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「『ブラサカ(R)』の持つ力を社会に!」バックナンバー

0132023.02.21UPブラインドサッカーと地域社会の結びつき

新たな物語が生まれた

記念すべき20回目となった本大会のFINALラウンドは、パペレシアル品川が創部4年目で初優勝。当日来場者は全席有料である中、1000名にも及んだ。(©JBFA)

 20回目を迎えた、ブラインドサッカー日本選手権のFINALが2月11日に東京都町田市総合体育館で開催されました。全席有料、予選ラウンド含めると過去最多の22チームの参加、相変わらずパラスポーツの最前線をひた走る姿には、関わる一人として誇りに思うばかりです。
 私もFINALは現地観戦しましたが、熱のこもったプレーや応援と、久しぶりの国内大会会場の雰囲気に、懐かしさとともに新鮮さを感じました。

 結果は、日本代表強化指定選手や、ナショナルトレセン選手を複数要するパペレシアル品川の初優勝。創部4年にして悲願をつかみ取る結果となりました。
 一方、予選ラウンドから見てみると、また異なる意味で、新たな歴史、物語が生まれました。新たなクラブが、日本選手権初出場という大きな一歩を踏み出したのです。


一人の想い、そして歴史を経て生まれたクラブ

 そのクラブ名は、“スフィーダ世田谷BFC” 東京都世田谷区に本拠を置くクラブです。今回、立ち上げ人であり、現在はクラブGM(ゼネラルマネージャー)の鈴木康夫さんにお話を伺いながら、コロナ禍を乗り越え、着実に組織化され、地域との結びつきを生みだしてきた秘訣や“想い”の部分を聞かせていただきました。
 本来ならば、伺ったお話をそのまま記述したいところですが、今回は特に印象に残った点に絞ってお伝えしたいと思います。
 鈴木さんは、とてもソウルフルで、温かみのある、素敵な方です。クラブづくりにも鈴木さんの個性が存分に出ていると強く感じました。

 “地域に貢献する”―、このキーワードがスフィーダ世田谷BFCの根本にあります。以下、掲げるビジョンとミッションになります。

・ビジョン
 “目が見える人と見えない人がいつも笑いあえる社会を世田谷につくる”

・ミッション
 1 ブラインドサッカーを通じて人と人とがつながる機会を提供すること
 2 運動を通じて心身共に健康になる機会を提供すること
 3 絵本の読み聞かせを通じて一人一人の違いを知る機会を提供すること

 応援してもらう以前に、自分たちが地域を応援しよう!という姿勢が表れています。
 この想いが人の心を動かし、コロナ禍でありながら、一歩ずつクラブが組織化されていく大きなエンジンになったのだと感じました。

 そのため、取り組む事業はアイディアに富んでおり、ブラインドサッカー界の常識の枠にとらわれない発想で地域社会とかかわっているということを聞かせてもらいました。
 まず驚いたのが、ミッションにも書かれている“絵本の読み聞かせ”を事業として実施しているという部分。なぜ読み聞かせなんだろう?ブラインドサッカーとは全く関係がないのでは?と思いましたが、そこには確かな意図がありました。

スフィーダ世田谷BFCの読み聞かせの様子(2022年5月なでしこリーグ会場にて)(©スフィーダ世田谷BFC)

鈴木さん:やはり、最初から応援してください!ではなく、私たちが世田谷の困りごとを解決していく姿勢がすごく大切だと思ったんです。そこで、世田谷区民の声として上がっているものに目を向けてみると、障がいのある方のことを理解できるような教育をしてほしい、社会福祉に対する教育をしてほしいというものがあったんです。だけど、担い手がいないので、これを自分たちでできないか?と考え、クラブを立ち上げました。

事業を進める中で様々な出会いや再会があったんですが、仲間になってくれたメンバーの専門知識を生かして、絵本の読み聞かせをやってみようということになりました。
ヨシタケシンスケ さん 伊藤亜紗さんが作られた、『みえるとか みえないとか』という絵本を題材に、まずは年長児の皆さんに対して絵本の読み聞かせを始めたんです。

この絵本自体が、「マジョリティからみたマイノリティを障害という」と教えてくれる内容になっています。視覚障がいが当たり前の社会では、見えている人が障がいになることが伝わり、そういったことを物心がつく前に感じてもらいたい、という思いから始めて、これまで続けてきました。

同じ園に再訪する機会があると、自然に会話が生まれています。先生方からは、教育というより、会話の中から感じてもらえる機会になっているとの声もいただきました。
読み聞かせをした後には、選手たちといっしょにブラインドサッカーに触れる機会も作るなど、内容も充実してきました。最初はうまくいかないし、反応があまりよくなく、落ち込んだりしていましたが(苦笑)。


