多様性を支え、水資源を保全し、高品質の鯉や革新的な魚製品を生産することで文化遺産を保護している。この養殖システムは、鯉の販売だけでなく、アグリツーリズムの推進や、鯉の皮をアクセサリーに加工する革新的な利用法を通じて、地域経済を支えている。
池は食料生産以外にも、保水、洪水防止、二酸化炭素の吸収といった生態系サービスを提供し、地域の微気象の調整に役立っている。 また、鳥類、昆虫、水生生物など、さまざまな生物種の重要な生息地としても機能しており、地域の生物多様性の維持にも貢献している。
この多様な生態系の維持は、鯉やその他の生物種の遺伝的多様性の維持にも役立っており、これは将来の環境変化への適応に不可欠である。
バリ島で最も乾燥した地域であるカランアセムのこのアグロフォレストリーシステムでは、蛇の皮のような外皮を持つことから「スネークフルーツ」とも呼ばれるサラックの栽培と、多様な作物の栽培を統合している。このシステムは、伝統的な水管理システムであるスバックを利用し、バリの先住民によって開発された。
これにより、生物多様性が向上し、水が保全され、炭素が隔離され、食料安全保障が支えられるとともに、文化遺産が保護され、地域住民の生活が維持されている。
サラックヤシのあらゆる部分が利用され、無駄のない作物となっている。この手法により、持続可能性と資源効率が向上する。一方、このシステムでは、サラックヤシの栽培をマンゴー、バナナ、薬草など、さまざまな作物と組み合わせ、生物多様性に富んだ豊かな農業景観を作り出している。
バリの伝統的な哲学である「トリ・ヒタ・カラナ」や「トリ・マンダラ」に根ざしたこのシステムは、人間、自然、精神性の調和的な関係を反映しており、ユネスコ文化的景観にも登録されている。
※注 トリ・ヒト・カラナは、幸福な生活に必要な三つの要素、すなわち、「神」、「人」、「自然」の三つが調和することで、人々は幸福に生きることができるというバリ・ヒンドゥー教の哲学です。
また、トリ・マンダラは、三つのマンダラの概念で、「神聖な地域」、「居住地域」、「墓地、農業地域など」のレイアウトを表し、同じくバリ・ヒンドゥー教の哲学です。
サントメ・プリンシペのココア・アグロフォレストリーシステムは、高品質のアメラード・ココアで知られている。このシステムは、食料安全保障の向上、農家の生計の強化、文化遺産の保全、生物多様性の維持を目的として、多様な作物を栽培する伝統的な農業と組み合わせている。奴隷制度、不平等、紛争の歴史にもかかわらず、このシステムは、持続可能な慣行と開発の構築に対する人々の献身的な取り組みの強靭性を象徴している。
カカオは輸出収入の主要な源であるが、バナナ、パンノキ、タロイモなどの多様な作物を統合することで、さらなる食料源と収入源が確保され、市場の変動や環境ストレスに対する回復力が強化される。
サントメ・プリンシペの熱帯雨林は、世界的な保護優先地域であり、アフリカの75の森林の中で、鳥類と野生動物の保護において2番目に高い評価を受けている。この国は有機農業のリーダー的存在であり、農地の25パーセント以上が有機生産の認証を受けている。
地元の協同組合は高品質で公正な取引の製品に焦点を当て、男女両方を巻き込み、ジェンダーの平等を推進し、農家の生活を改善している。
11月3日から10日まで、中国浙江省の湖州市と仙居県で、FAOの「世界農業遺産に関するハイレベル研修と経験の共有」が開催されました。この研修は、FAOのGIAHSプログラムとFAO-中国南南協力(SSC)プログラムが共同し、中国農業農村部の国際協力センター(CICOS)が実施しました。この研修には、アフリカからケニア、タンザニア、アジアからバングラデシュ、中国、イラン、日本、韓国、スリランカ、タイ、ヨーロッパからオーストリア、イタリア、ポルトガル、スペイン、中南米からブラジル、エクアドル、ペルー、中近東・北アフリカからエジプト、モロッコの代表が参加するとともに、FAOのGIAHS事務局とSSC事務局、さらにはGIAHS科学助言グループに新たに指名された2名の委員も参加しました。
FAOの研修の多くは開発途上国だけが対象ですが、今回の研修は、GIAHSに関する経験の交流に重点が置かれていたため、日本や韓国、ヨーロッパの先進国も招待を受けました。日本からは、農水省の方が事情で参加ができなかったため、ナビゲーターが代わりに参加させていただきました。実は、2018年にも中国浙江省で同様の研修が開催され、そのときにはナビゲーターは講師として参加していました(本シリーズ第13回参照)。
今回の研修では、FAOと中国の専門家が講師を務めるとともに、各国の参加者が毎日数名ずつそれぞれの国のGIAHSの紹介、GIAHSに参加した理由と期待、直面する主要課題、実施中の動的保全の事例、さらに先進国はGIAHSを支援する利点について、短時間のプレゼンテーションを行いました。プレゼンテーション後は熱心な質疑応答が繰り広げられ、ナビゲーターも積極的に日本の経験を紹介しました。
参加者は、研修中だけでなく、食事などを共にする中でもいろいろな話をし、親交を深め合いました。それぞれの国の事情は違っても、GIAHSを大切にする気持ちは同じで、まさに「GIAHSファミリー」という言葉がぴったりの感じでした。
このような研修に資金を提供し、リーダーシップを発揮する中国は、正直、やはりGIAHSにおいてはすごいなと感じざるを得ませんでした。
