2017年12月12日、宮城県大崎地域の「持続可能な水田農業を支える『大崎耕土』の伝統的水管理システム」が日本で九番目、東北地方では初となる世界農業遺産(GIAHS)に認定されました。これに先立ち、11月28日には、中国、韓国、スペインの5つの新しい世界農業遺産の認定が国連食糧農業機関(FAO)によって公表されており、世界農業遺産は合わせて19か国の45地域になりました。
今回は、新たに認定されたこれらの世界農業遺産について紹介します。
2017年11月23日から25日まで、FAOに設置されたGIAHS科学アドバイザリーグループ(SAG)の第5回会合がローマで開催され、新しいGIAHSの認定などについて審議が行われました。
2016年1月以降のGIAHS認定は、SAGにおける科学的な評価をもとに行われています。SAGは、世界の6地域(アフリカ、アジア・太平洋、ヨーロッパ、ラテンアメリカ・カリビアン、近東、北米)を代表する7名の科学者(アジア・太平洋は2名)で構成されており、日本からは武内和彦国連大学上級客員教授のほか、あん・まくどなるど上智大学教授が北米代表(カナダ)としてメンバーになっています。
各国の省庁からの推薦を得てFAOに提出されたGIAHSの申請は、まずFAOのGIAHS事務局で申請様式に合っているか、基準に沿った十分な情報が提供されているかなどを評価され、続いてSAGに送られます。SAGでは、SAGメンバーによる現地調査の報告を含めた総合的な評価が行われ、?認定、?申請書の修正と再提出、?却下のいずれかに決定されます。
SAG会合の結果、11月28日にまず、中国の「ジャガナ農業-林業-畜産複合システム」と「湖州桑基魚塘システム」、韓国の「ファゲ面の伝統的ハドン茶農業システム」、スペインの「アクサルキアのマラガ・レーズン生産システム」と「バスク州アニャナ塩生産システム」の5つのGIAHS認定が公表され、続いて12月12日に宮城県大崎地域の「持続可能な水田農業を支える『大崎耕土』の伝統的水管理システム」のGIAHS認定が公表されました。
中国、韓国、スペインの5サイトについては後ほど紹介するとして、まずは宮城県大崎市のサイトについて、その概要と申請の経緯について紹介します。
江合川、鳴瀬川の流域に広がる大崎市、色麻町、加美町、涌谷町、美里町からなる宮城県大崎地域は、古くから「大崎耕土」と称され、東北日本の穀倉地帯として重要な役割を果たしてきました。しかし、この地域は、「やませ」による冷害、地形的要因による洪水、さらには渇水も頻発する三重苦とも言える厳しい自然環境に苦しんできました。このような環境に対応するため、地域の人々は、中世以降、取水堰や隧道・潜穴、水路、ため池などの水利施設を流域全体に築くとともに、相互扶助組織である「契約講」を基盤とする水管理体制を整えることで、「巧みな水管理」を柱とした水田農業を展開してきました。近年、近代的な技術を駆使した土地改良事業を進める中においても、伝統的な水慣行を尊重した対応などを行ってきたのです。
また、農業が育んできた発酵食品や餅などの食文化、温泉を利用した湯治文化などの豊かな農文化が受け継がれています。水田や水路、「居久根(いぐね)」と呼ばれる水田の中に浮かぶ森のような屋敷林にはイネの害虫の天敵を含む豊かな湿地生態系が育まれ、多様な動植物が存在する独特の農村景観を形成しています。
さらにこの地域は、日本でも有数の環境保全型農業の先進地であり、「ふゆみずたんぼ米」など豊かな生物多様性を活かした付加価値の高いコメ作りにも取り組んでいます。なお、大崎地域の「蕪栗沼・周辺水田(かぶくりぬま・しゅうへんすいでん)」が2005年11月に、また「化女沼(けじょぬま)」が2008年10月にラムサール条約湿地として登録されています。
大崎地域の世界農業遺産に関する取組の歴史は長く、2008年に開催されたラムサール条約第10回締約会合で決議X.31「湿地システムとしての水田の生物多様性の向上」(水田決議)が採択された頃にはすでに始まっていたと聞いています。
