1988年10月8日生まれの30歳。現在、NHKエンタープライズの自然科学番組部に所属して、「ダーウィンが来た!」の番組制作ディレクターとして、主に野生動物たちの魅力的かつ摩訶不思議な生態を伝える役割を担っている。
生まれはアメリカだが、1歳半で帰国。親が転勤族のため故郷と呼べる土地はないが、長かったのは沖縄。小3-4年生に住んだあと、中学生の時に両親が気に入って移住。高校卒業まで沖縄の実家で暮らした。
名字から沖縄出身と間違われるが、沖縄の「よざ」さんは、「與座(与座)」が多く、余座姓は福井県にルーツがあると聞く。
専門学校は、2013年3月卒業の18期生。野生生物調査学科で、蜘蛛を専攻した。ハ虫類も好きで、今も自宅でヘビを飼っている。
前回の大石さん、前々回の腰塚さんとは専門学校の同期として学んだ仲だ。
2013年4月、自然番組を作りたいという希望を持って、NHKに入局。1か月の研修ののち、5月から松山局に配属となった。
4年間ディレクターとして松山局で勤務したのち、2017年8月から現在の職場、NHKエンタープライズに出向となり、1年半ほどになる。
朝4時。まだ外はうっすらと暗い中、オーストラリア北部の国立公園近くのロッジに宿を取った余座まりんさんたち「ダーウィンが来た!」ロケ隊は、眠りから覚醒する。
朝食の準備を済ませて手早く腹ごしらえをした後、宿からほど近いロケ現場に移動する。今回のターゲットは、自ら折り取った木の枝をドラムスティックのように握り、幹などに叩きつけて演奏するという珍しい生態を持つ、ヤシオウム。全長55-60cm、全身を黒い羽根に包む中で頬だけ赤く染め、頭部をパンクなモヒカンヘアで飾ったオウムの仲間だ。
鳥類をはじめ、動物界には美しい鳴き声を響かせるシンガーは数多くいるが、道具を使ってリズムを刻むドラマーとなると人間以外にはまず見当たらない。そんなヤシオウムの知られざる生態を映像に収めて、茶の間で家族揃って楽しめる番組として届けるのが、余座さんの仕事だ。
残念ながら、この朝も目的のドラム演奏を映像に収めることはできないまま時間が過ぎていく。動物によって行動時間や生息場所なども異なるが、鳥の場合、朝・夕の時間帯にもっとも活発な行動を示す種が多く、その時間に合わせて撮影することになる。もちろん、野生の生きものが相手だから、意図通りの行動を見せてくれるとは限らない。粘り強く通い詰め、カメラを回し続けることでようやくねらったような映像が撮れる。今回のオーストラリアロケでは35日間現地に滞在して、期待以上の収穫があった。
「ヤシオウムのドラム演奏は、オスの求愛行動の一つで、ねばりにねばった末に、その姿を映像に収めたときはアドレナリンが体中を巡り、感動と安堵がないまぜになりました。でもそれだけでなく、長期間ロケをしたことで、ドラム演奏の他にもさまざまな行動をする生きものだということがわかってきました。例えば、これも求愛行動の一つですが、翼を大きく広げて、オスとメスが互いにダンスをし合う優雅な姿を見せてくれましたし、音を出すのも枝のスティックで叩くだけでなく、くちばしをカチカチと鳴らすのです。そんな行動は事前にはまったく知らなかったことでした。現地に行って、長期間のロケをするからこその発見がたくさんありました」
ロケには研究者にも同行してもらって、種の同定や行動の意味などを確認してもらっている。専門家ならではの視点や解説はとても興味深い。それに加えて地元の人たちが抱いている思いを聞けるのも貴重な体験だ。事前にもメールや電話で連絡を取り合って現地ロケに臨んでいるが、実際に会って言葉を交わすことで伝わることは大きい。そんな当事者たちの日々の奮闘や、「伝えたい・伝えなければ」という熱い思いを映像化するのも、余座さんの大事な役割だ。
余座さんの現在の職場は、NHKエンタープライズ。NHKの番組づくりを手掛ける制作会社の一つで、余座さんは自然科学番組部に所属している。もともとはNHKに入局して、4年間地方局のディレクターとして務めた後、1年半ほど前にNHKエンタープライズに出向となって、念願の自然科学番組の制作に携わることになった。20名ほどのディレクターが、NHK総合で放送している「ダーウィンが来た!」やBS番組「ワイルドライフ」、NHKスペシャルなど大型番組のシリーズなどを担当している。大きなプロジェクトでは複数のディレクターがチームを組むこともあるが、基本は1人のディレクターが1本の番組を担当している。
異動してきて1年半ということもあって、これまでは先輩ディレクターの補助をしながら仕事を覚えていく日々を送ってきたが、冒頭に紹介したオーストラリアロケは、「ダーウィンが来た!」のディレクターとして初めて丸々一本の制作を担当する記念すべき番組となった。
