「自然保護の現場から ~アメリカ国立公園滞在記~」バックナンバー
オーストラリア出港後、昭和基地までは1ヶ月ほどの長旅で退屈になりがちですが、ソフトクリームの日、餅つき大会などがあり、隊員が楽しめるように工夫がされていました。ちなみに、毎週金曜日はカレーライスでした。
南極に近づくにつれ、日本では見かける機会のない動物も見られるようになってきました。船上での鳥の観測は楽しく、ハイイロアホウドリやミナミオオフルマカモメなど大型の鳥も見られました。また、クジラが現れると、船内で「○〇時方向にクジラ!」と放送でお知らせが入ります。加えて、海洋観測など一部の観測は、南極に到着する前から始まるため、海水のサンプリングなど海洋観測のお手伝いもしながら過ごしました。
南極観測隊は、大きく「観測」と「設営」のグループで構成されています。「観測」では、気象、海洋、大気、測地、生物などの観測、「設営」では、建築、電気や施設の維持、環境保全、調理、医療など基地を維持するために必要となる活動が行われます。他方、環境省は観測隊の正規のメンバーではなく、「同行者」という立場で参加しています。他には、教育関係者、報道関係者なども「同行者」として参加しています。環境省が観測隊に職員を派遣する目的は、法の施行状況の確認、南極特別保護地区の確認、昭和基地周辺の環境モニタリングなど、南極の環境が維持されているか確認することが主なミッションとなっています。
約3週間の船旅の後、「しらせ」からヘリコプターに乗り込み、昭和基地に12月下旬に上陸しました。12月は、南極の夏なので雪もほぼ融け、赤茶けた露岩が見えており、火星みたいだなというのが第一印象でした。南極は年間を通して気温が低いだけでなく、降雪量も少なく、陸域に生きる動物や植物は限られます。そのため、南極滞在中は植物を見る機会がほとんどなく、岩に張り付いた赤色や黄色の地衣類を見るだけでも感動するようになりました。
昭和基地では、雪のない夏場に建築作業を1ヶ月ほどの短期間で実施する必要があるため、基地の維持や観測に必要な施設の建築や整備が隊員総出で行われます。第58次隊では、新しい観測棟の1・2階部分を作る作業が行われており、足場を組む手伝い、古くなった汚水処理棟の解体など、私も設営の作業に参加しました。日本ではデスクワークばかりだったので、基地での生活が始まった頃は設営の作業は体力的にきついと思うこともありましたが、日本でも設営のプロとして働いている職人の技術を見られる貴重な経験でした。昭和基地には、観測の設備以外にも、調理場、図書館、お風呂、美容室、バーなど、年間を通して快適に越冬できるよう工夫された施設が備わっており、さらにはWiFiも使えるため、日本に住んでいるのと近い感覚で生活することができます。
また、南極滞在中には、ヘリコプターで昭和基地から離れた調査地に行く機会も多くありました。一旦、基地から離れた野外調査地にいくと、当然ながら電気も水道もない小屋やテントでの生活になります。野外調査では、アデリーペンギンのルッカリー(集団繁殖地)での調査や、地図作成の調査の手伝いなどを行い、これまでほとんど人が歩いたことのない場所を歩く感動を味わいました。
前稿で書いたように、南極では、環境保護議定書により国際的に廃棄物の処分などが定められており、日本も1997年以降、ゴミの持ち帰りや浄化槽の設置など環境保全の取組を進めています。越冬隊には環境保全を専門的に担当する隊員もおり、ゴミの焼却や浄化槽の管理などを行っています。
環境省が行っている昭和基地周辺の環境モニタリングでは、観測活動が周辺の環境に与える影響を把握する目的で、海水、排水、土壌、生物などのサンプリングをしています。サンプルは、日本に持ち帰り、ダイオキシン、PCB(ポリ塩化ビフェニル)、BOD(生物化学的酸素要求量)など、環境基準に関連した項目を調べています。
さらに南極には、「南極特別保護地区」と呼ばれる環境上や科学上の価値等を保護するため特に保護すべき場所として国際的に指定された区域があります。昭和基地から20kmほど南にあるラングホブデ地区の雪鳥沢には、日本が管理している第41南極特別保護地区があります。雪鳥沢は大陸の氷河が融けた水が流れており、地衣類やコケ類が繁茂しています。これはユキドリなどの海鳥が出す排せつ物等により、地衣類やコケ類に必要な栄養分が供給されているためです。私も雪鳥沢の現地調査に行きましたが、それまで訪れた露岩域では目にする機会のなかった、鮮やかな赤色や黄色の地衣類や緑色のコケ類が豊かに生育している様子を目の当たりにして、久しぶりに見る植生に感動しました。
12月に昭和基地入りしたときには日が沈まない白夜だったものの、2月に入ると、天気が崩れる日が多く、また気温も-20℃くらいにまで下がるようになり、夏の終わりを感じるようになりました。白夜の間はずっと外が明るいので、夜遅くなっても元気が残っている気がしていましたが、太陽が地平線に近づき、夕暮れの紫色に染まる空を久しぶりに見るとほっとした落ち着きを感じました。
2月中旬には、今後1年間越冬をする越冬隊員33名を昭和基地に残し、すでに越冬を終えた第57次越冬隊とともに日本へ向けて昭和基地を出発しました。南極からの帰路もオーストラリアまで1ヶ月かかりますが、帰路の途中はオーロラがよく見えきれいでした。オーストラリア到着後は、普通の世界に戻るのを心残りに感じつつ、野菜や果物など新鮮な食品が手に入る環境に感激しました。
南極で見ることのできた自然は、生きもの、風景ともに、特別で美しく、とても貴重なものでした。これまで歩いた人はほとんどいないだろう露岩域、雄大な南極の氷床、アデリーペンギンのルッカリーとペンギンのヒナを狙っているナンキョクオオトウゾクカモメ(彼らもヒナを育てている)、38億年前にも遡る岩石が見つかるというナピア岩体……その寒冷で厳しい環境のなかで見られる雄大な自然、その中で生きる生物同士のつながりなど、南極の貴重な自然の重要性を実感することができました。一方で、温暖で生物多様性に富む日本の自然、特に人間も生態系の一部として長年維持されてきた里地里山のような身近な自然も同様に貴重なものだと再認識する機会となりました。
生活面に関しては、約80人の観測隊員と過ごした4ヶ月は充実したものでした。気分転換のためふらっと立ち寄るコンビニもない、行動範囲や入手できるものも制限される世界。ただ、その閉鎖空間のなかで、お互いのいいところ、悪いところも分かった上で、共同生活していく、その密で家族みたいな感じのするチームといえる信頼関係はとても心地よいものでした。
不便な環境での生活、自分の所属組織から離れた他の組織の中での勤務など、南極観測隊で過ごした経験は、今アメリカで生活する上でも自分の精神的な支えになっていると感じます。南極から帰った後は、霞ヶ関でさらに1年働き、その次は、私にとって初めてとなる最前線の現場での勤務が待っていました。(次回に続く)
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