連載第2回となる今回は、エジソンの創業から137年の歴史を歩んできたGEの、歴史を変えたエポックメイキングな10個の発明をピックアップして、紹介しよう。
発明家トーマス・エジソンは、生涯2,332件もの特許で時代を変え、「魔術師」との異名も囁かれた。エジソンが、白熱電球を世に送り出したのは、1879年。わずか3年後には、“パール・ストリート・ステーション”という大規模な中央発電所をニューヨークに開設して、本格的な「電気の時代」が幕を上げた。1892年には、競合メーカーだったトムソン・ヒューストン・カンパニーと合併し、ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GE)を設立した。
GEはその後、エジソンという稀有な発明家に依存するのではなく、企業として“システマティックに発明を生み続ける”体制作りをめざして、1900年に米国初の科学研究に特化した『GE中央研究所』を開設。これは当時としては画期的な取り組みだった。
わずか3人の科学者と共に産声を上げたこの研究所は、やがてノーベル賞受賞者を2名輩出し、今や世界中の9拠点で働く約3,000人の科学者(その約半数は博士号)を擁する『GEグローバル・リサーチ・センター』の本拠地となっている。
エジソンの発明品の中でも最も有名なのが、白熱電球だ。1879年10月21日、初の商用電球が生まれた。カーボン素材を用いたフィラメントによって、継続点灯40時間を達成したのだ。
さらに1年後の1880年、京都の石清水八幡から取り寄せた竹の繊維を炭化させたフィラメントで、点灯時間を600時間にまで延長することに成功。1982年にはニューヨークに米国初の中央発電所を開設し、発電・送配電を手掛けて、『世界から夜が消える!』と世間を騒がせた新しい時代を創った。
ちなみに、白熱電球だけでなく、世界初の蛍光灯や世界初の赤色LEDも、その誕生地はGEだ。現在のGEライティング(GEの照明事業部門)では、LED照明とビッグデータを組み合わせたイノベーションに余念がない。
世界初のラジオ放送が行われたのは1906年のクリスマス・イブのこと。聖書の朗読やクリスマスソングが流れたこの歴史的放送は、2年にわたって高周波交流発電機の開発に携わっていたGEの若きエンジニアで、後に発明家として歴史に名を残すことになったアーンスト・フレデリック・ワーナー・アレキサンダーソンの努力の賜だった。
1922年にニューヨークでレギュラー放送を始めた最古のラジオ局のひとつであるWGYが使ったトランスミッターもGE製だった。WGYは1928年に初の家庭向けテレビ放送をスタート。テレビ時代の幕開きにも大きな役割を果たしている。
1900年代、GEはおびただしい数の家電を生み出している。たとえば、1917年に発明した電気冷蔵庫は食品の消費期限を劇的に伸ばしてくれた。他にも、電気トースターや電熱調理器、電気洗濯機、ディスポーザー(生ゴミ処理機)、コーヒーメーカー、オーブントースター、自動缶切り機などなど。いまもキッチンで活躍する家電の多くは、そのルーツにGEがある。
これらに続く自動洗濯機など便利な家電が、女性たちを家事から解放して“職場“へと連れ出すきっかけになったといえる。時代は移り、GEは2014年に家電事業のエレクトロラックス社への売却を決めた。
世界で楽しまれている、サッカーや野球など夜のスポーツ観戦。そこにもGEの研究開発が関係している。きっかけは、鉄道会社からの要請によって、夜間に列車を置いている広大な車両基地を照らす高出力ランプを開発したことだった。照度テストに打ってつけだったのが、自社の運動競技場。せっかくならと、プロ球団を招いて1927年6月4日に開催したゲームが、世界初のナイター試合となった。
1935年にはメジャーリーグのシンシナティ・レッズの本拠地、クロスリー・フィールドでもナイター用照明設備が採用され、その後、全米へ普及。人々が仕事帰りにも『ナショナル・パスタイム』を楽しめるようになった。