実は、この決議の中に、「ラムサール条約湿地のうち、幾つかの湿地は、先来の手法、文化的価値及び生物多様性上の価値にとって重要な土地を活動的に保全するプログラムである、国連食糧農業機関(FAO)の「地球的重要農業遺産システム(GIAHS)プログラム」に含められ、または含められる可能性があることに留意し」とあり、この議論にも大崎地域の関係者が大きく貢献されていたようです。この水田決議が、日本でGIAHSが公的に取り上げられた最初の例ではなかったかとナビゲーターは考えています。
ただ、このときの取組はなかなか組織的、政策的な動きにつながらなかったようで、その後、2014年1月に伊藤康志大崎市長が世界農業遺産申請への取組を公表されるまで、地域の取組はやや停滞していたように感じます。
しかし、伊藤市長の強力なリーダーシップによって大崎市が本腰を入れて世界農業遺産の申請に取り組まれるようになってからは、実に熱心でした。国連大学のナビゲーターのところにも、担当の方が10回以上は相談に来られたと思います。ナビゲーターも、現地に4回、訪問させていただきました。1回目はこの地域に造詣の深い上智大学の、あん・まくどなるど先生にご同行いただき、2回目は冬の寒い時期にマガンのねぐら入りと朝の飛び立ちを観察に行きました。3回目は年末の休暇を利用しての現地での勉強会と鳴子温泉に湯治文化の体験に、4回目は村井嘉浩宮城県知事も出席された世界農業遺産の講演会への武内和彦国連大学上級副学長の随行のためでした。
大崎市には、すばらしい伝統的な農業遺産が地域にたくさんありながら、世界農業遺産への挑戦はそう簡単ではありませんでした。その大きな要因の一つが近代化された水田農業です。ラムサール湿地としては農業が近代化されていてもマガンなどの餌場となる水田さえ残っていればよいのですが、世界農業遺産としては伝統的な農業のシステムを強調することが重要でした。このため、2014年の「世界農業遺産(GIAHS)の認定申請に係る農林水産省が承認する地域」【1】に大崎地域は含まれませんでした。
このあと、大崎市経済産業部の平山周作部長、世界農業遺産推進室(大崎地域世界農業遺産推進協議会事務局)の高橋直樹さんらとナビゲーターは何度も議論を重ねました。その結果、ラムサール湿地の水田をまったく表に出さなくてもこの地域の伝統的農業は説明できるのではないか、そのためには、伝統的な巧みな水管理システムに着目すべきではないかということになりました。平山部長は農水省から出向されている農業土木技術者で、水管理システムのプロフェッショナルでしたし、高橋さんは当初からずっと世界農業遺産に取り組んでこられ、地元の事情に精通しておられました。この作戦は結果的にうまくいったようで、FAOのSAGの評価でも、水田農業そのものに伝統性はあまり認められないので、「伝統的水管理」にタイトルを変更するようにとのコメントがあったそうです(申請時のタイトルは「「大崎耕土」の巧みな水管理による水田農業システム」でしたが、最終的なタイトルは「持続可能な水田農業を支える『大崎耕土』の伝統的水管理システム」となりました)。
大崎地域に先だって公表された5つのGIAHS認定サイトについても、その概要を紹介したいと思います。このうち、韓国の「ファゲ面の伝統的ハドン茶農業システム」と中国の「湖州桑基魚塘システム」については、ナビゲーターも現地を訪問したことがありますので、少し詳しく紹介します。
面(ミョン)は、韓国の行政区画の一つで、日本の旧町村のような単位に相当します。ファゲ面は、正確には韓国慶尚南道河東(ハドン)郡花開(ファゲ)面です。ハドン郡は韓国の主要なお茶の生産地域で、そのなかでもファゲ面は韓国で最初にお茶の栽培が始まったところといわれており、昔ながらの自然に近いかたちでのお茶の栽培が受け継がれています。実際、ナビゲーターが訪問したときも、お茶と雑草・雑木の区別がつかないようなかたちで栽培が行われていました。当然、機械を使うことはできず、摘み取りから加工まですべて手作業で行われ、その自然に近い栽培が高い付加価値を生んでいるとのことでした。
