2011年6月に新潟県佐渡地域の「トキと共生する佐渡の里山」と石川県能登地域の「能登の里山里海」が日本で初めての世界農業遺産に認定されてから10年が経過しました。この間に、世界農業遺産11地域、日本農業遺産22地域が認定され、それぞれの認定地域が農業遺産を活かした地域の活性化に取り組んでいます。
また、農林水産省は、先般、農業遺産認定地域が観光促進に取り組む際の参考資料「観光戦略づくりの手引き」とともに、「農業遺産・かんがい施設遺産を旅しよう(ヘリテージツーリズム)」ウェブページとリーフレットを作成しました。
今回は、日本で初めての世界農業遺産の認定から10年が経過し、他の遺産制度との連携による観光促進など新たな展開が期待される日本の農業遺産を中心に、最近の農業遺産をめぐる動きについて紹介します。
2011年6月、中国の北京で開催されたGIAHS国際フォーラムで、新潟県佐渡地域の「トキと共生する佐渡の里山」と石川県能登地域の「能登の里山里海」が日本で初めての世界農業遺産(GIAHS)に認定されてから10年が経過しました。この間に、日本の世界農業遺産は11地域が国連食糧農業機関(FAO)によって認定され、2016年に創設された日本農業遺産は22地域が農林水産大臣によって認定されています。それぞれの認定地域は、農業遺産を活かした農産物のブランド化、観光振興などを通じて、地域の活性化に取り組んでいます。
実は、昨年11月下旬に、ナビゲーターが日本の事務局を務める東アジア農業遺産学会(ERAHS)の中国の事務局から、「Journal of Resources and Ecology」という中国科学アカデミーが主管する英文の学術誌がGIAHS特集号を組むので、日本からも論文を投稿しないかという案内がありました。そこで、日本の関係者に投稿を呼び掛けたのですが、提出期限が1月末と時間が短かったせいか希望者が見つからず、結局、ナビゲーター自身が「日本における世界農業遺産の10年」というテーマで、国連大学時代の同僚のイヴォーン・ユー研究員と共著で投稿することになりました。
投稿した論文の要約は、「日本でGIAHSの活動が始まってから約10年が経過し、これまでに11地域がGIAHSに認定された。2016年からは、レジリエンス、多様な主体の参画、6次産業化を考慮した日本農業遺産の認定も始まり、これまでに15地域が認定された(注:これは投稿時点の1月の数字で、現在は22地域)。GIAHSは、ランドスケープ型、農法型、遺伝資源保全型などに区分されるが、日本のGIAHSはランドスケープ型が多い。また、日本では農業遺産地域が自主的にネットワークを形成し、また、農業遺産の認定地域には国からの補助金がなく、自助努力が基本となっていることが特徴である。このため、今後は若い世代への継承を含め、GIAHSの認知度を高める必要があるとともに、日中韓を中心に、農業遺産に関する経験や知見の国際的な交流を推進することが重要である。」というものです。
日本の世界農業遺産は最初に認定された佐渡や能登をはじめ「里山」のようなランドスケープ型が多いのですが、最近のFAOは、直接関連する農地のみを含むサイトのマッピングと境界を強調し過ぎており、ランドスケープとその周辺環境との複雑さと接続性についての認識が弱いことなども指摘しました。
査読者から多くの指摘を受け、大幅な修正を余儀なくされましたが、最終的には何とかアクセプトされ、掲載されることになりそうです。
農林水産省は、「令和2年度ヘリテージツーリズム推進検討委託事業」の成果の一つとして、世界農業遺産・日本農業遺産や世界かんがい施設遺産を観光コンテンツとして活用する際の検討の手順を整理した「観光戦略づくりの手引き」を作成しました。
この手引きは、第1章では、世界農業遺産・日本農業遺産や世界かんがい施設遺産の認知度、訪問意向、世間のイメージの現況をWebアンケート調査結果から概観し、これを踏まえて、観光戦略を検討する上で留意すべきと考えられる点について、共通する事項を「基本方針」として集約しています。「基本方針」の重要なポイントとしては、他の観光資源との組み合わせによる「+αのストーリー構成」、「非日常感」と「食」の考量、自然資源、文化資源としての独自のポテンシャルの活用、目的に応じた情報発信の展開を挙げ、地域住民の「生活に密着」していることと、古くから人々の暮らしを支え続けてきた「持続可能性」があることが特徴的な価値であるとしています。
また、第2章では、観光マーケティングのプロセスに則った「観光戦略」の検討手順として、①環境分析、②戦略策定、③施策展開という3つのフェーズに分けて、観光マーケティング活動の全体像を紹介しています。
まず、①環境分析では、社会情勢、顧客・市場動向等の「外部環境分析」、顧客、商品・サービス、人材・組織、財務等の「内部環境分析」を踏まえ、各地域の強み、弱み、機会、脅威を確認する「SWOT分析」を行います。
次に、②戦略策定では、セグメンテーション(市場の細分化(旅行形態別、性別、年齢別、国籍別、所得別、来訪回数別、観光目的別、関心テーマ別等)、ターゲティング(施策を集中する標的市場の決定)、ポジショニング(自地域の明確化=他地域との差別化)からなるSTP分析を行います。
そして、③施策展開では、マーケティング・ミックス(7Pと呼ばれるProduct、Price、Package、Promotion、Place、Personnel、Partnership)の観点から、観光資源としての魅力向上、戦略的な情報発信、受入態勢づくりという3本の柱で施策を策定し、展開します。
