生まれも育ちも渥美半島。高校卒業後、地元で就職。正社員は、どうも性に合わないと退職し、その後はフリーターとして過ごす。28歳を機に、このまま地元にいては自分の成長がないと感じ、渥美半島を離れる。宮古島に渡り、リゾートバイトとして9か月ほど働く中、改めて自然が好きなことに気付き、「自然に関わる仕事に就きたい!」と実感する。地元・愛知に戻って、図書館などで自然に関わる仕事を探す中、「インタープリター」という言葉に出会い、「これだ!私、これになりたい!」と決意。
2004年4月から、東京環境工科専門学校に11期生として入学。2年間学び、2006年3月の卒業と同時に、屋久島に移住。10年近くネイチャーガイドなどをしながら暮らす。そのまま屋久島に骨を埋めるつもりでいたが、膝を壊したことで、地元渥美半島に戻ってくる。
2017年4月、渥美半島の自然の魅力を伝えようと、「渥美半島☆自然感察ガイド」を起業する。
某月某日、渥美半島のほぼ中央部にある、渥美半島最高峰の大山(328m)に向かう登山道の入り口に降り立つ。車で10分ほど離れた道の駅あかばねロコステーション(田原市赤羽根町)が、この日ガイド役を務める藤江昌代さんとの待ち合わせ場所だった。登山道入り口の駐車場まで互いの車で移動すると、いよいよこれから“田原の屋久島コース”と銘打ったガイドツアーが始まる。あいにくの雨模様だったが、“月に35日雨が降る”ともいわれる屋久島の森と似た雰囲気を味わうにはむしろ好条件かもしれない。
車から降りてきた藤江さんが、笑顔満開で迎えながら、予想外にテンションの高いマシンガントークで自己紹介を始める。
「ではではさっそくですが、ここが、私が“屋久島に似ている!”と感じた、田原の屋久島コースと呼んでいる森です。私はもともと、ここ渥美半島出身ですが、屋久島で10年近く住み、ネイチャーガイドなどをしていました。膝を痛めて、地元に戻ってきたのですが、戻った当初は屋久島ロスが続いていました。ある日たまたま山を歩くイベントに参加したとき、ここの森を見つけたのです。『え、何…屋久島じゃん!!屋久島と繋がっている…』って、ワクワクしたのを覚えています。これはみんなに伝えなきゃ!!!と思い、ガイドを始めました。ということで、出発しましょう!」
登山道の入り口で、「おっじゃましま~す!」と元気な声を発して足を踏み入れる。いつも森に入るときには挨拶をしているという。あとからついていくわれわれも、いきなりのハイテンションに若干の戸惑いを覚えつつも、それぞれ森への挨拶を囁いて、あとに続く。
森に入ったすぐ先で、先頭を歩く藤江さんが立ち止まり、カバンからホワイトボードを取り出して、説明を始める。
「今から歩くコースは、鮎川という川の源流まで行って、折り返して戻ってくるコースです。山頂までは行きません。私が“屋久島に似ている!”と感動した森が、ちょうどこの間にあるのです。皆さんご存知でしょうか、屋久島が世界遺産になった要件の一つに、里は沖縄地方の亜熱帯気候から、一番高いところは北海道並みの気候まで変化に富んでいます。つまり、日本列島を縦に凝縮したのが屋久島なんですね。ここ渥美半島の自然は温帯の照葉樹林が広がっていて、田原の屋久島コースは屋久島の西部林道の森とそっくりな雰囲気を見せてくれます。特に春先はとても魅力的な森です。この森に出会って、改めて照葉樹林が好きだということに私自身が気付かされました」
道すがら、台風で倒れた木が何本も見られた。中には登山道を塞ぐように覆い被さる木もあって、そんな時には必ず、「足元、気を付けてくださいね」「はい、ここくぐりますよ」などと声がかかる。歩きながら、森にいる動植物はもちろん、谷筋を流れる水や岩肌や地面に生えているコケの状態、石積みの跡などさまざまなもの・ことに目を止め、その都度興味深い話が披露される。もちろん、参加者からの「あれって何?」といった疑問があればそこから話が展開する。最初はやや気押され気味だった藤江さんのハイテンションに、どんどん引き込まれていくのを感じる。
「皆さん、こちら、右側を見てください。私が勝手に“プチ白谷雲水峡”と名付けている場所です。この沢筋の苔が、規模は全然小さいんですけど、アニメ映画『もののけ姫』の舞台になった白谷雲水峡の苔に覆われた深緑の森とどこか似ている感じがするんですよ」
プチ白谷雲水峡は、さすがに名前負けするが、これらの水源が照葉樹林の緑濃い森を支えているわけだ。
森の中でカラ類の鳴き声が響き渡る。遠くからは、キツツキの仲間コゲラがギーッとドアを開けるような鳴き声を響かせる。ホーホケキョというウグイスのさえずりも森の中に響きわたる。鬱蒼と茂った森の中で姿こそなかなか見えてこないものの、鳥たちの息遣いは十分に感じられる。夏になると、サンコウチョウやオオルリ、キビタキもやってくるという。
