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「自然保護の現場から ~アメリカ国立公園滞在記~」バックナンバー

0082025.05.27UPレッドウッドで学んだこと-多様性DEI、先住民とのパートナーシップ-

 これまでレッドウッド国立州立公園での「レッドウッズ・ライジング」など森林の再生事業を中心に書いてきました。この記事を書いている2025年現在ではトランプ政権による反DEIの動きが報道されていますが、今回の記事では私がアメリカに滞在していた際(2024年)に触れたDEIの取り組み、先住民とのパートナーシップなどについて紹介したいと思います。

国際女性史月間

 2024年2月になると国立公園の全職員が集まる全体会議がありました。会場では、所長の仕切りのもと、各部署から業務の近況が共有される他、職員同士の交友を深めるためゲームがあったり、ランチがふるまわれたりと、 普段は接点のない職員や業務について知ることができるいい機会でした。さらに、任意の職員による委員会もいくつかあり、そのなかにDEI委員会があることを知りました。DEIは、Diversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包括性)の頭文字を取った言葉で、多様性を尊重し、人種や性別等に関わらずすべての人を包摂的な環境で受け入れることを重視する考え方です。レッドウッドのDEI委員会では、皆が働きやすいよう職場環境の改善のための取り組みを進めているとのことで、以前からジェンダーの取り組みに興味があったので、すぐに参加登録しました。
 アメリカでは、1月はネイティブ・アメリカン、2月はアフリカ系アメリカ人、3月は女性など、特定の民族やグループの歴史やその貢献を記念するための月間が政府により定められています。そのため、各月間では国立公園でも関連したイベントが行われます。特に、3月の女性史月間に関しては、数年前からアメリカ国立公園局本部主催のオンラインイベントに日本のレンジャーがジェンダーをテーマに対話するビデオメッセージを送るなどと交流がありました。このようなきっかけもあり、レッドウッドのDEI委員会で何かイベントができないかと企画を提案し、日米の交流イベントを開催することになりました。イベントでは、アメリカと日本のレンジャーが3名ずつ登壇し、国立公園でどんな業務をしているのか、ジェンダーに関して苦労したこと、包括的な職場を作るためにはどうしたらよいかなどをテーマにオンラインで意見交換を行いました。
 アメリカからは、妊娠中に着られる制服がなかった、産休という制度がなく職場で陣痛を迎えたなど、驚きの話も出ました。ただ、このような状況を改善するため、女性職員が集まる職員リソースグループがあり、制服の改善や休暇制度の拡充などを上層部に提案し、働き方が改善されたということも紹介されました。日本からは、時短勤務や産休・育休の制度はあるものの、全国転勤に伴うライフプラン設計の難しさや、家庭の状況によってはへき地など赴任自体が困難な勤務先があるなどの話がありました。女性の管理職が少ないという課題は日米に共通して指摘されました。
 オンラインイベントは、時差の関係もあり日本時間では早朝だったにもかかわらず、日本から多くのレンジャーが傍聴してくれたのはうれしく感じました。また、イベントの準備段階では、管理職をしている女性のアメリカ人と個別に話す機会も多く、実はこんな苦労があって・・・という話を聞くこともでき、また組織としてのイベント実施に向けた事前調整や根回しなど、アメリカでの組織の力学も勉強できたよい経験になりました。
 管理職の男女割合に関しては、私の個人的な体感でも、国際会議に行くと外国政府の代表団には女性の大臣や代表団長などリーダー的ポジションに多くの女性が占めており、日本とは異なる光景が見られることが印象に残っています。管理職における女性比率では、環境省では2023年に12%だったのに対し、アメリカ国立公園局では2020年で42%。数字で比較すると、アメリカの方が日本よりかなり先を走っていますが、それでもアメリカも職員の多様性や公平性が完全に確保された状況であるわけではないことが、今回のイベントでも感じられました。国立公園局のウェブサイトでも、20世紀はじめと比べると職員の人種や性別の多様性は向上しているものの、職員の男女比や人種構成を見ると、所長など上位の管理職では白人男性が多数を占めていることが課題として指摘されていました(※記事執筆の2025年5月において当該ページにはアクセスできなくなっています)。


