牛久自然観察の森(茨城県牛久市)は、関東平野の東部に位置し、北東を霞ヶ浦、南西を牛久沼とそれに連なる利根川に囲まれた稲敷台地上に立地し、古くからの里山集落に囲まれた田園風景の中に調和している。
正門ゲートからバッタ原と呼ばれる草原を抜けた森の入り口に建つ拠点施設ネイチャーセンターの扉を開くと、水草が青々と茂る大小さまざまな水槽が並ぶ常設の水辺のいきものコーナー「HACOBIO」が来訪者を迎え入れてくれる。水槽の中では、メダカやドジョウ、ナマズなど身近な河川・湖沼でみられる水辺の生き物が流木や水草の間に潜んでいる。
多くの施設では壁沿いに並べた水槽を見せることが多いが、ここネイチャーセンターの水槽は、壁から離して、360度どこからでも見られるように並べられているものが多い。円柱型の水槽があったり、天井からの照明で水槽を照らして鑑賞面積を増やしたりと、レイアウトにもこだわっている。
水槽展示の企画から施工まで一貫して担当しているのが、チーフレンジャーの木谷昌史さん。館内をまわりながら展示について説明していただいた。
玄関を入ってもっとも手前にある円柱型の水槽には、アカハライモリが7~8匹隠れ棲んでいて、息継ぎのため水面に上がってくるときなどに真っ赤なお腹を見せて泳ぐ様子を見せる。
人気のイシガメの水槽では、普段は陸に上がって甲羅干しをする姿しかなかなか目にすることができないカメの泳ぐ姿を見せたいと、水深を深くした水槽をしつらえている。
比較的新しく作ったナマズの水槽では、ナマズの顔を水槽越しに覗くことができるようにナマズが好む接触刺激を与える環境を作った。臆病な魚だから、隠れてしまうことが多いが、隠れたときにナマズの顔が水槽の壁越しに見えるようにすることで、ひょうげたナマズの表情をじっくりと観察できる。しかも、水槽の裏側に回った子どもとナマズのツーショットを撮れるような配置になっている。
2つある二ホンウナギの水槽では、底面に砂を敷きつめて砂地に潜るウナギの生態が観察できるようにしたものと、水槽のガラス面に沿って作った洞窟の中に潜り込むウナギの姿が観察できるようにしたものを用意して、単に水槽の中にいるウナギを見せるだけでなく、自然のなかのウナギ本来の姿を見せようと工夫した。
「水槽管理って、定期的に水替えしないとすぐに汚れてしまいますから、メンテナンスが結構大変です。水槽導入時は管理手法がうまくいかず、朝5時台に出勤して夜9時に帰宅する日も多々ありました、一方で水辺の生きものとの出会いを喜ばれる来館者の姿に手応えも感じていました。展示数を増やし施設を充実させたい気持ちと、管理が追いつかない、これ以上水槽が増えたらとても管理しきれないと、水替えをしなくてもよいという売り文句の天然ろ過システムを半信半疑で導入してみたところ、思った以上にうまくいっています。アクはもちろん、老廃物のアンモニアも窒素に還元してくれるので、水の入れ替えは本当に必要なくなったのです。もちろん、餌を入れたり、蒸発して減っていく水を足したり、伸びた水草を切ったり、ガラス面の苔を除去したりといった手間は必要となりますが、メンテナンスの労力はかなり軽減されました」
牛久自然観察の森は、全国に10ある自然観察の森の一つとして、30年前の1990年に開設した。敷地面積約21haは原生の大自然ではなく、昔から生活の身近にあった里山の自然を利用形態の違いで3つのゾーンに分け、さらに観察テーマや管理方法などの環境形成目標の違いによって15のエリアに分けて管理している。自然観察を通じた体験学習のフィールドとして活用していくため、ネイチャーセンターなどの観察施設を整備するとともに、自然解説活動を行うレンジャー(自然観察指導員)を配置して、さまざまな教育普及活動を行っている。
チーフレンジャーの木谷昌史さんの一日は、9時の開園に合わせて正面ゲートを開錠し、園路を巡回するところから始まる。
「牛久自然観察の森は、身近な自然をテーマにした施設ですが、逆に言うと、特徴のない自然というイメージを持つ方もいらっしゃると思います。特定の希少種を保護するための保護地というわけでもありませんし、国立公園のような雄大な大自然があるわけでもありません。ただ、ここのような身近な自然の中に棲息している生き物との出会いを提供する施設って、実は意外に少ないので、ぜひ多くの市民の方々に利用していただきたいと思います」
動物園や水族館など国内外のさまざまな動物を展示する施設はあっても、より身近にいる何気ない生き物たちとの出会いや触れ合いを提供できる施設は案外見当たらない。野山を駆け回る体験が減っている現代、そうした機会はかつて以上にますます貴重になってきているともいえる。