歩いていると、足元にヤブツバキの赤い花がボトリと落ちているのが目につく。赤い花をつけたヤブツバキの木は、この森の代表的な樹種の一つだと藤江さんがすかさず紹介する。
ヤブニッケイも渥美半島を代表する樹木の一つ。シロダモとともに、森の中にたくさん生えている。ともにクスノキの仲間だ。歩きながら葉っぱを1枚摘み取った藤江さんが、折って揉むようにして、鼻先に近づけてみてくださいと手渡してくれる。ツンとしたさわやかな香気が漂ってくるのが感じられる。
道に沿って歩を進めていくと、石積みが見えてくる。棚田のような段々畑が作られているのは、かつてここで作物を育てていた痕跡だ。
この日歩いた道は、大山に向かう登山道の一つになっている。ただ、あまり頻繁に使われるコースではなく、地元の人を案内しても、「へえ、こんなところがあったの」と驚かれることもあるという。
森の道をさらに進んでいくと、明るく開かれたところに出くわす。ほら、大きな木が倒れているでしょうと藤江さんから声がかかる。
「皆さんご存知かと思いますが、こんなふうに開けたところをギャップといいます。光が射しこんできて、新しい芽が出てきます。ちなみにこの倒れた樹木は、ヤブニッケイです。こんなに大きくなるんですよ」
鮎川の源流部まで歩いていき、小川を渡ったところでお茶休憩をとる。この日のお茶菓子は、地元で人気のパン屋さんのラスクが用意されていた。
ふだん少人数でガイドするときには、お湯を沸かして、コーヒー、紅茶、ココアなど気分と好みに応じて、好きな飲み物を選んでもらう。森の話や藤江さん自身の話などしながら、体が冷え切らない程度に体を休める。甘いラスクが疲れた体にエネルギーチャージしてくれる。
ひとしきり休んだ後、もと来た道を引き返す。帰り道は雨も上がって、木々の間から陽が射し始める。ふだんは雨が降ると中止にしているというが、雨上がりにしか見られない靄っとした感じは森を幻想的にしてくれ、雨の日ならではのよさもあった。
終点の近くになって、藤江さんが、“金ちゃんヌードルのスープの粉の匂いに似ているんです!”と言って紹介する白い小さな花が咲く木があった。モッコク科の常緑小高木のヒサカキだ。この時期、小さな白い花を咲かせるこの木の近くを通るたびに、「あ、金ちゃんヌードル!」といつも思うらしい。関東ではあまり馴染みのない金ちゃんヌードルだが、西日本を中心に熱烈なファンもいるという。そのスープ粉末の匂いに似ているという花の香が実際にどんなものか知りたい方は、ぜひ藤江さんのガイドツアーに参加してみていただきたい。確かに言われてみればその感覚もなんとなくわかる気がしたということは付け加えておきたい。
もともと漠然とながら自然が好きで、特に何度か観光客として訪れていた屋久島には格別な思いを抱いていたと藤江さんは言う。
転機になったのは、20代後半に沖縄の宮古島で9か月間住み込んで働いたリゾートバイトの経験だった。高校を卒業して地元で就職をしたものの、1年も勤めないうちに辞めて以来、地元でフリーターなどしながら暮らしていたが、このままでは自分自身の成長がないと、地元を出ることを決意したのが28歳の時。寒いところは苦手なので暖かい沖縄がいいと選んだ宮古島での生活が、改めて自分の進路を見つめ直すきっかけになった。
「宮古島に行って、気づかされたんです。私は自然が好きなんだ、自然に関わる仕事に就きたい!ということに。もう思い立ったらすぐに行動するたちなので、愛知に戻ってすぐに図書館で自然に関わる仕事を探しました。そこで『インタープリター』という仕事があることを知って、“これだ!私、これになりたい!”と思ったんですね。いろいろと調べていくうちに、東京環境工科専門学校が大好きな屋久島で実習をしていることを知って、ほぼ即決で進学を決めました。専門学校に行かずにそのまま屋久島に行くことも考えましたが、2年間勉強して基礎を身につけたうえで屋久島に行こうと決めました」
専門学校では、さまざまな分野の授業があり、勉強のおもしろさを実感した。得意分野にできるものが一つでもあるといいと言われて思い付いたのが、伊良湖岬を渡るサシバの存在だった。地元に戻るつもりは全くなかったが、今となってはそれも最終的には地元に戻ってくることになる運命を暗示していたのかもしれない。
専門学校の学生時代、夏休みのアルバイトとして、群馬県上信越高原国立公園の万座地区で環境省レンジャー(自然保護官)の仕事を補佐するサブレンジャーを体験した。万座にあるホテルに泊まっている宿泊者対象の環境教育プログラムとして、スライドショーや寸劇などを実施するというものだ。大自然の中で、来る日も来る日も、プログラムの参加者たちを前にして話ができたのはよい経験となった。