テレビ番組の制作は、提案書を作成するところから始まる。取り上げたいテーマがあれば、まずは電話やメールで事前取材をして構想を練る。会える距離の人には直接会いに行って話を聞くなどして、提案書にまとめていく。
海外の動物を対象にする場合は、事前の取材に行けることはまずない。提案が通らなかったら丸々損害になってしまうため、原則、電話やメールで 現地の研究者と連絡を取ったり、現地のコーディネーターにリサーチを依頼したりして情報収集をする。国内にその動物を専門に研究している人がいたり、動物園で飼育していたりすれば、話を聞いたり見に行ったりもする。
こうしてまとめた提案書は、月1回実施している提案会議にかけられ、通ればいよいよ本取材を開始することになる。
番組の企画内容を説明してロケの協力を依頼・交渉しながら、段取りを組んでいく。現地のロケはカメラマンとビデオ・エンジニア(VE)【1】とディレクターの3人体制で動くことが多く、移動時の切符の手配や宿泊の予約などもディレクターの仕事になる。必要な資料があれば購入して読み込む。それらの領収書を整理して経理担当に提出するなど細々とした事務作業も案外手間だったりする。
国内の動物を取り上げる場合は、季節ごとに取材をすることも少なくない。春先の繁殖期に1週間ほど巣作りの様子を撮ったあと、時期をあけてまた1週間ほど取材に訪れて子育ての様子を撮影するなど、他の企画の取材と並行しながら、年間を通じてライフステージに応じた生態行動を追っていく。
ロケの後は、撮りためた映像素材の編集作業に入る。短い尺や地方局の番組ではディレクターが編集することもあるが、30分以上の長い番組の場合は、編集マンという専門職がついて、機械の操作等をお願いする。ディレクターは、撮ってきた映像素材をもとに番組の構成を立てて、編集マンと相談しながら番組の時間に合わせて映像をつないでいく。
「30分の番組でも、撮影している映像は100時間を超えることもあります。動物相手の場合、“はい、お願いします!”といって動いてくれるわけではないですし、“このあと超重要な行動をするよ”なんて教えてくれるはず
もありませんから、カメラを回しっぱなしにすることも多いんですね。ただ、そんな不要部分を削っていっても、30分にまとめるのは大変です。ディレクターは撮ってきた張本人ですから、思い入れもあってなかなか捨てられなかったりします」
そんなときに、このシーンがあることでむしろわかりにくくなると客観的な意見をくれるのが、編集マンであり、またデスクやプロデューサーでもある。結果、泣く泣く切り捨てていくケースも少なくはない。
取材対象の動物にもよるが、「ダーウィンが来た!」の場合、現地ロケに約1か月間滞在したのち、戻って1か月間ほどかけて編集作業を行う。事前の電話取材など提案会議にかけるための準備期間を含めると、概ね1本の番組を作るのに3-4か月ほどかかる。なかには半年から1年前に準備を始めることもあって、そんなときは間に別の番組の企画や取材などもこなしながら並行して動いていくなど、ケースバイケースだ。
物心ついた頃から動物が好きだったが、この道に進むきっかけをあえてあげるなら、小学生の頃に毎回欠かさず見ていた「どうぶつ奇想天外!」というテレビ番組の存在があった。中でも、解説者として出演していた、動物学者の千石正一先生が大好きで、当時ファンレターを送ったこともあった。
「驚いたことに、あるときその千石先生から電話がかかってきたんですよ。うちの母親が、私の書いたファンレターに自宅の電話番号を書いていたのをみて、わざわざお電話くださって…。「どうぶつがくしゃになるにはどうしたらいいですか?」みたいな質問に対して「頑張って勉強するんだよ」などとおっしゃってくださったことを薄っすらと覚えていますが、電話をいただいたことは強烈な印象として、その後もずっと記憶に残りました」
ただ、興味関心は動物だけにとどまらず、中学・高校と学年があがるにつれて、社会全般やマスコミなどいろんな方面に広がっていった。大学では、動物学者という幼い頃の夢とは大きくかけ離れた、私立文系の国際学部という社会学系の学部に進学した。ところが、そんな私立文系の大学で、新たな動物学者との出会いがあった。
「一般教養で生物学の授業を選択したんですが、当時、京都大学の霊長類研究所から来ていらした先生が担当してくださっていました。授業自体もおもしろかったんですけど、その先生が受け持つ一学年上のゼミにお邪魔して、まだ2年生だった私も研究室に遊びに行ったり実習に参加させてもらったりしたのが、ものすごくおもしろかったんですよ。文化人類学の一環としてサルの生態や行動から人間について考えるという内容のゼミで、実習ではニホンザルの行動調査に出かけたりしました」