FAOのGIAHSハイレベル研修は、世界農業遺産「湖州の桑基魚塘システム」のある浙江省湖州市で開催されました。
湖州市は、上海から車で約2時間半、杭州から約1時間半のところに位置し、湖州の名前のとおり、揚子江の河道の変更によってできた多くの湖があります。
この地域では、2500年以上前から、「桑基魚塘」と呼ばれる伝統的な養蚕と漁業が複合的に営まれてきました。これは、湖を利用した養魚池で魚を飼い、その栄養豊富な湖底の泥を養魚池の周りに積み上げて桑を栽培し、その桑をカイコに食べさせて、そのカイコの残渣をまた魚の餌にするという循環的なシステムです。
GIAHSハイレベル研修が行われた「荻港漁荘」という民営の複合施設では、宿泊施設やレストランのほかに伝統的な養蚕について学べる体験型の施設が整備され、お茶、お菓子、飲料などさまざまな桑の葉や実の加工品が生産・販売されていました。また、近くには、桑基魚塘の散策路が整備され、大きく育った魚を収穫する体験イベントなども行われていました。
実は、ナビゲーターがここを訪問するのは、2017年、2018年に続いて3度目で、湖州の方たちは東アジア農業遺産学会(ERAHS)にも何度か参加されているので、顔見知りの方がたくさんいます。この6年間の間に現地は大きく様変わりしていました。より観光面に力が入れられている感じで、桑基魚塘の景観を展望できるタワーを新設したり、全国の無形文化財を集めて展示する博物館がごく最近オープンしたりしていました。荻港漁荘だけでも約600名の地元住民を雇用しているということで、やはりビジネスをうまく活用することが世界農業遺産の保全にとっても重要だと感じました。
GIAHSハイレベル研修の4日目には湖州からバスで片道3時間半をかけて、同じ浙江省の仙居県にある世界農業遺産「仙居の古楊梅複合システム」を訪問しました。この地域では、1600年前から栽培されているヤマモモを今も栽培しながらその遺伝資源を保存するとともに、お茶、養鶏、養蜂との複合経営を行っています。
実は、ナビゲーターはこの地域も昨年の6月に一度訪問しています。そのときはちょうどヤマモモの収穫最盛期で、関心はほとんどヤマモモに集中していたのですが、今回はヤマモモのシーズンではなく、むしろお茶が目立っていました。訪問時期が違うと、こんなにも景観が変わるものかということを実感しました。短い時間でしたが、ヤマモモ-お茶-養鶏-養蜂の複合システムを再認識でき、有意義な訪問でした。
GIAHSハイレベル研修とほぼ同じ時期に、湖州から車で30分ほどのところにある徳清県というところで、約2百名が参加する中国の第8回農業文化遺産全国会議が開催されていました。その代表を務めていた古くからの友人であるミン教授から、ナビゲーターと韓国の代表に、その会議で基調発表をしてほしいと急な依頼がありました。驚きましたが、事務局の了解を得て、5日目の午後からそちらに参加することにしました。
この地域は、「浙江省徳清の淡水真珠養殖複合システム」としてFAOに世界農業遺産の申請書が提出されています。水面に近いところで淡水真珠を養殖し、その下の深いところで魚を養殖するなど、水質の浄化を図りながら、ドブガイ(真珠の養殖)-魚-穀物-桑-家畜の複合養殖モデルを形成しています。1968 年に中国初の淡水真珠の養殖に成功して以来、OSM という会社を中心に真珠関連の産業が発展しています。
ナビゲーターは淡水真珠についてはあまり知りませんでしたが、海の真珠と違って、1つの貝に20個ほどの真珠が入っています。ただ、宝石になるような真珠は少なくて、9割は粉末にして化粧品の原料になるそうです。
さて、翌日の午前中から第8回農業文化遺産全国会議が開催され、ナビゲーターは「日本における農業遺産の保全と持続的な利用」と題して短い基調講演を行いました。中国の農業遺産の著名な専門家や地域のリーダーの前で、日本の農業遺産を紹介することができたのはたいへん幸運だったと思います。
世界農業遺産の申請書を評価するFAOのGIAHS科学助言グループ(SAG)は、多様な地域と専門分野を代表す9名のメンバーで構成されていますが、そのうち4名の専門家が新たなメンバーに指名されました。新たに指名されたのは、アイシャ・バムン(中東・北アフリカ代表、生物多様性保全、科学・技術・イノベーション、SDGsを専門とするフリーランス・コンサルタント)、アグネス・ウェケショ・ムワンゴムベ(アフリカ代表、ナイロビ大学植物病理学名誉教授)、アリ・キア・ラド(アジア・太平洋地域代表、農業経済学准教授、農業計画・経済・農村開発研究所(APERDRI)所長)、タニア・ユーラリア・マルティネス・クルス(ラテンアメリカ・カリブ海地域代表、メキシコ出身の先住民で学際的な研究者)の4名です。
継続メンバーは、ホセ・マリア・ガルシア・アルバレス・コケ(議長、バレンシア工科大学応用経済学教授)、キャサリン・タッカー(副議長、フロリダ大学経済・環境人類学教授)、ウェンジュン・ジャオ(中国科学院地理科学・自然資源研究所(CAS-IGSNRR)准教授)、ノーマ・ルス・ヴァラス(メキシコ在住のチリ人建築家)、ティツィアーノ・テンペスタ(パドヴァ大学土地・環境・農業・林業学部農業経済学教授)の5名です。ジャオ・ウェンジュンさんはナビゲーターらとともに東アジア農業遺産学会の中国の事務局を担当してきた方であり、このような方がSAGにおられるのは心強い限りです。
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