そんなある日、プログラムに参加したという家族からホテル宛に届いた“お礼の手紙”を渡された。見ると、「先生のおかげでとても楽しい体験ができました」と書かれていた。アルバイトのサブレンジャーだから、“先生”なんて呼ばれるのは身に余るが、そうして喜んでもらえたことは感謝以外の何ものでもなかった。当時同じくサブレンジャーとしてアルバイトをしていた学生が、涙をこぼして感動していたのも忘れられない。このときのことは、インタープリターを志した原点として、今でも忘れがたい思い出になっている。
専門学校を卒業してすぐに渡った屋久島では、10年近く住んでネイチャーガイドなどしていたが、シーズン時は、ほぼ毎日ガイドをする日々で無理がたたったのか、膝を痛めて、走ることができなくなった。正座もできないくらい悪化して、さすがにやばいと思い悩んだ末、地元に戻ってくることを決めた。戻った当初は屋久島ロスが続き、自分で決めて帰ってきたのに毎日毎日涙が出るほどの寂しさが募った。
“田原の屋久島”に出会ったのは、ちょうどそんな頃のことだった。たまたま参加した山を歩くイベントで歩いた照葉樹林が、まさに恋い焦がれた屋久島の風景に重なった。と同時に、この照葉樹林の森をみんなに紹介して、地元渥美半島の自然の魅力を広く伝えることが自分の使命だと思い立つ。単純だが、目標を見つけて、一気に元気を取り戻した。思い立ったが吉日、2017年4月。個人事業主として「渥美半島☆自然感察ガイド」を起業した。
自然観察ではなく、「感」の文字を使うのは、五感を使って自然とふれあい、自然を体感することを重視したいからだ。ガイド中、生きものや自然のさまざまな姿・表情を見つけるたびに、視覚や聴覚はもちろん、匂いを嗅いでみたり肌触りを感じてみたりと、藤江さん自身が率先して五感をフルに活用しながら田原の自然の楽しみ方を伝えてくれていた。
「テンションが高いって、よく言われるんですけど、でも、私にとってはこれが通常運転なんです。この照葉樹林の森が大好きだから、自然とテンションもあがってきちゃうんだと思います。特に気持ちを盛り上げようと思っているわけじゃないんですけどね」
もっとも、そうして感動を露わにしながら、自然の美しさやおもしろさをガイドツアーの参加者とわかちあっていくからこそ、藤江さん自身の好きという気持ちが存分に伝わるし、結果として渥美半島の自然の素晴らしさが伝わるのだろうとも感じる。
藤江さんがガイドしているコースは、田原の屋久島コースの他にも、尾村山コースなど全6コースを用意している。もともと田原の屋久島コースに出会って始めたガイドだったが、案内した時に眺望が見たいという声があがったのをきっかけに、新たなコース開拓をしていった。
ガイドの予約は、ホームページの受付フォームから希望に応じてコースを選んで申し込んでもらう。個人向けのガイドの他にも、行政や団体からの依頼で、市民対象や他の地域の自然観察イベントなどを担当することもある。
田原市商工観光課内に事務局を置く「たはら巡り~な」実行委員会では、愛知県最南端にある渥美半島を何度もぐるっと巡って、自然や文化や人との出会いを存分に味わってほしいと、田原ならではの体験プログラムを提供する「たはら巡り~な」プロジェクトを実施している。40の体験コースが紹介されている中で、藤江さんが案内するコースも2つ紹介されている。体験プログラムの概要を紹介するガイドブックは、道の駅をはじめとして市内各所に置かれて、大々的にPRしている。
昨年、田原の屋久島コースの途中にある、棚田のような段々畑の跡地の平地部分で、マクロビオティックのカフェの店主とコラボした企画、「自然deごはん」を実施した。2人のコンビ名として名付けたものだ。
「ふだん山に行くときって、お弁当を持っていくじゃないですか。そんな固定観念を覆すようなものにしたいと考えました。この日のガイドツアーでは、私が鮎川の源流まで案内して、戻ってくるとケータリングのマクロビ料理が用意されたパーティー会場ができている、そんな森の中のパーティーを参加者みんなで楽しみました」
事前準備のため、棚田までの道を、大荷物を持って2往復ほどした。参加者も10人ほど集まって、盛大な森のパーティーとなった。
尾村山コースでは、ワンバーナークッキングのイベントを実施した。自然観察をしながら山頂まで歩き、ランチの時間にはマクロビカフェの店主が講師となって、ガスバーナーを使った簡単アウトドア料理を参加者自身が作るという体験型の企画だった。
ツリークライミングをしている人とのコラボイベントでは、木の上でお弁当を食べるプログラムも実施した。
