山梨県峡東地域と滋賀県琵琶湖地域が世界農業遺産に認定されました。それに先立ち、中国の3地域も世界農業遺産に認定されています。また、農林水産省は令和4年度農業遺産申請地域を公表し、FAOは日本の事例をもとにした世界農業遺産認定による地域経済効果に関する調査成果概要を公表しました。
今回は、山梨県峡東地域と滋賀県琵琶湖地域が世界農業遺産に認定されたことを中心に、最近の農業遺産をめぐる動きについて紹介します。
7月18日、FAOは山梨県峡東地域及び滋賀県琵琶湖地域を新たに世界農業遺産に認定したことを公表しました。これにより、世界農業遺産は日本国内では13地域、世界全体では22か国67地域となりました。
この2地域についてはこれまでも何度かエコレポで紹介してきましたが、今回、FAOのウェブサイトで紹介された両地域の概要は次のとおりです。
古都京都に近い「琵琶湖と水田・森林をつなぐ統合的なシステム」(The Biwa Lake to Land Integrated System)は、水田農業とともに発展した伝統的な内水面漁業が中心で、産卵期の湖魚に安全な繁殖場を提供している。伝統的な漁法は、一定の大きさの湖魚を必要な量だけ選択的に捕獲することができる。この地域の社会システムは、漁師組織が自律的に湖沼資源を保全することを可能にしている。このシステムは、農漁業が一体となった1000年以上の歴史を持ち、都市化が進む淡水域で持続可能な資源利用を続けている。
琵琶湖には、16種の固有種を含む47種の在来魚が生息している。ニゴロブナなどの湖魚は、水路を遡上し、湖を囲む低湿地に開発された水田で繁殖してきた。人々は、田畑を耕しながら回遊魚を捕獲する様々な受動的漁法を開発し、食料自給率を高める農漁業混合の生業を確立した。
このシステムは、人口増加、都市化、農業の近代化、外来魚の被害など、さまざまな課題に直面してきた。しかし、1970年代以降、漁民だけでなく、農民、林業従事者、消費者など多様なアクターが力を合わせ、伝統的な手法を守り、次世代に継承している。
日本のぶどう栽培発祥の地とされる山梨県の峡東地域。桃、柿、梅、梨、りんご、栗など、多くの果物が栽培されている。この地域は、長い果樹栽培の歴史の中で、独自の手作業の栽培を発展させてきた。
農地の多くは扇状地に位置し、傾斜や起伏が大きい。そのため、個々の区画は小さく、形も不規則で、土壌などの条件もさまざまである。農家は何世紀にもわたって、その土地の地形や気候に最も適した果樹を栽培することを学んできた。小さな区画で安定的に果実を生産するために、多くの技術が開発されてきた。特に重要なのは地元のブドウの栽培方法で、湿った湿気の多い気候に対応するために、厚くまばらに植えられたブドウの樹を甲州スタイルの棚に誘引し、地上から高く吊り下げている。
このように、小規模な家族経営の農家が、丹念な管理技術によって小区画の土地を有益に使い、生計を立てていることは、この地域が世界的にも重要なユニークで優れた農業システムであることを物語っている。
世界農業遺産の認定の約1か月前の6月16日に滋賀県琵琶湖地域、6月18日に山梨県峡東地域において、FAOのSAGの委員による現地調査が実施されました。現地調査に来られたのは、ブラジル人のパトリシア・ブステマンテ委員です。
ナビゲーターは、調査の直前に、滋賀県から学識経験者として現地調査に同行してほしいという依頼を受け、琵琶湖地域の現地調査に同行しました。実は、ナビゲーターとこの地域とのかかわりはかなり長く、きっかけは、環境省が2014年2月に国連大学で開催したラムサール条約に関連する「世界湿地の日」シンポジウムで、滋賀県野洲市の「須原魚のゆりかご水田協議会」の堀彰男会長にお会いしたことです。夜の懇親会で堀会長と意気投合し、その後、「須原せせらぎの郷」の現地のイベントに参加することになり、その後も堀会長のところには何度もおうかがいしました。
