「世界農業遺産の認定はゴールではなくスタートだ」とよく言われます。世界農業遺産の認定を契機に、アクションプランに基づいて保全や活用のためのさまざまな活動に取り組むことが重要だという趣旨です。そこで、その活動をしっかりとモニタリングし、評価して、次の活動に活かしていくことが重要になってきます。今回はこのモニタリングと評価をめぐる最近の動きについて紹介します。
世界農業遺産(GIAHS)はもともとFAOが外部資金を得て実施するプロジェクト(事業)でした。このため、プロジェクトとしてのGIAHSのモニタリングや評価は行われていましたが、認定サイト(地域)そのものの活動のモニタリングや評価の仕組みは必ずしも整備されていませんでした。このようなことからFAOでは以前からモニタリングの重要性が議論されてきており、2013年6月に日本の能登で開催された世界農業遺産国際会議の最終日に採択された「世界農業遺産に関する能登コミュニケ」には、「GIAHS認定サイトでは、定期的なモニタリングが行われ、その活力が維持されるべきである」という勧告が盛り込まれました。
昨年6月のFAO総会においてGIAHSはプロジェクトからプログラム(制度)に格上げされました。現在、今年9月に開催されるFAO農業委員会に向けて、世界の各地域を代表する7名の専門家(GIAHSの盛んなアジア地域からは武内和彦国連大学上級副学長ほか1名が選出)からなる「科学アドバイザリーグループ」によりGIAHSに関する基本文書などに関する議論が行われています。その中でもモニタリングの重要性は強調されています。
農林水産省は、昨年の3月に世界農業遺産(GIAHS)専門家会議を設置しましたが、この専門家会議の目的の一つが「世界農業遺産及び日本農業遺産認定地域において保全計画に沿った活動が適切に実施されるよう、専門的視点から助言すること」とされています。「日本農業遺産」は、我が国において将来に受け継がれるべき伝統的な農林水産業システムを広く発掘し、その価値を評価するため、農林水産省が今年4月に創設したもので、現在、世界農業遺産とともに公募が実施されています。
これに伴って、「世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産の認定に関する実施要領」が通知されました。その中では、世界農業遺産への認定申請承認地域と日本農業遺産認定地域は、農業システムの保全計画を速やかに作成し、農林水産省の農村環境課に提出するとともに、保全計画に基づく活動状況を5年に一度、農村環境課に報告することとされています。世界農業遺産等専門家会議は、この報告等をもとに活動状況等の評価を行い、その結果、保全状況が十分でない場合には、改善措置を求め、改善が認められない場合には認定を取り消すこともあるとされています。
実際に、昨年の8月に大分県国東半島宇佐地域、今年2月に新潟県佐渡地域、石川県能登地域を対象に、活動状況等のモニタリングと助言の実施を目的とした世界農業遺産(GIAHS)専門家会議が開催されました。国東半島宇佐地域は現地で、佐渡地域と能登地域は東京で、いずれも公開の会議でした。
これまでの活動概要、活用・保全計画(アクションプラン)、保全・活用に係る主要指標、認定後の活動の総合的な自己評価等を詳細に記した自己評価票に基づいて認定後の取り組み状況が報告され、これを受けて、専門家会議が活動状況のモニタリング(現状及び課題の把握)とその結果に基づく助言を行いました。この結果は、農林水産省のウェブサイトでも公表されています。
去る6月14日から16日まで、韓国の忠清南道錦山郡で第3回東アジア農業遺産学会(East Asia Research Association for Agricultural Heritage Systems: ERAHS)が開催されました。これは、東アジアに位置する日本、中国、韓国の研究者らがGIAHSの科学的支援、情報・経験の共有、共通の課題への対応、情報の発信などに共同で取り組むことにより、GIAHSの発展と東アジアの農業システムの保全に貢献するために設立したもので、一昨年の第1回は中国の江蘇省、昨年の第2回は日本の佐渡市で開催されました。会場となった忠清南道錦山郡は、高麗人参の韓国最大の産地で、世界農業遺産への登録をめざしています。
今回の会合の特徴は、「農業遺産のモニタリング」という特別セッションが初めて設けられたことです。通訳のつかない英語だけのセッションであったにもかかわらず、熱心な議論が繰り広げられ、モニタリングに関する関心の高さがうかがわれました。ナビゲーターも「日中韓の農業遺産保全制度の比較」というテーマで発表し、その中でモニタリングに関する日中韓の比較についても触れました。