DEI委員会の活動成果のひとつ。職場のトイレや食堂等各所に上記の写真のようなポスターが貼られている。

DEI委員会の活動成果のひとつ。職場のトイレや食堂等各所に上記の写真のようなポスターが貼られている。
ポスターでは、自分の振るまいが職場に適しているか、職員に敬意を払っているか、自分のバイアスをチェックすること、変だと思ったら傍観せずに声を上げること、匿名のコメント提出先にも意見を出すことができること、等が記載されており、安全な職場環境を作るためのメッセージとなっている。


先住民が主導する自然を取り戻す活動

 レッドウッド国立州立公園の区域は、ユロック族、トロワ族、フパ族、カルック族などのアメリカインディアンの部族が何千年も自然と調和を保ち生活してきた場所です。ゴールドラッシュの影響で1850年以降、この地域の先住民も強制移動や虐殺など悲惨な歴史を経験しました。紆余曲折の歴史を経て、現在ユロック族は5000人以上のメンバーがいるカリフォルニア州最大の部族となっています。
 現在アメリカには574の連邦政府に認定された部族が存在しており、ユロック族もその一つです。これらの認定された部族は連邦政府と政府対政府の関係をもち、一定の自治権を認められています。部族により自治のあり方は様々ですが、ユロック族の場合、居留地において、法律、議会、裁判所などで構成される独自の自治政府をもっています。
 ここではユロック族政府主導で進められている自然再生の取り組みとして、レッドウッド国立州立公園周辺で進められている、一度は絶滅したカリフォルニア・コンドルの野生復帰事業を紹介したいと思います。コンドルは、翼を広げると3m近くにもなる北米で最大の鳥で、1800年代には750個体いたと推定されるコンドルは、1982年には22個体に減少し、1987年には野生下では絶滅しました。動物園等において飼育されてきた個体を使って、カリフォルニア州やアリゾナ州で再導入の試みが行われています。
 ユロック族にとってコンドルは神聖な動物で、コンドルの羽を祭典に使うなど、コンドルは文化的、精神的に重要な動物です。コンドルをユロック族が伝統的に利用していた土地に再び定着させることを目的に、2008年にユロック族政府内に野生動物プログラムが設立され、アメリカ連邦政府の国立公園局や魚類野生動物局が資金提供や技術協力する形で取り組みが行われています。2022年に初めての個体が野生に放鳥され、この地で100年ぶりにコンドルが舞うことになりました。これまで18羽が野生に放鳥され、GPS発信機をつけたモニタリングや定期的な健康チェックが行われています。ただ残念ながら、放鳥されたコンドルのうち1羽は鉛中毒により死亡が確認されました。鉛中毒は、野生のコンドルが絶滅した要因の一つでもあり、カリフォルニア州では2019年から狩猟での鉛弾の使用を禁止しています。しかしながら、今でも鉛弾を違法に使用している例もあり、国立公園内においても鉛弾を使った密猟の事例が見られています。国立公園の職員の方の話では、鉛弾により捕獲されたエルク(大型のシカ)の死骸を食べたコンドルを保護した際に、鉛中毒が確認されたため、付きっ切りで解毒剤で治療をしたこともあったとのことです。
 コンドルの野生復帰事業では、今後も毎年新たな個体の野生復帰を継続し、野生下でコンドルが繁殖することが当面の目標になっています。コンドルが舞う景色を取り戻すことは、単に生態系を再生するというだけでなく、先住民にとって土地との精神的なつながりを再構築するという意味合いを持っています。先住民が主導する取り組みに政府が協力するこの事業は、アメリカの歴史のなかでも新しい時代を表していると言えます。


