今年1月、和歌山県有田・下津地域がFAOへの世界農業遺産の認定申請を承認され、岩手県束稲山麓地域と埼玉県比企丘陵地域が日本農業遺産に認定されました。昨年11月には、中国、メキシコ、モロッコ、スペイン、タイの5地域が新たに世界農業遺産に認定され、これで世界農業遺産は23か国72地域となりました。また、農林水産省は、子供向けに農業遺産について学べる学習マンガ「ミーとトラの大冒険」と動画「ニッポンの農業遺産」を作成し公開しました。
今回は、世界農業遺産への認定申請地域の承認と日本農業遺産の認定、海外での新たな世界農業遺産の認定を中心に、最近の農業遺産をめぐる動きについて紹介します。
1月17日、農林水産省は、和歌山県有田・下津地域の「有田・下津地域の石積み階段園みかんシステム」をFAOへの世界農業遺産の認定申請を承認する地域として公表しました。これは、昨年7月29日に行われた世界農業遺産等専門家会議による1次審査を通過した4地域の中から、昨年12月19日に行われた同専門家会議の評価結果を踏まえ、決定されたものです。
この有田・下津地域は、すでに海南市下津地域の「下津蔵出しみかんシステム」が2018年度に、有田地域の「みかん栽培の礎を築いた有田みかんシステム」が2020年度に、それぞれ日本農業遺産に認定されていたのを、今回、2つの地域を合体して世界農業遺産の認定を目指すようになったものです。
地域の概要について、農水省のウェブサイトでは次のように紹介されています。
農家が400年以上前から海岸部から内陸部の山頂付近まで広がる壮大な石積み階段園を築き上げ、みかん産地として発展してきた。農家自らによる優良品種系統の選定・導入や苗木の地域内生産による産地の基盤形成、多様な地勢・地質に適応した栽培技術や独自の貯蔵技術(蔵出し)の開発等により、高品質な温州みかんを生産し、7か月に及ぶ長期リレー出荷を可能とした伝統的農業システム。
12月に行われた二次審査を前に、ナビゲーターのところにも和歌山県の担当の方から何度か相談がありました。「類似する農林水産業を行う他国の状況に触れながら、申請地域の世界的な位置付けが明らかになるようにする」ところで苦労されていたようすでした。
みかんを対象にした世界農業遺産はまだありませんが、柑橘類の栽培は世界の各地で行われています。そのほとんどは、平地で栽培されていますが、イタリアの世界遺産にも登録されているアマルフィ海岸のレモン園や、中国の中国重要農業文化遺産に認定されているみかん栽培システムは傾斜地にあり、とくに中国では石積みも用いられています。しかし、よく調べてみると、中国のみかん園は元々平地にあったものが、将来の食料不足への懸念から平地では穀物や野菜の栽培が求められるようになり、傾斜地に移っていったということがわかりました。つまり、元々斜面を利用して石積み階段園を築き上げてきた有田・下津地域のみかん園とは、ランドスケープの成り立ちがまったく違っていたのです。これはナビゲーターにも大変勉強になりました。
今回は、FAOへの世界農業遺産への認定申請が承認されただけであり、まだスタート地点に立ったにすぎません。今後、FAOでの認定に向けてぜひ頑張っていただきたいと思います。
世界農業遺産への認定申請の承認と合わせて、岩手県束稲山麓地域の「束稲山麓地域の災害リスク分散型土地利用システム」と埼玉県比企丘陵地域の「比企丘陵の天水を利用した谷津沼農業システム」が日本農業遺産に認定されました。
「束稲山麓地域の災害リスク分散型土地利用システム」の地域の概要について、農水省のウェブサイトでは次のように紹介されています。
地域一体となった立体的な土地利用が行われている。山地では共有林やため池、水路を地域の共同組織が管理することで土砂災害等のリスクに対応する一方、低平地及び山麓地では個々の農家が両方の地区に農地を分散所有することで、度重なる洪水害や干ばつ等の自然災害へのリスク分散を図っている伝統的農林業システム。
また、「比企丘陵の天水を利用した谷津沼農業システム」については、次のように紹介されています。
