マイナースポーツが発展していくためには大なり小なり社会的インパクトが必要です。それには競技として結果でインパクトを出すことが必須で、それによって社会に対して競技との接点を持たせていくことができます。今回は、競技強化をめざすブラインドサッカーの選手育成の取り組みと表れてきた成果について紹介します。
9月に行われたパラリンピック以降、国内のブラインドサッカーの大会も少しずつ再開されています。
10月末~1月の期間にわたって開催された「第19回アクサブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権」 そして、2月26日~27日に神奈川県川崎市富士通スタジアム川崎で行われた「KPMGカップ ブラインドサッカークラブチーム選手権2022」が、パラリンピック以降に開催されました。
競技スポーツというものは現場ありき。長い期間開催できない事態は、競技の衰退も招きかねず、コロナ禍ではあるものの、感染対策を十分に講じながら開催されました。私自身、なかなか現場で視察をすることはできませんでしたが、ひとつの時代の変化を感じる出来事が多くみられた大会であったと感じています。ブラインドサッカーにも、ある種の世代交代の波が押し寄せているということです。
ブラインドサッカー協会では、普及部、育成部という部門が設けられています。普及部ではブラインドサッカーの体験だけでなく、他のスポーツや社会的体験を、育成部ではより専門的な競技指導が行われており、年々新たな人材が輩出されています。
私自身も今は育成部のアシスタントコーチとして合宿に参加させていただいておりますが、参加して感じるのが、熱い想いを持って、未来に向かい指導をするコーチングスタッフがいるということ。スタッフのみなさんとはもちろんもともと面識がありますが、その競技にかける思いや姿勢は、改めて本当に素晴らしく、その方がたの熱量が少しずつ形になり始めていることを、心から嬉しく感じています。
先述した2大会では、まさに育成部で競技力を高めた選手たちが、大会の中心を担う活躍をしていました。もちろん、所属するクラブ、支えるご家族、周囲環境があることは前提にはなりますが、目を見張るほどの成長が感じられ、次の日本代表を背負っていく選手になるだろうなという選手が何人も目につきました。特に2大会で優勝を果たしたfree bird mejirodaiは、出場選手の大半が育成対象の選手となっており、個人技術・戦術、チーム戦術共に頭一つ抜けた試合を展開していました。他にもA-pfeile広島も大半が育成対象の選手で、日本選手権では4位入賞を果たしました。3位のコルジャ仙台、準優勝のBuen cambio横浜でも、育成事業対象選手がチームの主力として大活躍でした。
これまで大会の中心を担っていた日本代表選手が目立つ大会ではなくなっており、世代交代含めた、日本のブラインドサッカーの新たな歴史の始まりを予感させる大会となりました。
育成部では、原理原則という言葉が良く使われ、攻撃にも守備にも優先順位を設けています。これは通常のサッカーと同じ考え方です。攻撃で言えばまずはゴールを目指す、守備で言えばまずは陣形を整え中央を守るといった原理原則をもとに、対峙する相手に対してどのようなサッカーを展開していくのかを判断していくというスタイルです。
それにはもちろん、個人技術・戦術が伴っていないと成立してこないので、育成部ではこのベースアップにも目を向けたトレーニングが展開されています。当たり前といえば当たり前ですが、競技人口が少ないので、次から次へと選手が出てくるという環境ではありません。今いる選手に向き合い、レベルアップを図り、じっくり育てていくことが求められます。これは口でいうのは簡単ですが難しいことです。
選手たちは、普段から意識が高い環境でブラインドサッカーをやる環境がないことのほうが多いですし、またコーチングスタッフも専属契約している人が多くないことは大きな障壁になってきました。それでも、これまでの取り組みが今、大きな実になろうとする兆しが確かに見えています。
