「自然保護の現場から ~アメリカ国立公園滞在記~」バックナンバー
宿舎入居の翌日からさっそくレッドウッド国立公園での仕事が始まりました。職場は宿舎から車で15分ほどの場所にある、南部オペレーションセンターという建物で、オリックという小さい町に位置しています。オフィスの建物に入ると、廊下沿いの会議室の窓から制服を着た職員が会議をしているのが見え、ついにアメリカの国立公園のオフィスに来たんだと気分が盛り上がりました。南部オペレーションセンターには20名ほどが勤務しており、上司となるジェイソン(005「レッドウッドに到着」に登場)が各部署の職員に私を紹介してくれました。日本の役所のオフィスは広いフロアに職員がデスクを並べている形が一般的ですが、南部オペレーションセンターには、1~2名の職員がシェアしている個室と、パーテーションで区切られた半個室(キュービクルと呼ばれる)があり、プライバシーがある構造でありつつも、みんな声が大きいということもあってかもしれませんが、扉の空いている部屋から会話が聞こえてきてなんとなく話の内容も分かるという風通しのよい雰囲気がありました。
さて、レッドウッドはどんな国立公園なのでしょうか。公園名になっているレッドウッドは、その生育環境からコースト・レッドウッド(Sequoia sempervirens)とも呼ばれるヒノキ科の針葉樹です。樹齢2000年以上、直径8m、樹高は最大115mにもなり、世界一高い木と言われています。温暖で湿潤な気候を好むレッドウッドは、アメリカ西海岸のカリフォルニア州北部からオレゴン州南部の霧が発生する海岸沿いに分布しています。レッドウッドの巨木の存在自体が非常に貴重ですが、それだけでなくレッドウッドの地表高くにある枝や大きな樹冠には、コケや地衣類などが着生し、そこがサンショウウオなどの動物の生息場所、さらには絶滅に瀕しているマダラウミスズメ(Marbled Murrelet、Brachyramphus marmoratus)の営巣地になるなど、レッドウッドの原生林は多様で独特な生態系を育んでいます。
こういったレッドウッドの原生林は、かつては200万エーカー(80万ha)あったと言われますが、19世紀後半からの伐採により、現在では5%しか残っていません。1849年のゴールドラッシュをきっかけに入植者が増え、木材の需要が激増したことを受け、レッドウッドが伐採されるようになりました。原生林が急速に姿を消し始めたことに危機感を覚えた市民により、1918年に「レッドウッド保護連盟(Save the Redwood League)」が設立されるなど、レッドウッドの保護活動も活発になり、1920年代にはカリフォルニア州政府が3つの州立公園(Prairie Creek Redwoods State Park、Del Norte Coast Redwoods State Park、Jedediah Smith Redwoods State Park)を設立しました。
一方で連邦政府の動きは鈍く、レッドウッド国立公園が設立されたのは1968年でした。伐採業が主要産業であった地元からは公園設立への反対が強く、保護の対象とならなかった原生林では皆伐が継続されました。1978年には国立公園が拡張されましたが、拡張地域の多くは伐採跡地であったため、損なわれた環境を再生する取り組みが開始しました。
1978年以降、伐採された森をどうやって原生林に近い健全な森に再生できるのか、様々な試みが行われてきました。2018年からは「レッドウッズ・ライジング(Redwoods Rising)」と呼ばれる生態系再生のプロジェクトが進められています。「レッドウッズ・ライジング」は、レッドウッド保護連盟、レッドウッド国立公園とカリフォニア州立公園の協力により、森林生態系を30年以上かけて再生するという壮大なプロジェクトです。
かつて伐採業者は、レッドウッドを皆伐した後、森を焼き払い、ダグラスモミなどの針葉樹の種子をヘリコプターから散布して放置していました。そのような二次林は、木が密生しているため木が細く、ダグラスモミ(Pseudotsuga menziesii)が優占する薄暗く生物多様性の低い森になっています。「レッドウッズ・ライジング」では、過密になっている木を間伐し、林内に日光が入るギャップを作ることで、将来的にレッドウッドが太く成長できるような環境を作り、何百年後かにはレッドウッドの巨木が育つような森に回復させることを目指しています。
レッドウッドでの私の主な仕事は、森林再生を手伝うことでした。森林再生の仕事は、リーダーのジェイソンの下に、スコット、ゲイレンという技術士による森林チームが担当しており、私もその一員として仕事させてもらいました。間伐は雨があまり降らない春から秋にかけて行われるため、森林チームの冬場の作業は、今後間伐を実施する予定箇所の調査や、間伐の効果を検証するモニタリングの調査が中心でした。12月中旬には森林チームのジェイソンとゲイレンとともに、今夏に間伐をした箇所の調査を行いました。二次林に入る時は、木がいつ何時倒れてくるか分からないのでヘルメットをかぶり、調査に必要な道具(メジャー、コンパス、木に目印をつけるためのピンクテープなど)を入れられるポケットがたくさんあるベストを身に着け、足元は長靴か登山靴というファッションで臨みます。二次林の地表は、レッドウッドや他の針葉樹の落葉、落枝が厚く堆積し、ふかふかと足が沈むので、雪の上を歩いているような感覚に近いものがありました。とはいえ、落葉の下に隠れた倒木があったりするので、慎重に歩かないと時々段差に足を取られたりします。