谷津地形(丘陵地で形成された谷状の地形)を活かして多数のため池を築き、谷津田での稲作と谷津斜面での少量多品目の畑作を行っている。ため池と谷津田は河川からの引水等がなく、天水のみを水源とした閉鎖系の水利システムとなっていることから貴重な生態系が維持されている。沼下と呼ばれる伝統的な水利組合組織によりきめ細かな水管理が行われており、地理的な水の得にくさを克服した省エネ水供給システム。
どちらの地域もこれまで2回も認定を見送られており、今回が三度目の挑戦でした。長い間、地域の皆さんが協力し、地域の伝統的な農業を再発見するなどして申請書の改善に尽力してこられたことが、今回、実を結んだということで、ほんとうに良かったと思います。
とくに、岩手県束稲山麓地域は、ナビゲーターも2016年の推進協議会の結成直後に開催されたシンポジウムで世界農業遺産を目指す意義について講演するため、訪問したことがあります。現地調査では、低平地で大規模かつ近代的な稲作が行われているのを見て、そのままでは伝統的な農業とは言えないので、同じ農家が山麓地にも土地を持っていて水害のリスク分散を図りながら持続的な農業を続けてきたことに着目してはどうかというようなアドバイスを行いました。また、「平泉の文化遺産」は2011年に世界遺産に登録されており、そこと何とか結び付けられないかなどとも考えました。いずれにしても地域の皆様には、6年余りにわたり努力を続けてこられたことに深く敬意を表します。ただ、認定はあくまでスタートであり、これからがまさに本番であることも強調しておきたいと思います。
昨年11月にローマで開始されたGIAHS科学諮問委員会(SAG)において、中国のきのこ栽培地域、メキシコの伝統的なマヤのアグロフォレストリー・システム、モロッコの牧畜民と農民をつなぐ古代コミュニティ、スペインの多様な山岳農業システム、タイの水牛を中心としたランドスケープの5地域が新たに世界農業遺産に認定され、世界農業遺産は23か国72地域となりました。とくに今回タイの地域が初めて認定されたことが注目されます。なお、中国のきのこ栽培地域の浙江省慶元県は、この3年間、新型コロナウイルス感染症のために開催が延期されてきた東アジア農業遺産学会(ERAHS)の開催予定地です。
FAOのウェブサイトで紹介されたそれぞれの地域の概要は次のとおりです。
中国東部浙江省の高山地帯に位置する「慶元(チンユエン)森林-きのこ共栽培システム(QFMCS)」は、数千年前のきのこ栽培を基盤としている。これは資源の循環的な利用に重点を置いたアグロフォレストリー・システムで、独自の森林ときのこの共栽培技術もその一つである。森林は食用菌の生育環境と養分を提供し、森林内の有機物の分解を促進させる。枯れ木が分解されることで、森林の栄養分が増加するのである。
政府の統計によると、地元農家の収入の半分近くは、きのこをはじめとするQFMCSのさまざまな生産物から得られており、重要な生計手段となっている。また、中国にとって重要な菌類資源バンクでもあり、400種近い大型菌類が確認されている。きのこ農民(菇民Gumin)は、何世代にもわたって山林に住み、協力と相互扶助に焦点を当てた独自の言語、習慣、社会組織を作り上げてきた。
メキシコの半島マヤ・ミルパは、遺伝資源に満ちたダイナミックな生活空間を実現するポリカルチャーに基づく伝統的なアグロフォレストリー・システムである。トウモロコシ、豆、カボチャの3つの作物を中心に、場所によってはライマメも加えて、生物多様性を持続的に利用するものである。このシステムは森林に依存しているため、森林の保全は不可欠であり、森林に優しい実践に基づき、地域コミュニティのアイデンティティに根ざしたこのGIAHSの中核的要素の一つを反映している。これは、少なくとも3,500年もの間、ユカタン半島の人々に食料と生活を提供する能力に寄与してきた。
マヤ・ミルパに関連する活動の多様性には、狩猟、薪や炭、建築資材の収集、園芸、家畜の飼育、薬用植物などの生計手段も含まれる。現在では、養蜂、アグロツーリズム、ガストロノミーなどによる多様化も模索されており、若い世代に機会を提供することで、農村からの流出に対処している。
