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「『ブラサカ(R)』の持つ力を社会に!」バックナンバー

0022019.08.27UPブラインドサッカーとの出会いからこれまで

偏見

 障がい者=大変そう、可哀そう。または、自分とはあまりかかわりのない方たち。私は障がいのある方たちのことをそのように捉えていました。誰に教わるわけでもなく、モノごころがつく頃から恐らくそう思っていました。私と同じような感覚の方も多いのではないでしょうか?
 今の時代、「ダイバーシティ」や「インクルーシブ」、「ユニバーサル」といった言葉をよく耳にします。スポーツ面で言えば、東京パラリンピックを翌年に控えている今、障がい者スポーツに触れることができる機会も飛躍的に増えてきています。しかしながら、それが障がい者理解へとつながっているかというと、現状は「??」がつくような気がします。
 そもそも障がい者理解とは何か?そこに障がい者という言葉は必要なのか? 一言、『他者を知ろうとする』や『相手の立場になってみる』のような言葉の方がしっくりくるような気がします。ブラインドサッカーと出会ってから、私自身の大きく変化した部分かもしれません。
 視覚障がい者の方にもいろいろな方がいるわけです。全く見えない人(全盲)もいれば、少し見える人(弱視)もいる。心の状態も、その時点では自己受容ができない方もいれば、自分の夢をもってエネルギー高く生きている方もいる。できること、できないこともそれぞれで違う。
 いつからか、多くのブラインドサッカー選手と触れ合う中で、私自身、障がい者理解というより、『今、目の前にいるあなた』を理解することに努めるようになったような気がします。そのほうが、自然に相手を受け入れられるような気がするのです。それは、もしかしたらどんな人間関係でも必要なスタンスなのかもしれません。

 

とある日

 5年前のある日、私は東西線の西葛西駅で、ある方たちを待っていました。その日は朝の通勤でサラリーマンがたくさん行き交う日でした。
 待つこと数十分、一人の全盲であろう方が改札を通過しようとしています。手には白杖を持ち、ちょっと疲れているような雰囲気です。私は様子をうかがっていましたが、その方は改札から出てほど近い、大きな柱の近くに止まりました。
 その数分後、今度は女性が現れました。髪の毛含め全身が白く、目を細めるなどして、周囲を窺っている様子です。ほどなくして先ほどの全盲であろう方と合流しています。
 『どうやって声をかければいいのだろう??』私は困りました。なぜならそのお2人は、その時私が待っていた方々であったからです。女性は、先天性白皮症の方であり、視覚に障がいを持っている方でした。どちらの方も、対峙するのは初めてであり、どのようにコミュニケーションをとればよいのか、皆目見当もつきませんでした。
 『おはようございます。今日ご一緒させていただきます佐藤です』
 私が勇気を振り絞って出した最初の言葉がこの一言です。結果的に、何の変哲もない言葉となりました。
 そのあとに、ブラインドサッカー協会のスタッフの方がいらっしゃり、メンバーが揃いました。この日は、西葛西にある小学校を訪問し、『スポ育』と呼んでいるブラインドサッカーを通じた体験型学習プログラムをお届けする日でした。朝から自分自身の心の中の動揺を感じながら学校へと向かいます。私がブラインドサッカーと出会った、記念すべき日となるのでした。

衝撃

小学校で実施している『スポ育』。「ブラインドサッカーで大切なことは、みんなの日常の生活でも大切なことだよね?」と訴えかける。(© JBFA)

小学校で実施している『スポ育』。「ブラインドサッカーで大切なことは、みんなの日常の生活でも大切なことだよね?」と訴えかける。(© JBFA)

 学校についてからも私の心は落ち着きません。ひょっとしたら、自分は場違いなところに来てしまったかな? プログラムが始まるまでの間、ずっとそう思っていたことを思い出します。そんな中、体育館へ移動し、プログラムがスタート、その日の対象は小学4年生でした。
 プログラムが始まってものの数分で、私は自分の奥底に存在した、障がい者に対する考え方が自分自身の勝手な思い込みであり、間違っていることに気が付きました。
 「目が見えない人=可哀そう」、これが私のイメージでした。暗くて、自分の言葉を持っていないようなイメージ。
 しかし、その場で見た光景は、そんな私自身のイメージを覆すのに十分なインパクトを放っていました。視覚障がい者が自分の障がいについて語り、プログラムを進行する。プログラムを通じて一緒に体を動かし、「ブラインドサッカーで大切なことは、みんなの日常の生活でも大切なことだよね?」と訴えかける。休み時間は、子どもたちから質問攻め。人気者でした。その光景はまさに衝撃であり、驚きでした。ただ、目が見えない。それだけだったのです。
 その日を境に、私とブラインドサッカーの関係がスタートすることとなります。私の価値観が180度変えさせられた、90分。人生の中でも特に価値のある90分となりました。


原体験を届けたい

 「障がい者=可哀そう」ではなく、ただ単に一つの特徴なのです。『スポ育』を通じてそのように捉え方が変わった私は、その後、スポ育の講師としてのキャリアをスタートさせました。現在は大会事業を通じて、『視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざりあう社会』へ向けてアプローチしていますが、3年ほど前まで、ほぼ毎日学校訪問を行っていました。
 自分が感じていたような障がい者へのイメージを変えたい。他者のいろいろな面を受容できる価値観を広げていきたい。そんな思いを大切に、来る日も来る日も学校訪問をしました。講師としてスポ育を届けた人数は10000人を優に超えることとなりました。時には先生に対しても思いをぶつけ、なかなかうまくプログラム進行ができないときは、原点回帰で自分の原体験へと立ち返り、選手とともに伝えたいこと、そのために使う言葉を丁寧に選び、実践する、ということを繰り返し行っていました。
 現在、東京・神奈川を中心に行っているこのスポ育を、全国へ展開していこうと考えています。今からとてもわくわくしています。

スポ育で子どもたちの前に立つ筆者(© JBFA)

スポ育で子どもたちの前に立つ筆者(© JBFA)

 次回は、そのスポ育のこれまでや、具体的にどんなことをしているのか、今後の展望。そして、私自身が大切にしていることをお伝えできればと思っています。次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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