今回、直接、依頼があったのは、滋賀県の東京にあるアンテナショップ「ここ滋賀」の青田朋恵所長からです。青田所長は、ナビゲーターが須原とかかわりを持つようになった当時は、県の出先機関におられ、堀会長らとともに「魚のゆりかご水田米」を推進するための活動などをしておられました。実はそのときはまだ琵琶湖地域を世界農業遺産に申請しようという話はなかったのですが、その後、不思議なご縁で、青田さんが県の本庁で世界農業遺産を担当されるようになり、農政課長になられてからもずっと強い思いをもって世界農業遺産の認定に向けて熱心に取り組んでこられました。やはりこのような熱心な方がおられたことが認定に大きく貢献したと思います。
さて、現地調査では、船で琵琶湖の伝統漁法である「エリ漁」の定置網の現場に行き、次に高速船の中で水源林などの説明を受けながら沖島に向かいました。沖島で漁師の暮らしなどの説明を受けて、さらに須原に移動し「魚のゆりかご水田」の現場を見ました。最後に、琵琶湖博物館で専門家による説明を受け、若い世代の発表も見て、総括的な質疑を行いました。琵琶湖の食文化を集約したお弁当や、沖島の女性グループが準備した湖魚料理の試食などもありました。
ナビゲーターが個人的にとくに良かったと思ったのは、ベテランの方たちだけでなく、若い後継者の方たちや女性の方たちが前面に出ていたことです。地元の多様な方たちが琵琶湖の伝統的なシステムを大切にしようとしているのがFAOの委員にも伝わったし、それが未来に受け継がれることを確信してもらうことができたと思います。
山梨県の峡東地域の方も、FAOの現地調査が終わった後に、県の担当の方から、うまく対応できて、委員からも良い評価をもらったという電話をいただき、安心しました。
両地域とも、梅雨の真っ最中であったにもかかわらず天候に恵まれ、計画どおりの現地調査が実施できたことは幸運だったと思います。
日本の2地域の認定に先立ち、5月に中国の安渓鉄観音茶文化システム、内モンゴル自治区アル・ホルチン草原遊牧システム、渉県畑作石積みテラスシステムの3地域が世界農業遺産に認定されています。FAOのウェブサイトで紹介されたそれぞれの地域の概要は次のとおりです。
福建省南東部に位置する安渓県でのお茶の生産は10世紀にさかのぼると考えられており、最も有名なお茶である鉄観音は18世紀に誕生した。 緑茶と紅茶の間の半発酵ウーロン茶のカテゴリーに属する。
地元の農家のユニークなノウハウには、自然環境を管理して茶の栽培に最適な条件を保証し、並外れた品質の茶葉を生産するための研ぎ澄まされた慣行が含まれている。これらの遺産は、茶畑の生態系の長期的な安定性と持続可能性を保証し、この象徴的な製品を地域社会のアイデンティティの一部として組み込んでいる。
中国内モンゴル自治区北部のアル・ホルチン草原遊牧システムは、中国初の遊牧農業遺産として指定され、世界的に持続可能な畜産と脆弱な放牧地管理の模範とされている。この地域には、新石器時代の初期住民が狩猟や遊牧生活を営んでいた証拠が残っている。最近では、この地域のモンゴル系住民の多くが、環境の変化に適応しながら、伝統的な遊牧民の生産とライフスタイルを維持することができるようになった。
この地域には、森林、草原、湿地、河川など、重要な生態学的機能を持つさまざまな生態系が存在する。壊れやすい草原環境に適応するため、今日の牧民の祖先は典型的な遊牧民のライフスタイルを採用した。常に放牧地を移動することで、植生を保護し、水資源を合理的に利用し、土壌の劣化や過放牧を避け、肉やチーズなどの畜産物を地域社会に安定的に供給することができたのである。
中国河北省北部に位置する渉県畑作石積みテラスシステムは、13世紀に作られた天水農業システムである。山間部の厳しい環境の中で、急斜面での農業を可能にする石積みのテラスは、今も重要な役割を果たしている。農業は地元の人々に安定した生活を提供し、この北部の石灰岩の山間部では土壌と雨に恵まれないにもかかわらず、持続可能で生態的、循環的な農業のモデルとなっている。
同県はクルミと山椒の産地として知られ、段々畑ではキビ、トウモロコシ、大豆、黒ナツメなどの農林産物も栽培されている。このような多様な作物と環境に配慮した農業技術により、地域社会は数百年にわたり食料の安全保障と幸福を確保し、環境と調和した素晴らしい景観を形成してきた。
最後の渉県畑作石積みテラスシステムは、ナビゲーターもコンサルテーションのために2019年に現地を訪問したことがあります( https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/eat/560 )。当時のアドバイスが今回の認定に役立ったとすれば幸いです。