その先生の授業を受けて、人を含む動物のおもしろさを再確認する。動物のことをもっときちんと勉強したいという思いが再び芽生え始めていた。
ところが、3年生に進学し、いざゼミを選択する年になったとき、その先生は京都大学に戻ってしまい、大学で生物学を選択することは叶わなかった。3年生の終わり頃から就職活動が始まると、生物学への思いを残しつつも、まわりに流されるように、一般企業への就職活動をこなしていた。
「今思うと、その時の就活では、本当に自分がやりたいことではなかっただろうところを受けながら、どこか違和感を持っていた気がします。そんな頃でした、母親から『こんな学校があるよ』と、生物や自然について学べる専門学校のパンフレットをもらったのは、たぶん私が勉強したいと思っていたことをわかってくれていたんでしょうね。それが、東京環境工科専門学校で、パンフレットを開くと、幼い頃の憧れだった千石先生が講師として教えていることがわかりました。これは!と、ほぼ即決で卒業後の進学を決めていました」
残念ながら当時すでに千石先生は入院生活を送っていて、授業自体は受け持っていなかった。それでも、先生とのつながりはあって、卒業生の先輩に連れられて、入院先に訪ねて行ったり、退院している間に自宅を訪問したりと、直接話をする機会を得た。「どうぶつ奇想天外!」の台本を見せてもらいながら動物の魅力について聞いたり、先生が立ち上げに関わった爬虫両生類情報交換会という学校外の有志の集まりにも参加して先生といっしょに国立科学博物館の展示を見てまわったのも思い出深い。
前回紹介した大石淳平さんも前々回の腰塚祐介さんも、専門学校で同期として机を並べた仲だった。
「講師の先生はもちろん同期の仲間たちも、自然や動物に対する知識が豊富で、ものすごく熱い思いをもっているのが、純粋にすごいなと思っていました。話もとてもおもしろく、聞いていてワクワクしてくる思いでした。もっと知りたいと思うとともに、それを広く伝える役割を担う人がいてもいいんじゃないかと思うようになったんです。たぶん、幼い頃にテレビで見た千石先生の姿と重なったところがあったように思います。千石先生みたいな人がいっぱいいるんだって」
子どもの頃に見た千石先生のおかげで、今の自分がある。自分がテレビの中の千石先生に憧れたように、今の子どもたちにもそんな魅力的な人たちのことを知ってもらいたい。それを伝える役割を、今度は自分が担いたいと思い、マスコミに進む気持ちが強くなっていった。その一方で、どこか現場でかかわる仕事から逃げたという思いも残ったという。
「当時はまわりの熱量に圧倒され、そこまでの熱は自分には持てないと突き付けられる思いもありました。そんな話をすると、そんなことはないと言ってくれる人もいましたし、むしろそうして客観的に見られるところが余座のよいところだと言ってくれる人もいました。専門学校の子たちって、もちろんそれが長所でもあるし、憧れる部分でもあるんですけど、偏っているところがあると思うんですよ。好きなことを突き詰めているからこそ、それ以外のことを知らないというか知ろうとしない子も少なくない。その点で、私は興味・関心がよくも悪くも分散し、平衡感覚を持っていたので、今の道に進めたのかもしれません」
専門学校の卒業生には、自然保護や環境教育等の現場で活動する人はもちろん、地方・国家公務員として行政に勤める人もこれまで数多く輩出してきたが、マスコミ業界に進む人はいなかった。現場で働く人たちの重要性は言うまでもないし、それを支える行政も大事な役割を担っている。ただそれに加えて、こうした自然を守る仕事に携わる人たちのことを広く伝え、もっと社会に認知してもらうため、マスコミ業界に進む人が出てくることに大きな意味ある。そんなことを思ったという。
「私自身は、現場に入って活動するだけの知識も十分にはなかったし、それを補うだけのものすごい熱量みたいなものも…なかったとは言いませんけど、それは彼らに任せたいなと思ったんです。ものすごい熱量と知識量を持つ仲間たちがいたからこそ、フィールドに出て、そこで目の前の人たちに何かを伝える役割は彼らがしてくれると確信が持てました。だったら私は一歩引いた立場で、一般の人たちとの間に立って、そんな彼らのことを広く伝えていくことをしたいなと思ったのです」
NHKからの募集は専門学校には入ってこないから、一般の就活生と同じようにエントリーシートを書いて応募した