この自然に優しい農業システムは、自然と緊密に共生し、人間の介入を最小限に抑えることを求めています。ファゲ面の農家は、人工肥料を使用する代わりに、地域の広葉樹林からの副産物で作られたプルビバエといわれる伝統的な有機堆肥を使用しています。
湖州は2017年7月の第4回東アジア農業遺産学会(ERAHS)の開催地でした【2】。ナビゲーターも会議の参加者とともに、気温40度を超える猛暑の中、この桑基魚塘システムを見学しました。この湿地ベースのフードシステムは2500年以上前に始まり、調和のとれた生態学的な栄養とエネルギーの循環に基づいています。何千年もの間、地元の人々は泥を掘り、この湖、池、川が点在する地域の低地を魚の池に変えました。彼らは、蚕の飼育のために池の堤防に桑の木を植えました。蚕の糞は魚の餌に使われ、魚の排泄物は池の泥を豊かにし、掘り出した泥は桑の木にとって肥沃な土になります。このような見事な循環システムがかたちを変えながらも現在まで受け継がれ、魚、蚕が地域の特産物となっているほか、美しい景観は観光的にも利用されています。
このチベット高原、黄土高原、成都盆地が一つに集まる地域を横断して伸びる独特の農業生産システムは、垂直と水平に広がる景観を結んで、地域の中で完結する自給自足の農業、林業、畜産が融合してできています。このシステムは、地元住民の生計と食料安全保障だけでなく、重要な生態系機能を提供し、土壌や水の保全や生物多様性の保全を支えています。
スペイン南部のアンダルシア州マラガ県にあるアクサルキアでのブドウ栽培とレーズン(干しブドウ)生産は、世代を超えて伝承されてきた伝統的な技術を用いて手作業で行われています。生産が行われているとても急な斜面を考えると、機械化は不可能であり、農家は、昔と同じように環境にやさしい方法で人手による作業とロバの使用を義務付けられています。このマラガ・レーズンの多くは日本に輸出されているそうで、高品質なレーズンを求める日本の消費者がこの伝統的な農業システムを支えているということもできます。
何百万年も前に姿を消した海の遺跡である、巨大な地下の鉱泉の上に湧き出るユニークな泉のおかげで、スペインのバスク地方の山々にあるこの小さな谷での塩生産が可能になっています。ヴァッレ・サラドの景観は、何千年もの間使用されてきた複雑で重力に支配された塩水の分配と貯蔵システムによって構成されています。
塩生産は“生物機能を利用した農林水産業”に該当するのかという疑問を持つ方もいるかもしれません(実は、ナビゲーターもそう思っていました)が、周りの森林なども含めた土地利用、景観の中での塩生産ということで、GIAHSの対象になっています。
2017年11月のSAGでは、今回、認定が公表された地域以外についても、いくつかの地域について評価が行われました。日本の徳島の「にし阿波の傾斜地農耕システム」もその一つで、さらなる情報の提供をSAGから求められたようです。これは、裏を返せば、さらなる情報を提供することさえできれば近いうちに認定されるということです。期待を込めて応援したいと思います。
おはようございます。はじめまして。コロナ禍で苦しまれている皆様が多い中,世界農業遺産の果たす役割は大きいと思います。宮城県大崎市で勤務先の組織と縁がありました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。時節柄,くれぐれも御自愛ください。
(2021.05.26)
Copyright (C) 2009 ECO NAVI -EIC NET ECO LIFE-. All rights reserved.