一人の女の子との出会いから生まれた“想い”が生んだクラブ

 一歩一歩、事業を進めてきたスフィーダ世田谷BFC。
 そもそも、鈴木さんがチームを設立しようと思ったきっかけは何だったのか。
 様々な方々とお会いして、“物事は一人の熱烈な想いからスタートする”と思うことがあります。鈴木さんはまさにそれを体現している方だなと感じますし、だからこそ、最初のきっかけが知りたかったのです。

2020年12月28日第2回練習の様子(トップチーム樫本芹菜選手も見学)(©スフィーダ世田谷BFC)

鈴木さん:ブラインドサッカーとの出会いは、2015年でした。すぐにその魅力に取りつかれました。本当に(笑)。
ゴールキーパーをしていても、シュートコースは読めないし、すごいスポーツだなと感じたところから熱が入っていったわけですが、2019年の東日本リーグに参加している中で、一人の女の子と出会ったことが一つの転機になりました。
その子は当時中学3年生で、視覚に障がいを持っている子でした。ブラインドサッカーに興味を持ってくれたけど、ピッチに立てば、屈強な男性選手と対峙する必要があるため、そこにはやはり怖さがあったんです。
当時はブラインドサッカー女子日本代表が発足しているタイミングでしたが、競技を強化する意味でも、女子選手が主体のクラブや試合が必要だと思ったんです。そこで、女子チームを立ち上げることを目的に、動き出しました。もう本当に、まず動いてみようという感じからのスタートでした。


スフィーダ世田谷BFCのありたい姿

 その後、一歩ずつ活動の歩みを進めていくなかで、様々な試行錯誤を繰り返していったそうですが、常に揺るがなかったのは、地域のためになりたいという姿勢。
 鈴木さん自身が、クラブとして地域と結びつくことに対する“想い”を持つことになったきっかけは何だったのか。聞いてみると、確かな原体験があったようです。

鈴木さん:いくつかあるんですが、クラブの母体であるスフィーダ世田谷FC(現在:女子なでしこリーグ1部所属)の応援団をしていた時にさかのぼります。静岡県御殿場市にある時之栖グランドで開催された試合だったんですが、前半を終えて0-2負けていました。私は1人で応援していましたが、ハーフタイムの空気は最悪。なんかそこでスイッチが入ったんです。
後半は「誰が何と言おうと周りは気にするな、自分を信じていれば勝利はついてくる」というチャント(応援歌)に乗せながら叫び続けたんです。本当に息継ぐ暇もないくらい(苦笑)。そうすると、選手にも応援の声が届いたようで、徐々に息を吹き返して、最終的に逆転勝利したんです。もう本当に一緒に戦ったような感じでした。
試合後に、選手たちが僕のところに来てくれて、感謝の気持ちを伝えてくれたんです。本当にうれしかった。
その試合を、後にスフィーダ世田谷FCのスポンサーとなる企業の社長さんが観戦されていて、「選手も応援する人も一体となる、これがスポーツの良さだ!そんなチームを応援したい」と言ってくれたんです。
当時、Jリーグのクラブをスポンサードすることも検討されていましたが、スフィーダ世田谷FCのスポンサーとして支えることを決めてくださったんです。
そんな出来事が原体験となって、クラブは支えてくれる人や地域の皆さんと根強く結びつくことで、スポーツの価値を体現できるし、応援したいと思ってくれる方も増えてくると思うようになりました。だからこそ、自分から友達になっていく姿勢、貢献していく姿勢っていうのが大切だと思うんです。

大きな一歩、日本選手権に初出場

2022年12月日本選手権初出場(©スフィーダ世田谷BFC)

 そんな鈴木さんの“想い”と “姿勢” 、そして着実なクラブの前進に、少しずつ仲間が集まってくるようになりました。当初は女子チームとして立ち上がったクラブが男子選手の入団も受け入れるなど、計画の柔軟な変化をつけつつ、一歩一歩進んでいる姿は、本当に素晴らしいの一言です。
 2022年12月には日本選手権にも初出場し、大きな一歩を踏み出しました。最初は鈴木さん1人でスタートしたクラブは、現在31名ほどの選手とスタッフが在籍するまでに成長しました。
 地域に貢献する。地域に求められる存在になる。その想いが今後も周囲をひきつけ、一歩一歩歩みを進めていくのだろうと思います。

 スフィーダ世田谷BFCの今後の活躍に、私自身もワクワクしています。こんなクラブが増えていくと、よりインクルーシブな社会に近づくのではないか、そんなことを思いながら、私なりのブラインドサッカーライフを送っていきたいと思います。


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