こういった、競技的な育成の部分がもちろんメインにはなりますが、育成に関わるコーチ陣は人間的な部分の成長にも非常に重きを置いています。言い方が少々難しいですが、ある種守られる環境、与えられることが当たり前な環境に慣れている選手が多い中で【*】、まずもって今素晴らしい環境の中でブラインドサッカーに取り組めていることに感謝を持とうということ、そして練習でも試合でも相手をリスペクトしようということを意識させます。この“感謝”と“リスペクト”は常に大切にしようという空気作りがなされ、伝え続けてきたことで、選手たちも少しずつ変化してきたように思います。練習場のごみ拾いを率先して行うなど、感謝やリスペクトが根底にあるからこそ出てくる行動というのが頻繁にみられます。
もちろんまだまだできる部分はあると思いますが、そういった人間的な土台が創られると、人としての器も大きくなり、アドバイスがもっと上手に聞けるようになったり、他者のせいにせず、自分にもっとできたことはないか、など矢印が自分に向いてくるようになったりするので、競技者としての成長率がグンと高まっていくと思います。まさに選手たちはそういった状態にあるような気がしています。選手たちや支えるご家族もそうですが、協会や、何より現場でコーチングをするスタッフの皆さんの努力は確実に実を結んできていると言えます。今後のブラインドサッカーが国際舞台でどう輝いていくのか、本当に今から楽しみで仕方がありません。
日本ブラインドサッカー協会は、“ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現すること”というビジョンを掲げています(協会職員としてど真ん中でこの概念を発信する立場ではなくなっているので、今は私自身あまり声を大にして言う機会はないですが)。
ブラインドサッカーというスポーツ自体が、視覚障がい者と健常者が混ざり合いながら行うものですので、それを体現しているビジョンと言えます。ただ社会の中である種、「障がい=可哀そう」というような負のレッテルと言えるような概念が根強い中でパラダイムシフトを起こしていくには、例えば日本代表が様々なコンペティションで好成績を残すことが非常に重要だと思います。ニュースバリューが上がって、成績に紐づく助成金制度など、取り巻く環境がより好転していくことで競技力の向上が図られることはもちろん、社会への認知の獲得が、イコールで結びついてくることは明白です。マイナースポーツが生き残っていく、発展していくためには大なり小なり社会的インパクトが必要です。それには競技として結果でインパクトを出すことが必須だと思うのです。それによって、社会に対して競技との接点を持たせていくことが必要なのです。
ただ一方で、競技に取り組む選手には、変に社会づくりの担い手になるのでなく、結果を出したその先にその世界観が待っているという考え方で取り組んでほしいと思うのです。自分自身が楽しみ、成長すること、目の前の相手に勝ち、大会で結果を出すこと、そこに常にフォーカスを当ててもらえればと思っています。おそらく、選手たちは言われずとも目の前のことに集中していると思うのですが(笑)、周囲もそうやって見守るべきだと思います。
競技者はあくまでも競技者であり、それ以上でもそれ以下でもありません。競技を通じて発信できるメッセージを存分に発信してほしいですし、競技以外でこのスポーツを支える皆さんにはぜひもっともっと自分自身が思うブラインドサッカーを発信してほしいなとも思います。
2001年に日本に上陸したブラインドサッカーでは、長らく創世期に関わっていた選手が日本代表の中心を担ってきました。国内の大会も同様で、同じ選手が活躍し続ける期間が本当に長くあったのです。
今、そんな時代が変わりつつあります。若い世代が主役の座を担っていく準備が整ってきたようにも思います。この世代交代がうまくいけば、おそらくブラインドサッカーは息の長い競技になっていくと思うのと同時に、そうなっていってほしいなという思いが、私自身の率直な思いであります。
この競技の素晴らしさ、障がいを越えた魅力が社会の中で魅力や注目を集め、輝いていくために、私自身は、自分にできることに取り組んでいきたいと思います。
Copyright (C) 2009 ECO NAVI -EIC NET ECO LIFE-. All rights reserved.