なお、この手引きでは、熊本県の阿蘇地域(世界農業遺産)と菊池のかんがい用水群(世界かんがい施設遺産)をモデルケースにして、コンセプトやターゲットを明確にした観光モデルコース(例)を示しています。
また、「農業遺産・かんがい施設遺産を旅しよう(ヘリテージツーリズム)」のリーフレットでは、農業遺産・かんがい施設遺産を巡るモデルコースと、国内全ての農業遺産・かんがい施設遺産を一覧で紹介しています。
ナビゲーターは、2014年11月に新潟県佐渡市で開催された「ワンダーアイランド佐渡─3つの宝物をもつ島を知る」シンポジウムにパネリストとして招かれました。佐渡は、佐渡金銀山が2010年に世界遺産暫定一覧表に記載され、2011年に世界農業遺産、2013年には「日本ジオパーク」にも認定されました。佐渡では、この3つの遺産を連携させて佐渡の魅力を島内外に発信し、世界遺産登録に向けた機運の醸成を図りたいということでした。
また、国連大学では、岐阜県と石川県をモデルに「世界農業遺産、UNESCO世界遺産などの広域連携とその活用方策」を以前から提唱してきました。世界的な遺産というと、やはり何といってもユネスコが最も有名であり、ユネスコでは世界遺産のほかにも、エコパーク、世界無形文化遺産などの世界的な遺産の制度をもっています。FAOのGIAHSを日本語で「世界農業遺産」と名付けたのも、知名度の高い「世界遺産」にあやかりたいという気持ちがあったと聞いています。
今回、農林水産省が「世界かんがい施設遺産」との連携による観光促進を提唱されたのは、同じ農林水産省が担当している遺産制度だからでしょうが、たいへん有意義なことだと思います。
ちなみに、「世界かんがい施設遺産」は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全に資することを目的として、建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰するために、国際かんがい排水委員会(ICID)によって創設された制度です。2020年までに15か国で107施設が登録されています。中でも日本が42施設と最も多く、次いで中国が23施設で、この2か国で全体の約6割を占めており、日本や中国が歴史的なかんがい施設を大切に保全してきたことがうかがわれます。
FAOの世界農業遺産(GIAHS)プログラムは、今年5月に、一部の専門家を入れ替えて、2021年から2022年までの期間を担当する科学諮問グループ(SAG)を編成するプロセスを開始し、ヨーロッパ、北アメリカ、アジア太平洋地域を代表する3人の新しい専門家と、地域要件のない2人の新しい専門家の合計5人の専門家を募集しました。
GIAHS科学諮問グループは、地域と性別のバランスを考慮し、個人の専門家として、FAOの事務局長によって指名された9人のメンバーで構成され、GIAHS申請書を評価し、GIAHSを認定する最終決定を下します。日本からは、八木信行東京大学教授がメンバーになっています。
山梨県峡東地域、滋賀県琵琶湖地域、兵庫県兵庫美方地域の3地域は、2019年10月にFAOへ世界農業遺産への申請書類を提出しましたが、その後、コロナ禍の影響でFAOによる現地調査が実施できず、未だ認定に至っていません。新しいGIAHS科学諮問グループのメンバー構成が注目されるところです。
韓国農林畜産食品部は、今年5月、全羅南道の「康津(カンジン)ヨンバンジュク生態循環水路農業システム」を第16号国家重要農業遺産に指定しました。これは、全羅南道康津郡一帯の自然環境を克服するために、ヨンバンジュクと呼ばれる水の貯蔵・供給機能のある小さな貯水池の間で水を二重・三重に交換して活用する方式です。
また、韓国海洋水産部は、今年3月、慶尚北道の蔚珍・鬱陵(ウルチン・ウルルン)地域で石ワカメを採取する伝統漁業方式である「石ワカメ・テベ採取漁業」を第9号国家重要漁業遺産に指定しました。これは、桐などの丸太を編んで作ったテベと呼ばれるいかだでワカメのついている岩の群落まで移動して、ワカメを採取・運搬する伝統的な漁業です。
一方、中国ではこれまで5次にわたって118の中国重要農業文化遺産が認定されてきましたが、昨年12月から今年5月まで、第6次の中国重要農業文化遺産を募集しました。
日中韓の世界農業遺産関係者が学術・地域交流を行うために、毎年、持ち回りで開催する東アジア農業遺産学会(ERAHS)は、今年の秋に中国の浙江省慶元県で開催されることになっていました。本来は昨年秋に開催される予定だったものがコロナ禍のために1年間延期されていたのですが、残念ながら今年の開催も見送られ、来年に延期されることが決定しました。このため、来年に予定していた日本での開催も1年延期され、再来年に持ち越されることになりました。
新型コロナウイルスの感染状況は予断を許しませんが、それでも徐々にオンラインだけでなくオフライン(現地)でのイベントも増えてきているように感じられます。今年は、日本で初めて世界農業遺産に認定された新潟県佐渡地域の「トキと共生する佐渡の里山」と石川県能登地域の「能登の里山里海」が認定10周年を迎え、それぞれの地域で関連イベントが計画されていると聞いています。
コロナ禍で発見したオンラインでのイベント開催の有利性なども引き続き活用しながら、世界農業遺産の取組がさらに進展することを期待しています。
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