身近な生き物を見せたいと思っても、事はそう簡単ではない。1人・2人ならともかく、1万人の来場者がいたときに、あまねく出会いの機会を提供できるかというと、結構難しいところもあると木谷さんは言う。
牛久自然観察の森では、正面ゲートからネイチャーセンターに向かう園路の両脇に「バッタの原」と呼んでいる原っぱを整備している。バッタは、発生量が多いことから大人数の圧にも耐えられる特性をもつ生き物といえるが、いつ来ても確実に見られるようにするには、草の刈る時期や回数を変えたりと工夫もいる。
「何十人も一斉に押し寄せてくるわけではありません。1時間おきに5組・6組とささやかなんですけど、草原の中で網を振るう親子やおじいちゃん・おばあちゃんに連れられたお孫さんの姿って、絵になるんですよね。そんなささやかな光景を、地道な施設管理をしていくことで作っていきたいのです」
幼い頃から昆虫好きだった木谷さんは、NHKの自然紀行番組『生きもの地球紀行』を毎週心待ちにしていた。毎回番組の最後に流れるナレーション“野生動物にとっての脅威は人間かもしれない”に影響されてか、自然保護や環境問題に対する関心が芽生えていった。
自宅でも昆虫を飼いはじめ、小学校3年生の頃にはタイコウチやミズカマキリなどの水生昆虫を捕まえてきては育てるようになった。さらに小学校5年生になってアクアリウムの熱帯魚飼育に興味を持つようになった。ただ、いきなり買った水槽は90㎝という大サイズのもので、手に負えるものではなかった。腐敗していく水に自分の力のなさを感じる反面、自然の川や池がきれいな状態で維持されていることのすごさを実感した。ちょうどテレビでニュージーランドのミルフォードトラックを取り上げるテレビ番組を見て、川を流れる水の透明さと“世界一の散歩道”というキャッチコピーに心奪われた。
高校生になって、体育の先生になるか農業系の大学などに進学して自然について学ぼうかと悩んだ進路先を専門学校に絞った理由の一つは、当時のパンフレットに書かれていたニュージーランドの現地実習プログラムだった。巡り合わせが悪く、入学した年に実習プログラムはなくなったが、ニュージーランドに対する憧れは消えることはなかった。プログラムの参加経験のある先生からのアドバイスや後押しもあり、卒業を機に渡航して、半年間ほど国立公園を巡る旅をした。
専門学校を卒業して20年近くが経つが、当時のことで思い出すのは、先輩たちの様子をよく見ていたことだったと木谷さんは振り返る。
「先輩たちがどういう仕事をしているのかじっくりと見ていたことを覚えています。学校を通じて、先輩たちの活動やフィールドに、実習やアルバイトやボランティアとして参加させてもらう機会も結構ありました。同じクラスでカモシカ解体のアルバイトに行ったり昆虫の標本の仕分け作業をしたりする人もいましたけど、ぼく自身はボランティアとして参加することが多く、植林や川魚のサイズ測定のための捕獲ボランティアなどによく参加していました。そんな経験を積んでいきながら、“自然を守る仕事”に対するイメージが少しずつ形成されていったように思います。先輩たちが卒業後10年くらいして契約職員から正職員になったと専門学校の先生に報告に来ているのを見て、それくらい下積みすれば自然を守る仕事にちゃんとつけるんだという感覚を何となく持つようになりました」
すぐに仕事に就いたり、正職員として採用してもらえたりするとは、はなから思っていなかった。ただ、その道に関わり続けていれば、いつか必ず道は拓けるということを、先輩たちの背中から感覚として得ることができた。
OBの先輩たちは、就職先を探しに来たり、進路報告に来たり、求人情報を張り出しに来たりと、卒業後も学校に顔を出す機会がある。そんなときに、ボランティアやアルバイトを通じて顔見知りになった在校生と情報交換するケースもあり、雑談に加わらせてもらったり、聞き耳を立てたり、学校の先生から「先輩からこんな話があるよ」などと紹介してもらったりと、自然に携わる仕事に就いている人たちとかかわる環境があった。
実習やアルバイトなども含めていろいろな経験ができたことは、今になって思うと貴重な機会だったと感じている。
