岐阜県恵那市大井町にある中山道広重美術館。恵那市は旧中山道が通り、特に大井宿はその中心的な宿場町として栄えました。美濃路随一の宿場町とされた当時の盛り上がりを甦らせようと恵那駅周辺の再整備がなされ、2001年に中山道広重美術館が誕生しました。
フェリシモ「ミュージアム部」とのコラボレーションで誕生したのが、この「広重おじさんトランプカード〈東海道五十三次〉」です。広重の浮世絵の中で描かれている「広重おじさん」に焦点をあて、そのユーモラスな佇まいを楽しめる逸品です。
元々、館内で楽しむ用に存在していた自家製トランプが商品化。リニューアルにあたり、55種類全て異なる絵柄の「広重おじさん」が描かれ、起点の日本橋と終点の京都を含む東海道の各宿場全55ヵ所の絵が採用されています。
七ならべをすると、「東海道五拾三次之内」保永堂版→「東海道五十三次之内」行書版→「東海道」隷書版→「五十三次名所図会」竪絵、と年代順に並び、広重の絵のタッチの変化を観察できるようになっています。
このコラボレーションのきっかけはTwitter。フェリシモ「ミュージアム部」のスタッフが、「#広重おじコレ」というハッシュタグがつけられた中山道広重美術館のツイートを発見したことに始まります。このツイート企画では、旅の途中に木陰で眠りこけているおじさん、茶店で餅に舌鼓を打つおじさん、街道の真ん中で焚火に当たるおじさんなど、広重の浮世絵作品に登場するおじさんを紹介しています。そのユーモラスな表情や出で立ちに気づいてしまえばもう目が離せない!とフェリシモ「ミュージアム部」が中山道広重美術館に声をかけたのだそう。
そう考えると確かに私も、歌川広重の作品で人物にあまり着目してこなかったなと思い知らされます。大胆な構図や遠近法を用いた風景画としての面白さ、印象派やアール・ヌーヴォーに影響を与えたとされる「ヒロシゲブルー」という鮮やかな青や紺青の色使いばかりに目が行っていました。
〈東海道五十三次〉は宿場町を中心に、旅の様子やその土地の風俗を描き、人気を博したもの。旅の面白さ、宿場町の活気を伝えるメディアだと考えれば、コミカルに描かれた旅人の姿を楽しむのも一興。SNSを通じて広重作品の新たな楽しみ方を美術館が伝え、それがきっかけで作品により深くコミットできるグッズが生まれる。幸福な出会いのおすそ分けをいただいたような気持ちになります。
#広重おじコレ ウーマンズ編:留女(御油宿)
— 中山道広重美術館?Hiroshige Museum of Art, Ena (@hiroshige_ena) December 22, 2022
隣の宿場・赤坂宿と客の争奪が激しかった御油宿。その旅籠の店先で留女が旅人を引き込もうとしています。旅人の表情からかなり強い力で荷物を引っ張られたであろうと想像しますが、引っ張った留女は余裕の表情を浮かべます。
◎本図は現在出品されていません pic.twitter.com/ufGHRqIYeU
「広重おじさん」の姿を見ていると、筆者である私自身の旅の思い出も蘇ってきます。私は娘とよく一緒に旅をしていて、国内旅行が中心ではありますが、どの出来事も今でも鮮やかです。2夜連続深夜バスと船で札幌~函館~青森~東京を移動し、朝4時に青森港にフェリーで着岸したときは辛かったな。当時娘はまだ小学生で、「お母さんとの旅行は“冒険”だよね」と呆れられたりもしました。
でも私はやっぱり忘れられない。「船の中に泊まれるなんて!」と喜んでいた初めてのフェリー旅。「意外と本物は小さいんだね」と驚いていた初めてのフェルメール。「撮り直しができないから緊張する」と言いながら使っていた初めてのインスタントカメラ。娘との旅の一瞬一瞬が、私にとっては永遠の思い出です。
江戸時代のあなたもきっとそうだったでしょう?と、浮世絵の中の「広重おじさん」に話しかけてみる。「中山道の山道がきつくてさ~」と故郷で家族に思い出話をしたのかもしれない。お土産を持ち帰ったのかもしれない。あなたはもういないけれど、あなたの中では旅の日の一瞬は今も永遠に生きているでしょう。私も同じです。浮世絵の中に描かれているおじさんは、私のことでもあるんです。
この記事を読んでいる読者の皆さんも、ぜひ中山道広重美術館で浮世絵を見て、描かれている人物に着目してみましょう。私も次は娘を連れて行こう。このトランプを持って行って、夜に宿で遊んで、「このおじさん、美術館の浮世絵で見たよね!」とはしゃぐんだ。そして街に出て、中山道の街道文化に触れてみてください。江戸時代にこの地を旅したおじさんたちに連なるように、今自分がここにいるんだということが実感できるかと思います。
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