農林水産省による世界農業遺産・日本農業遺産の認定等に関する募集が6月8日に締め切られ、農業遺産の申請書受付地域一覧が農水省のウェブサイトに掲載されました。やはり心配していたとおり、今回の応募は4件しかありませんでした。
応募のあった地域は、①岩手県束稲山麓地域の「災害から生命や生活を守り未来へつなぐ束稲山麓地域のリスク分散土地利用システム」、②埼玉県比企丘陵地域の「地形を活かした比企丘陵の谷津沼農業システム」、③和歌山県有田・下津地域の「有田・下津地域の石積み階段園みかんシステム」、④愛媛県南予地域の「愛媛・南予の柑橘農業システム」で、このうち、和歌山県有田・下津地域と愛媛県南予地域はすでに日本農業遺産に認定されているので、世界農業遺産への認定申請に係る承認を希望することになります。
今後、一次審査(書類審査のみ)、現地調査、二次審査(プレゼンテーション)を経て、来年1月頃に結果発表が行われるとのことです。
コロナ禍の影響が大きいと思いますが、それにしても4件という応募はこれまでにくらべてあまりにも少なく、今後、農業遺産の一層のPRと、候補地域の掘り起こしが必要になっていると感じています。
FAOは、6月に世界農業遺産認定による地域経済効果に関する調査成果概要を公表しました。
本概要は、世界農業遺産の経済効果について三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社が実施した簡易的な調査の報告書が要約されたものです。
日本で世界農業遺産が認定されてから10年が経つ今、本調査では改めてその経済価値に焦点を当て、同価値を測るための測定対象を整理するとともに初期的な分析が行われました。また、持続可能な世界農業遺産の保全に向けて、収入を生み出す機会や認定地域の主要作物及びサービス等への経済効果を分析し、認定後の地域が直面している課題や将来の世界農業遺産の活動への提言がまとめられました。
GIAHS 認定による経済価値を測定すべき対象として、①農林水産物に対する消費額、②農林水産物を起点としたバリューチェーンによる生産物に対する消費額、③GIAHS に関連した人の移動による消費額の3つが設定されましたが、どうもいずれも明確な効果は測定できなかったようです。
ナビゲーターは、以前から、日本の農業や農村を取り巻く状況にはさまざまな困難な問題があり、GIAHS認定だけで、画期的な地域活性化がすぐに実現するといった「手品」のような話はないと考えてきました。しかし、一方で、GIAHS認定により、地域のとくに若い世代が自信と誇りをもつようになるということも事実であり、このことが将来の地域の活性化に向けて最も重要なことではないかと考えています。
GIAHS認定が地域経済効果を生み出すまでには長い時間が必要になると考えられます。しかし、地域の人々の意識が変わることがその第一歩ではないかと考えます。
この「調査成果概要」の中で最も共感したのが、「GIAHS 認定にかかる課題」として、「GIAHS に対する認知度の低さが、地域で期待した効果に対して実際の効果が得られにくい原因の一つとなっている。これは、個別の認定地域による努力だけではなく、より高い視点から行われるべきものであり、GIAHS のブランド化、そして認知度を高めるためのプロモーション戦略を立案し、実行することが求められる。」という指摘です。
これには農林水産省や地方自治体をはじめ、国連大学など関係機関の果たす役割も大きいと思います。この「エコレポ」のような活動もその一助となれば幸いです。
日中韓の世界農業遺産関係者が学術・地域交流を行うために、毎年、持ち回りで開催する東アジア農業遺産学会(ERAHS)は、中国のゼロコロナ政策と、最近の日本での「第7波」感染急拡大の状況から、まだ、最終的な通報はありませんが、日本からはオンラインでの参加が確実と思われます。詳細が決まったら、関係者には速やかにお伝えするようにいたします。
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