モロッコ東部のフィギグ市と隣接するアブー・ラカル市を結ぶフィギグのGIAHSは、牧畜民と農民の共同体を結びつける方法で著名である。アブー・ラカルには広大な放牧地があり、そこでは何世紀にもわたって遊牧民のコミュニティが牧畜を営んできた。これらの人々は、常にフィギグ農民と交易を行い、クズールと呼ばれる湧水を利用したスマートシティを発展させてきた。このシステムには、地元の羊の品種や、農民や牧民の生活を支えるナツメヤシの固有種など、幅広い農業生物多様性が存在する。2つのコミュニティ間の取引と協定により、彼らは生計を維持するために、収穫量と飼料の入手可能性の変動を、バランスをとって吸収することができるようになった。
オアシスガーデンや水資源は、慣行的権利に基づく集団管理によって、持続的に維持され、コミュニティ間で分配されてきた。フィギグのGIAHSは、サハラ砂漠を横断する貿易の重要な中継地であった時代から、地元の伝統が植民地化を乗り越え、砂漠の真ん中でコミュニティの生存を確保してきた、国内で最も素晴らしいオアシスの1つと考えられてきた。
スペイン北西部に位置するレオン山脈の多目的農業システムは、何世紀にもわたって地域社会の食料安全保障と生活に直接貢献してきた。この地域には、森林(栗林、ブナ林、白樺、ビャクシン、オーク林)、牧草地、耕作地があり、土地利用の多様性が顕著である。このため、農業、畜産業、林業、採集、狩猟、漁業が同じ空間に共存し、農業生態学的な価値を高めている。
レオン山地のユニークさの中で、農業の生物多様性を在来化し、維持し、適応させる住民の能力は、繁殖に非常に特殊な環境を必要とするレオンの褐色雄鶏やインド雄鶏、乳製品で有名なマンテケラ・レオネサ種の牛、独特のヒスパノ・ブレトン馬などのユニークな在来種の保護と保全に役立っている。また、7つの生物圏保護区が農業と共存していることも、世界でも稀有な特徴である。
タイ南部のタレノイ湿地水牛牧畜農業エコシステムは、長年にわたる人間と水牛の相互作用が顕著な多様な農業システムである。何世紀にもわたり、牧畜は生物多様性とランドスケープを形成・保全し、水牛は1年のうちほぼ5か月間湛水するこの環境で生き残るために適応してきた。このシステムは、牧畜、漁業、水草栽培、非木材森林製品の収穫および観光など、相互に支え合う様々な実践を含んでいる。これらは、地域の食料と生活の安全保障、生物多様性の保全、地域社会間の連帯の基盤となっている。
タイの文化において特別な存在である水牛は、放し飼いにされるか、夜間は小屋に入れられるかのどちらかである。モンスーンの季節には、水牛は通常地上1.5mの小屋の中で飼育される。牧夫は、湛水した土地を通って水牛を放牧地まで連れて行き、日没前に戻ってくる。タレノイにおける水牛の飼育は、共有と共同管理が特徴である。また、牧畜民は伝統的な漁具を使った漁法に長けており、モンスーンの季節には食料を確保し、乾季には農作業に従事する。
農林水産省は、こどもたちが農業や農村の大切な役割や魅力を楽しく学べる学習マンガ「ミーとトラの大冒険日本の農業と伝統文化」と「農業遺産」や「田んぼの魅力」を伝える動画を制作しました。
ナビゲーターもさっそく見てみましたが、学習マンガは大人でも楽しみながら勉強になるものでした。農業遺産は最後の方に出てきますが、農業遺産を子供にもわかるような言葉で説明するのはなかなか難しいなということを改めて感じました。その点、動画の方は、言葉よりも視覚で訴えるので、よりわかりやすかったです。できれば、今後、英語、中国語、韓国語などの字幕をつけて世界に向けても発信していただきたいと思いました。
日中韓の世界農業遺産関係者が学術・地域交流を行うために、毎年、持ち回りで開催する東アジア農業遺産学会(ERAHS)は、今年こそリアル開催できそうです。場所は、昨年11月に世界農業遺産に認定された中国浙江省の慶元県の予定で、時期は早ければ6月頃になりそうです。詳細が決まったら、関係者には速やかにお伝えするようにいたします。
なお、昨年12月23日に、東アジア農業遺産学会の名誉議長で、中国の農業遺産界の重鎮であったLI Wenhua(李文華)氏が90歳で亡くなられました。農業遺産関係の会合で何度かお会いしましたが、いつも親しく話しかけてくださいました。心からご冥福をお祈りします。
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