コンドルが舞う様子

コンドルが舞う様子

プレイリー・クリーク・ビジターセンター内に掲示されているコンドルのバナー。

プレイリー・クリーク・ビジターセンター内に掲示されているコンドルのバナー。
コンドルがいるため安全運転を呼び掛けている。


先住民に土地を返す

 2024年3月には、ユロック族、レッドウッド保護連盟、国立公園、州立公園との間で歴史的な覚書が結ばれました。この覚書は、レッドウッド保護連盟が所有する125エーカーの土地を、伝統的にこの土地で生活してきたユロック族に返すというものです。この土地は、ユロック族が‘O Rew(注:アルファベットはユロック語による記載)と呼ぶ場所で、‘O Rewでは、今後、4者が協力して、トレイルやビジターセンターの整備を行うことが将来ビジョンに掲げられています。
 アメリカでは、国立公園や州立公園の指定にあたっては、私有地を政府が買い上げて公有地にすることが一般的です。そのため、レッドウッドを保護する国立公園や州立公園の設立にあたっては、市民から募金を集めたレッドウッド保護連盟が、土地を買い上げ、政府に寄付したことで、公有地を獲得することができ、公園の設立につながったという歴史があります。
 今回は同様にレッドウッド保護連盟が買い上げた土地を、連邦政府ではなく、先住民に土地を返すことにしたという点が過去にないことだったため注目が集まりました。レッドウッドに限らずアメリカの国立公園設立の歴史には、先住民を入植者が域外に追い出し管理してきた負の側面があるなか、この覚書は政府と先住民との関係が新たなフェーズを迎えていることを表しています。
 ほかにも先住民の文化や知恵を取り入れる取り組みが進んでいます。例えば、レッドウッドから南に車で30分ほどの場所にあるスーメグ州立公園は、以前はヨーロッパからの入植者にゆかりのある名前、パトリックズ・ポイント州立公園と呼ばれていましたが、数年前にスーメグというユロック族が呼んでいた地名に名称を変更しています。また、国立州立公園の看板にも、先住民の言語での記載やデザインが使われるようになっています。


プレイリー・クリーク・レッドウッズ州立公園にあるプレイリー・クリーク・ビジターセンター。

プレイリー・クリーク・レッドウッズ州立公園にあるプレイリー・クリーク・ビジターセンター。
1930年代にニューディール政策の一環として行われた失業対策事業であるCivilian Conservation Corps (市民保全部隊)により建築された。

プレイリー・クリーク・ビジターセンターの入り口にある看板。

プレイリー・クリーク・ビジターセンターの入り口にある看板。
「プレイリー・クリーク・レッドウッズ州立公園は、Ner’-er-nerh(沿岸ユロック族)の土地に位置しており、この場所は’Es-pew Heerと呼ばれる。」と書かれている。これは、先住民の土地に対する敬意を示すland acknowledgement(土地の承認)と呼ばれる声明である。ユロック族伝統の文様がデザインされている。


ジェデダイア・スミス・レッドウッズ州立公園内の看板。

ジェデダイア・スミス・レッドウッズ州立公園内の看板。
この土地に住んできたトロワ族の文様やトロワ語の記載がある。


さよならレッドウッド

 5月になると夏のシーズンだけ働く季節雇用の職員が続々と着任し始め、オリックのオフィス(006「巨木を取り戻す取り組み」に登場)が賑やかになってきました。アメリカの連邦政府の職員は、常勤で任期の制限がないパーマネント職員以外に、1年のうち何か月かの任期で働く季節雇用の職員、数年間の任期付き職員などいくつかの雇用形態があります。夏場などの繁忙期には季節雇用の職員を雇用することで、増加する業務に対応できるようにしています。
 私のレッドウッドでの滞在は、宿舎に次の入居者が入る予定もあり、5月中旬までと決まりました。渡米後の5か月を過ごしたレッドウッドは、国立州立公園のいろんな部署の方と関わる機会があり、またプライベートでは車を買うなどアメリカでの生活基盤を作ることができたので、アメリカでのホームだと感じられる場所になりました。今、レッドウッドの森の中で過ごした日々を振り返り、目の前の巨木が生きてきた過去何百年、何千年といった壮大な時間に想いを巡らしたり、「レッドウッズ・ライジング」で取り組んでいる成果が将来どのように実を結ぶのだろうかと数百年、数千年先の将来を想像したりして過ごす特別な時間だったと実感しています。


5月に開催された国立公園と州立公園の全職員会議。

5月に開催された国立公園と州立公園の全職員会議。
ランチがふるまわれた。

レッドウッド国立州立公園の職員の前で日本の国立公園制度について紹介した際の様子

レッドウッド国立州立公園の職員の前で日本の国立公園制度について紹介した際の様子


(次に続く)

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