電気機関車の分野でもGEはパイオニアだった。1895年に世界最大90トンの電気機関車、1908年には94トンのギアなし電気機関車を開発。それまで不可能だった、当時の最重量貨物の牽引を実現した。鉄道会社による路線整備と相まって、モノの流通と人々の暮らしを大きく変えることになった。
1955年に、GEの中央研究所が初めて開発に成功した人工ダイヤは、世界が何世紀にもわたって追い続けてきた夢の実現だった。GEの技術はマイクロチップ向けのシリコンカーバイド製造に活かされたほか、熱形成可能なプラスチックや透明プラスチック「レキサン」、ノリル樹脂などにも用いられた。
すでにGEはこれらの事業を売却しているものの、今ではあたりまえに使われているマテリアル(材料・素材)を世に送り出してきたのもGEのイノベーションだった。
GEが航空機エンジンに携わるきっかけになったのは、1917年に受けたNASAの前身である米・国家航空宇宙諮問委員会からの要請だ。気圧の低い上空でもエンジンに高出力を発揮させる技術が必要だった。
GEで大型発電所のためのタービン設計を担当していたサンフォード・モスは、発電タービンのノウハウを活かし、エンジンに送り込む空気を圧縮するターボ過給機を設計。見事、高度のある上空でも高馬力を発揮させることに成功した。ジェット時代の幕開けを予感したGEは、その実現のために莫大なR&D投資を図り、1942年に世界初のターボプロップエンジンを開発。その後、現在のすべてのジェットエンジンの原型にもなった、軸流型設計の「J47」エンジンを完成した。
その後も、世界最速をマークしたコンベア・スカイワークのエンジンCJ085、ボーイング777向けのGE90-115B、ユニークな燃料システムを採用したGEnx、さらには日本生まれの新素材(炭化ケイ素連続繊維)を用いて開発中のLEAPエンジン、GE9X などなど、常にジェットエンジンの技術革新をリードし続けている。
1969年、人類の月面への記念すべき第一歩を記したアームストロング船長の足元を固めていたのは、GEのシリコンラバー製のブーツだった。1961年に宇宙センターを開設したGEは、アポロ計画ではシステムサポートや品質管理、テスト施設の建設、衛星通信システムの提供など、さまざまな分野でこのプロジェクトに参画。1992年にNASAが打ち上げた火星探索機「マーズ・オブザーバー」もGEが建造したものだった。
1962年に100,000ガウスの壁を破る超電導磁石を開発したGEは、そのテクノロジーを活かして1983年に磁気共鳴断層撮影装置(MRI)を開発。これによって、X線では撮影の難しかった体内の「柔らかい」組織の撮影も可能になり、詳細かつ鮮明な体内構造の断面図が映し出されるようになった。MRI以外にも、X線撮影、CT(コンピュータ断層撮影装置)スキャン、超音波診断など、様々な医療用画像診断技術を開発し、医療の発展に寄与してきた。
18世紀から20世紀まで、世界の社会・経済・文化に大きな影響を与えた産業革命を「第1の波」、20世紀後半に世界を変革したインターネット革命を「第2の波」とするならば、インダストリアル・インターネットはそれらふたつを組み合わせた「第3の波」ともいうべきもの。
航空機エンジンの燃料消費や長距離貨物列車の運行システム、火力発電の燃焼効率をわずか1%改善するだけで、年間およそ200億ドルの利益を生み出すことになるとGEは試算している。
その“わずか1%の効率化(The Power of 1%)”を実現するのが、データ解析技術だ。
すでにGEではIT業界で研鑽を重ねてきた3,000人を超えるソフトウェア・エンジニアが働いており、産業用データ解析のためのソフトウェア・プラットフォームの提供も開始。新興国の成長に押されて成長が鈍化したかに見えた先進国経済に、次なる成長の時代とゲームの舞台があることを率先して示している。
※本稿は、Oct 14, 2015に公開されたGE REPORTS JAPAN掲載記事(http://gereports.jp/post/131140085624/edison-and-inventions)をもとに再構成したものです。
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