「今、バッタの原の整備など園内の植生の担当をしていますが、植物分類や植生遷移など基礎的な部分で専門学校の授業が生きていることを強く感じます。当時、週末にも先輩たちのフィールドで植生調査に参加させてもらっていましたけど、正直言うとそれほど植物に対する興味があったわけではありませんでした。週末に何か勉強できることはないかと飢えてはいたので、何でもいいから参加したいという思いでした。植生を担当するようになって5~6年が経って、当初は少し苦手意識もあった植物が今や当たり前の存在として接することができるようになっているのも、当時触れてきた経験が生きているんだと思います」
冒頭で紹介したネイチャーセンター内の展示は、2011年3月の東日本大震災をきっかけに施設整備の方針が大きく転換したことで生まれたものの一つだった。
震災前には、学校の団体利用も多く、年間100校ほどが野外のプログラムを中心に森を訪れていた。夏休みには、ほぼ毎日「森の学校」を開催して、さまざまな野外アクティビティを提供していた。木谷さんが牛久自然観察の森で勤め始めたのは、ちょうどその最後の一年に当たる年で、当時の活況を懐かしく思い起こす。
ところが震災による福島第一原発の事故を契機に、屋外での活動に対する懸念が生じ、森の中でのアクティビティ利用は大幅な減少を余儀なくされた。野外プログラム中心だった活動は、ネイチャーセンター内の展示の見直しなど、屋内活動を充実させる方向へと転換していった。
「当時の屋内展示は、手作り感が強く、どこか間に合わせで作ったようなものだったといえます。窓の外に森の風景が広がる目の前に自動販売機がどんと置かれていたり、展示してから時間が経って色褪せた剥製が並んだりと、あまり時代に合っていない状態になっていました。館内展示には力を入れてなかったんですね。屋外の活動が制限されたことで館内展示を充実させる必要性に迫られ、まずは他施設なども含めた最新の情報を取りに行くところから始めて、牛久自然観察の森という施設にとって、今の時代に合う展示ってなんだろうというところから手探りで始めていきました」
現在、ネイチャーセンターには年間1~2万人ほどがリピーターを含めて来訪している。水辺のいきものコーナーとともに館内展示の目玉になっているのが、「木」のおもちゃに特化した室内の遊び場「木育広場うっしっし」だ。森の中の施設で、近年注目と関心を高めている「木育」の実践をめざして、毎年少しずつ木のおもちゃを増やしていった結果、支持されるようになってきた。1人1回300円の体験料で木の球を転がして遊ぶからくり装置など普段ゲーム機器しか触れたことのない子にとっては新鮮で魅力的な木のおもちゃの数々を、密になることなく存分に遊び尽くすことができる。
木育広場は園長が中心になって整備してきたものだったというが、木谷さんは野外ではなかなか観察しづらい身近な生き物を見せたいと、ネイチャーアクアリウムを提案した。幼少期に挫折した水づくりにもう一度挑戦する形となり、どんどんとのめり込んでいった。
少しずつ館内展示を充実させながら、旧来の展示と入れ替えていき、魅力的な館内展示を作り上げてきて、今では自宅の水槽の参考にしたいとか、逆に家では飼えないからと見に来る人もいる。
「リニューアルに当たっては、いろんな施設に足を運びました。自然系の施設はもちろん、ぼくの場合なら水槽ショップにも行きましたし、県の企画展や東京ビッグサイトの展示会にも行きました。どこかのデパートが新しくなったと聞いて、その照明を見るために出かけて行くこともありました」
館内展示の水辺のいきものコーナーでは、単に水辺の生き物を展示する水槽というだけでなく、水草や水の流れなど自然の状態で見られる背景を再現し、実際の自然の中で息づく生き物が本来もっている行動をしてくれるように仕掛けている。試行錯誤しながらも、来訪者が水槽を見て楽しんでもらえている姿を垣間見る瞬間が今の仕事の醍醐味だと木谷さんは言う。
水槽づくり以外でも、「身近な生き物」とのふれあいにはこだわりがある。毎年恒例となっているイベントの一つに、コクワガタの飼育教室がある。オオクワガタやノコギリクワガタなどの人気種ではなく地味なコクワガタにしたのは、持ち帰った後に飼いやすいからだ。身近な生き物にスポットを当てて、暮らしの中に生き物がいるような環境づくりが持ち帰った人の生活を少しでも豊かにすることになればと想像しながら、準備に勤しんでいる。
地味なコクワガタの飼育にどれだけ興味を示してもらえるか、最初の年は8セットから始めて、次の年には16セットと徐々に増やしていった。今年は40セットにまで増やしてきたが、募集開始と同時に予約が殺到し、あっという間に定員が埋まっていく様子に、確かな手応えを感じている。