この日の調査は、今年の夏に「レッドウッズ・ライジング」により間伐が行われた区画において、間伐前のデータと比較して、どの木が残っているか確認するため、プロット内に生えている木を網羅的に把握するというものでした。木は、レッドウッド、シトカトウヒ(Picea sitchensis)、アメリカツガ(Tsuga heterophylla)、ダグラスモミの4種類がほとんどです。また、プロットの中心から東西南北の方面、真上の空の開空率も写真で記録します。ここに生えている木は、細く、幹全体に枯れた枝がたくさん残っていて、樹冠の葉っぱも少なく、健全とはいえません。間伐により、今後は、林内に日光が入るようになり、また競争相手となる木も減ったので、残った木が今後成長していくのか楽しみになります。
森に入って驚くのはレッドウッドの生命力です。レッドウッドは、種子からでなく、主に蒔芽更新(ぼうがこうしん)により新しい株が育ちます。おそらく間伐の作業の際に傷がついた幹や枝からも芽が生えており、この数か月の間で大きいものでは数10cmほどの高さに成長しています。また、かつて伐採された古い巨木の切り株の周りには、株を囲むように次世代のレッドウッドが生えていることもあり、フェアリー・リング(妖精の輪)とよばれています。
それ以降の日は、ゲイレンとペアで、今後の間伐予定地での木の種類やサイズを調査するティンバー・クルージングと呼ばれる森林調査を行いました。ティンバー・クルージングでは、各区画の中心点から見た時に一定の太さ以上になる針葉樹の種類・樹高・直径を記録していきます。このデータは、間伐の手法の検討や、間伐により発生する材木の量をある程度把握するために行っています。間伐された木のうち、経済的価値のある木は製材業者が販売し、それで得られたお金は「レッドウッズ・ライジング」に還元されることになります。
初めのうちは、樹皮だけで木の種類を見分けるのは難しかったのですが、調査日数を重ねるうちに識別できるようになりました。ただ、計測の単位は世界標準のメートル法ではなく、アメリカの単位であるインチやフィートを使うのでサイズ感がピンとこず、自分が計測したデータが正確なのか自信が持てなかったりして苦労しました。
日本では、12月29日から1月3日までは、行政機関や多くの一般企業は一斉に休みになります。アメリカは、クリスマスと元旦は祝日ですが、それ以外は営業日扱いです。とはいっても、クリスマス前から年明けまでは休暇をとっている人が多く、オフィスはひっそりとしていました。
職員の多くの人は、週休3日制で働いていました。これは、通常なら8時間×5日間で1週間に40時間働くところを、フレックス制を使って月曜から木曜までの4日間に毎日10時間働き40時間をこなしてしまうというスタイルです。私も週休3日にしましたが、外出などの活動と休息がバランスよく取れ、非常によかったです。また残業はせず、終業時間になるとスパッとみんなオフィスからいなくなります。日本の残業文化に体が慣れていた自分にとっては新鮮でした。私は宿舎に帰るとインターネットが使えないので、定時後も少しオフィスに残ってネットで調べ物をしたりして過ごしていました。
冬場は、霧雨のような雨が降る日が多く、冬とはいえ氷点下になることはありませんでした。暖かいので、冬なのにカエルの鳴き声が聞こえるのには驚きました。レッドウッドの成長にとっては、この湿潤で温暖な気候が重要なのです。大雨や強風があると、どこかで木が倒れ電線をふさいでしまって、宿舎が停電になることがよくありました。宿舎は国立公園の森の中にあるので、オリックの街中が復電しても、宿舎に電気が戻ってくるまでには結構時間差があり、長い時には3日間ほど停電したこともありました。暖房や調理用コンロも電気式だったので、1日以上停電すると大変でしたが、停電自体には、すぐに慣れキャンドルや懐中電灯を手元に常備しておくようになりました。
(次回に続く)
レッドウッドの宿舎は、携帯電波の圏外で、Wi-Fiも通っておらず、またテレビやラジオも入らない環境でした。緊急時のために固定電話は置かれていましたが、緊急番号の911しか繋がらず、完全に外界とは切り離された環境でした。そういう環境に置かれるといかに自分がインターネットに依存しているかがよく分かりました。人とのコミュニケーションだけでなく、調べ物、旅行の計画づくり、物の購入、楽しみのために聞くポッドキャストなど、生活の様々なところでインターネットに依存していることを痛感しました。
宿舎の戸棚には、本、映画のDVD、ボードゲーム、パズルなどがたくさん置かれていました。このなかで一番気に入って楽しんだのがパズルです。1000ピースのパズルが、難易度も高く、また時間もかかり、達成感があります。国立公園をモチーフにした1000ピースのパズルは、ルームメートと一緒にチャレンジし1週間ほどで完成しました。ほぼ色が同じ海の部分や、国立公園の名前一覧は解明するのに時間がかかりましたが、最後は微妙な色合いの違いも見分けられるくらい目が肥えてくるのが醍醐味です。このパズルで、アメリカ本土の州の名前や、国立公園の象徴的なイメージなど学ぶこともできました。
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