今回の特別セッションでいくつかわかったことがあります。まず、日本と韓国では、農業遺産に認定された地域が認定後に取り組むアクションプランがしっかり作られているため、このアクションプランに基づいてモニタリングや評価を行っています。これに対して、中国ではアクションプランが必ずしも十分に作られていないこともあって、各種の指標に基づくモニタリングや評価を行っているのです。ただ、韓国では農業遺産に認定された地域に3年間に限って多額の補助金(1地区当たり3年間で農業遺産は150万ドル、漁業遺産は70万ドル)を投入してプロジェクト(事業)として実施しているため、モニタリングや評価もこのプロジェクトに関するものとなっており、3年間の事業終了後のモニタリングや評価については現在、研究中であることもわかりました。
モニタリングや評価結果の公表も重要な問題だと思われます。日本は、モニタリングや評価のための資料(自己評価票)や評価の結果(助言事項)をウェブサイト上で公表していますが、中国や韓国は現在のところは公表までには至っていません。
ただ、中国も韓国も法令上の位置づけが明確にされています。中国では昨年8月に施行された「重要農業文化遺産管理方法」という農業部公告の中で「監督及び検査」について規定されており、また、韓国では2012年12月に制定された「農漁業遺産指定管理基準」という農林水産食品部告示の中で国家農漁業遺産のモニタリング等について規定されています(2015年10月には、農業遺産及び漁業遺産が法律上位置づけられるようになったことに伴って「農業遺産指定管理基準」及び「漁業遺産指定管理基準」として施行)。日本も、今年4月に通知された「世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産の認定に関する実施要領」(農林水産省農村振興局長通知)の中で初めて活動状況等の評価等について規定されたところです。
このように、日本、中国、韓国は、それぞれ行政の仕組みや農業遺産の背景が異なりますが、共通する課題も多く、今後もこの分野で協力を深めていきたいと考えています。
国連大学では、昨年8月から農林水産政策研究所の委託を受けて「農村地域内外の多様な主体の連携による生物多様性の保全・活用活動のモニタリング・評価手法の開発」(平成27年度?平成29年度)の研究に取り組んでいます。これは、生物多様性を保全すると同時に、その活動を農産物の付加価値の向上に持続的に活用することで、地域を活性化させるため、農村地域内外の多様な主体の重層的な連携(入れ子構造のような関係)に基づく自然資本の共同管理を通じた生物多様性の保全・活用の仕組みづくりを研究するものです。
具体的には、行政主導によるトップダウン的な成果主義管理(Results-Based Management)アプローチの国際的な評価モデルと、ボトムアップ的なアプローチのSATOYAMAイニシアティブで開発された「レジリエンス指標」の評価の枠組を統合し、日本の農村にあったモニタリング・評価手法、新たな共同管理のあり方を提案するものです。
また、生態的な側面だけではなく、社会的、経済的な側面からも活動を定量的、定性的に評価し、多様な主体の連携のあり方を検討するとともに、成果を重視した定期的なモニタリングと総合的な評価手法を開発し、その成果をガイドライン、マニュアル等として整理したいと考えています。
これは世界農業遺産を直接の対象とした研究ではありませんが、生物多様性の保全とその持続的な活用に取り組んでいる国内の地域の中には、世界農業遺産に認定された地域あるいはこれから認定を目指そうという地域が多く含まれています。そのため、この研究の成果は世界農業遺産のモニタリングや評価にも大いに活用できるものと考えています。
今後、FAOでのGIAHSのモニタリングに関する議論が進展し、農林水産省の世界農業遺産等専門家会議における日本農業遺産も含めたモニタリングと助言の経験が深まるにつれて、これまでのようなアクションプランベースのモニタリングや評価だけでなく、国際的な評価モデルにも準拠したモニタリングや評価が求められるようになることが想定されます。このような事態に備え、今からそのための準備をしっかりと進めておく必要があるように思います。
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