もちろん思うようにいかないことも多々ある。すべていっぺんにできるわけではないから、思い描くことを実現していくには時間もかかる。それとともに感じるのが、“自然を守る”ことの意味だと木谷さんは言う。
「ここの施設自体は、市の予算が毎年投入されて成り立っている施設ですから、市の財源次第では、なくなる可能性がある施設です。逆に言うと、市民の方々に必要とされているというところが担保されていれば、たぶん守り続けることができます。今後は、今のスタッフが次の世代にバトンを渡せるかどうかが問われるのだと思いますね。ただ、ぼく自身が今“自然を守る”ことに貢献できているかというと、実際にはすでに守られているところで仕事をしているという印象の方が強いんです。だからこそ、もう一歩踏み込んだ形で自然を守ることに携わっていけたらという思いもあります。例えば、ゲンゴロウは生息地の悪化で絶滅の危機に瀕しています。一部の水族館や博物館などこれまで生体展示していた施設で展示をやめてしまうこところもでてきています。繁殖技術は確立されていますが、幼虫の時代に餌をあげるのが結構大変なんですね。今、ぼくたちは水槽の管理の自動化を進めてきて、手間の軽減が実現できています。ゲンゴロウの飼育に関しても、もし自動化によって個体数を増やすことができれば、経済活動の中に組み込むことが可能になるかもしれません。そうなれば乱獲が減るかもしれませんし、田んぼのような圃場での生産体制となれば、ゲンゴロウと生息地を共にするような動植物の生態系を同時に確保できるかもしれません。個体数が維持されれば、昆虫少年にとってゲンゴウロウは憧れの的ですから、ゲンゴロウを自由に採集できる「ゲンゴロウの里」のような環境を作れるかもしれないし、作りってもみたい、そんな野望も描いています」
7:00 | 出勤。自宅はつくば市。職場までは車で30分ほど。 |
7:45 | 開園準備をしながら事務所へ。 園内の植生管理作業や造園業者さんの立ち合いを行ったり、水槽の手入れを行ったりする。 |
8:15 | 朝のミーティング・情報共有。前の日の引継ぎなども含めて、その時々にいる人で実施。 |
8:30 | 駐車場開門と園内巡回。正門などの他、園路の奥に位置する農家風の観察舎も夜間は施錠しているので、園内の巡回を兼ねて開錠している。 |
9:30 | 事務作業 メールチェック、イベントの予約状況の確認、イベントの広報原稿の編集など。イベントは1回30分から1時間で完結し、月2回ほど、主に土日に開催。人気のあるイベントの場合は、午前・午後の実施や、午前に2回実施することなどもある。 |
11:15-45 | 昼休み |
12:00 | ネイチャーセンター 受付業務 |
13:00 | 学校の受け入れやイベント開催の準備、消耗品注文など、その時々に必要な業務をこなす。 |
15:30 | 園内巡回 観察舎の清掃と施錠。 |
16:00 | 閉園作業 |
17:45 | 退社 |
①iPhone 連絡・情報収集ツールとして活用するほか、イベントの様子や折々の花の開花状況などSNSを通じて発信するための写真の撮影などにも重宝する。撮影した写真はすぐにアップロードできるし、防水性もあって野外で使うのに適している。以前はメモ帳を持ち歩いていた野外でのメモ取りも、スマホに切り替わっている。
②ノートPC 前任者が使っていたMacBook Proを使用。イラストレーターでチラシやポスターの編集をしたり、イベントの予約受付を確認したり、たまに3Dモデリングで水槽で使用するパーツの設計図を起こしたりもする。
③作業用袋 手袋、鎌、鋸などをセットで収納。アクティブレンジャーをしている頃の上司が山の作業で使っているのを見て、便利そうだと購入。以来使い続けている。
④耳栓 チェーンソーや刈払機などのエンジン付き機械を使う際に使用。
⑤ヘルメット 作業の時だけ着用。夏場でも風通しのよいようにベンチレーションがついている。オプションで取り付けたシールドは、チェーンソー使用時などに保護メガネ代わりになって便利。
⑥靴 コロンビアのオムニテックシューズ。透湿性があり、全天候型の撥水機能付きのものを愛用。朝などに園路を歩くと草露で足元が濡れてしまうが、購入後1年くらいは水を弾いてくれるため快適に使える(2年目以降は使用頻度によって濡れてきてしまうので、タイミングを見て交換する)。長靴は、作業後にボーっとすることが多くなるなど、合わないためあまり使用しない。
水槽いいね−
(2022.02.08)
Copyright (C) 2009 ECO NAVI -EIC NET ECO LIFE-. All rights reserved.