地域にいる、いろんな特技を持つ人と組み合わさることで、一人ではできないことをやっていきたいと藤江さんは言う。来る6-7月頃には、整形外科・リハビリ関係などで働いていた人とのコラボ企画を構想している。大人対象の田原の屋久島コースと、親子対象の尾村山コースを計画中だ。例えば、出発前に10分間のストレッチをして身体の機能を整えたあと、折り返しまでの道で自然観察をしながら、到着したところで熱中症の対策についての話をする。登山口に戻ってきたあとには、クールダウンの仕方を教える。どんな内容にするかはコラボする専門家次第で柔軟に対応する。
ガイドをしていると、特に都会から来た人が「私の住んでいるところには自然なんてないんですよ」と言う人も少なくない。「ここはいいですよね、素晴らしい自然に恵まれていて」と言う。楽しんでもらった裏返しとしての言葉だったりもするが、そんなことはないと藤江さんは声を大にする。
「いやいやいや、そうじゃないんですよ、東京の大都市の中でも、普通に公園に行けば、木々が生えている。当たり前ですが、垣根や花壇にも生きものが息づいているんですよ。ここが特別なわけじゃなくて、どこにでも、足元には自然が広がっているんです。生きものの小宇宙があるんですということを、私は本当は伝えたいんです」
地元の住民にも、自分たちの住んでいる場所のよさをもっと知ってほしい。今はまだ、直接的に語りかけても、「ふーんそうなの」と聞き流されてしまうから、まずはまわりから攻めていきたいと藤江さんは言う。わざわざ渥美半島をめがけてやってくる人たちを増やしていければ、“渥美半島って、案外すごいんじゃねえ!”と地元の人たちが気づいてくれる日も来るかもしれない。
「ここ渥美半島に人を呼びたいんですよ。特に、若い世代の女の子たち。ファミリーやカップルはよく見かけるんですけど、女子はあまり見かけない気がします。若い女性が一人で来ても安心して楽しめるような、そんな場所に渥美半島がなれば、何か化学反応が起きそうな気がしませんか。それと、半島なので三方海に囲まれていることもあって、渥美半島には海のイメージが強いんです。サーフィンの世界大会も開かれていますし、自然やアウトドアの対象として真っ先に思い浮かぶのは、海やサーフィンです。だけど、それと同じくらいに、森の魅力もあるんですよ!ということを伝えていきたい。今に見てろよ!ここのよさを絶対に伝えてやる!って思っています(笑)」
2017年に起業して、ここまで約2年間、やりたいことをやりながら、地域の中でガイドの仕事を確立していくための方法を模索してきた。屋久島などガイドの先駆地と違って、渥美半島でプロのガイドとして生活している人はいないから、まさにゼロから切り開いてきたわけだ。
まだまだガイド一本で食べていくには至らず、平日のアルバイトが家計を支えている状況だが、自然に対する思い、生きものに対する思いは誰にも負けないという思いがある。そんな思いを原動力にしながら、ガイド以外の部分も含めて自然を糧に生きていくことに大きな不安はない。
「渥美半島でガイドだけで生きていくなんて言うと、無謀という人も少なくありません。昔はそう思う方がほとんどだったでしょう。でも今の時代、やり方次第で食べていけるようになると思うんですよ。なんとなくの勘ですけど。でもそのやり方は、まだ模索中です。行動力だけが取り柄なので、とにかくいろいろとやってみて、だめならまた考えて、工夫して、それを続けるかどうか判断する。そんな試行錯誤も楽しいんですよね」
6:00-6:30 | 起床。 毎朝の日課として、墓参りと近所のお宮さんに挨拶に行ったあと、太平洋ロングビーチを車で走りながら、SNSにアップする写真や動画を撮影している。 |
8:30 | 集合場所には30分前には到着するようにしている。 |
9:00-12:00 | “田原の屋久島コース”などいくつかあるガイドコースを案内。 ガイドの終了後には、現地解散の前にその場でアンケートを書いてもらっている。 |
12:00 | 昼食。 午後にガイドの予約があれば、集合場所に移動して、案内。 予約が入っていない場合は、次のガイドの下見だったり、気になっている場所を確認しに行ったりと、渥美半島内を巡り歩いている。 |
18:00 | 帰宅。 夕食後の夜の時間は、パソコンに向かうことが多い。メールのチェックや、SNSのコメントのリプなど。ガイドの申し込みがあれば、その返事を出すほか、昼間にガイドをした日にはブログの更新もしている。最近は、Twitterでつぶやくことが多い。 |
0:00 | 就寝。 |
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