「自然や生き物の迫力を見せるのには、映像が一番だと思って、それも自然番組ならNHKと勝手に思っていたから、就職活動もNHKに絞っていました。個人的にはスチル写真も好きだし、言葉を書くことも結構好きなんですけど、映像を通じて伝えたいという思いが強かったんです。実は、大学時代の就活の時にもNHKを受けていました。当時は書類選考で落とされて、何を書いたかも覚えていないくらいですから、やりたいことも明確にはなっていなかったんだと思います。本当に今就職したいと思って受けているのかというのも、エントリーシートから透けていたんでしょうね」
専門学校に入って、さまざまなことを学び、多くの人たちと出会っていく中で、自分が本当にやりたいことも明確になっていった。何のためにマスコミに入りたいのか、入って実現したいことへの確固たる思いも見えてくるようになってきたし、幼い頃に千石先生に憧れていた当時の思いも甦っていた。そんなエピソードも交えながら、エントリーシートをまとめて臨んだ二度目の就職活動は、以前とはまるで違うものになっていた。
今の目標は、身近な自然のおもしろさやすごさを伝えていけるディレクターになることだと余座さんは言う。視聴者にとって身近な自然もあるし、はたまた地球の裏側に住む人にとっての身近な自然もある。誰にとっての身近さでもよいが、その人たちが笑顔でいられて、楽しく過ごすことができる傍らに自然があることを、映像を通して伝えていきたい。そして、その映像を見た人たちにとっての身近でかけがえのない自然の存在を気付いてほしい。
「専門学校の授業で、聞いていてハッとした言葉がありました。『すごく暑い日に木陰があったら、それだけで安堵できるでしょう。普段は意識しない存在かもしれないけれど、涼しさを与えてくれる木陰が世界から一切なくなったら、どう思う?』、そんな言葉でした。ビルの谷間の影じゃなくて、公園の木陰で家族や友達と過ごす時間って、誰にとっても大事なんじゃないかなと思うんです。極端にいうと、それくらい身近なもので心に響く映像を作りたいんです」
都会で暮らしていると、自然と自分自身の生活との関係を見失いがちになる。でも、ふとした時に、花を目にして思うことがあるはずだ。日本人なら桜の花見など季節ごとに花や自然をめでる風習もある。生きている中で幸せだと思える背後に自然があることに気付いてもらいたい。特に子どもたちが、そんな感性を育むのに役立つような番組を作りたい。
「自然を守るというと大層なことのように聞こえますが、要は好きだったり楽しいと思えたりするかどうかということだと思うんです。好きなもの、楽しいと思えるものは、自ずと失いたくないと思うだろうし、大事にする気持ちを持つようになりますよね。だから、まずは好きになってもらい、楽しいと思ってもらうためのきっかけづくりがしたいんです」
4時起床
宿で朝食をとり、出発の準備をする
4時45分頃
ロケ現場に移動。ターゲットの動物によって異なるが、今回のオーストラリアロケでは、ヤシオウムという鳥の生態を追ったので、ロケ時間は朝・夕の行動時間帯に合わせて実施した。
ロケ現場に移動。ターゲットの動物によって異なるが、今回のオーストラリアロケでは、ヤシオウムという鳥の生態を追ったので、ロケ時間は朝・夕の行動時間帯に合わせて実施した。
泊るところは、近くに宿泊施設があれば利用する。余座さんはまだ経験はないが、テント泊などサバイバル生活をする場合もある。
今回は、国立公園の近くだったが、小さなロッジのような宿泊施設があったので、そこを利用。ロケ現場にもほど近いところだった。経費節約のためになるべく自炊。
9時半-10時
朝のロケ終了。宿に戻って、撮ってきた映像の確認、同行してもらった研究者にも見てもらい、行動の意味などについて、情報の確認をする。
12時-13時
昼休憩。
午後は、朝も早かったので休憩をとりながら、作業を続ける。
15時
朝・夕のヤシオウムの行動時間以外の時間帯には、研究者や地元住民のインタビュー、実景(青空や森、熱帯雨林)撮影など、生きものがいなくても撮れるものの撮影をこなす。
16時半
就現場に移動し、夕方のロケ。
18時半
終了、宿に戻って食事を作って食べる。
余裕があれば、その日に撮れた映像の確認や構成の検討をする。
22時
就寝。
翌日の準備をして、就寝
撮影地や生態によって大きく変わってくるが、今回のヤシオウムのロケの場合はこんな感じだった。
こんばんわ。
私は今年の春から新卒で地方で公務員をしている22歳の元理系生物学徒です。
今の仕事は生物とは全く関係がなく、仕事をしてみて初めて自分が生物への熱量に気が付きました笑
転職しようにも何をすれば良いか分からなかったのですがこの記事を見て少し視界が開けたような気がします。
(2021.09.14)
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