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「自然保護の現場から ~アメリカ国立公園滞在記~」バックナンバー

0012024.01.30UPここに来るまで

 2023年12月から、人事院の研修の一環として、アメリカのカリフォルニア州北部にあるレッドウッド国立州立公園でボランティアとして働き始めました。これから数回の投稿では、この研修に来るまでの経緯をご紹介したいと思います。

きっかけ

 かれこれ10年以上環境省で働いてきて、国立公園関係の業務に携わる機会も多くありましたが、環境省で働き始めるまで日々生活する中で「国立公園」を意識する機会はほとんどありませんでした。「国立公園」とか、国立公園を管理する「レンジャー」という言葉を知ったのは、写真家・星野道夫さんの本でアメリカの国立公園の話を読んだのが主なきっかけだったと思います。
 大学の時には、星野さんの撮る雄大なアラスカの大自然の写真にひかれ、アラスカの大自然を見たいと思い、アラスカの国立公園でのボランティアに応募したこともあります。そのときは縁なく終りましたが、先住民の狩猟生活に興味があったため、文化人類学の先生のつてをたどって、北極圏にあるイヌピアットの村に2ヶ月ほど滞在することができました。
 そこでは、アラスカの内陸部でカリブーを主な食料として暮らしてきたイヌピアットの生活の一端を経験することができました。あいにく滞在した年はカリブーの群れが村周辺をほとんど通らない「凶作」の年で、見たかったカリブーの猟を目の当たりにすることはできませんでした。滞在中にはアラスカ州漁業狩猟局(Alaska Department of Fish and Game)がカリブーに装着したGPS端末の電波から群れの位置情報を地図に落とし、村にも共有していたことは驚きでした。さらに、村は「北極圏の扉国立公園(Gates of the Arctic National Park)」の域内に位置していましたが、規制の多い国立公園制度に対して村人たちがあまりよい感情を持っていないことなども知り、自然保護に関わる行政機関と現地の人との関わりに興味を持つきっかけとなりました。


環境省に入省

鳥インフルエンザの監視のための糞便調査の様子(ウトナイ湖にて)

鳥インフルエンザの監視のための糞便調査の様子(ウトナイ湖にて)

 その後、就職を考える時期になり、自然やそこに住む人と関わる仕事をしたいと思い、レンジャー(自然系技官)として環境省に入省しました。レンジャーの仕事では、日本各地で国立公園や野生生物関係の仕事に携わることができるし、また登山が好きだったので北海道や上高地のような山が近い場所で働ければという期待もありました。
 最初の勤務地は札幌にある北海道地方環境事務所で、鳥獣保護法の許認可や大雪山国立公園に関係する業務に携わることになり、仕事でもプライベートでも人生で一番山に行けた充実した時期でした。ただ残念ながら継続の希望も叶わず、札幌勤務は泣く泣く1年で終ってしまいました。
 入省2年目からは山梨県にある生物多様性センターに配属となりましたが、そこで今回の渡米にあたって大変お世話になったレンジャーの先輩の鈴木渉さんに出会うことになりました。


アメリカに行くチャンス?

 生物多様性センターは、1973年から実施されている「緑の国勢調査」とも呼ばれる自然環境保全基礎調査を実施するなど、自然環境行政の基礎となるデータを綿々と収集する業務を中心に行っている部署です。鈴木さんとともに私が主に担当したのは、そういった調査とはちょっと毛色の異なる業務でした。日本を含むアジア太平洋の生物多様性に関わる研究者の観測ネットワークのサポートをする取組AP-BON(アジア太平洋生物多様性観測ネットワーク)や、東南アジアで分類学の研修会を開催するESABII(東・東南アジア生物多様性情報イニシアティブ)を多様性センターが主催しており、主にアジアにフォーカスをおいた国際関係の業務を担当することになりました。
 北米、中南米などはよく旅行していましたが、東南アジアに行ったのはカンボジアへの出張が人生始めてでした。それまでの旅行では、生ものや水に当たったことがなかったこともあり、体調管理を油断していました。帰国直前にカンボジアで食べたお寿司のせいで、おなかをひどく壊してしまい、1週間ほどダウン、その翌週にあった韓国出張を鈴木さんに任せっきりにしたのは苦い思い出です。
 研修会のような環境省が主催となる会議だけでなく、生物多様性条約締約国会議(COP)や科学技術レベルの会議に出席する機会もあり、国際会議のいろはも知らない状況から貴重な経験をさせてもらいました。
 あるとき、鈴木さんからアメリカの国立公園で長期ボランティアされていたという話を聞く機会がありました。鈴木さんの記録はブログ「アメリカ横断ボランティア紀行」としてまとめられていますが、2年間国立公園で働かれたということで、環境省でもそのようなチャンスがあるのか!と夢が膨らみました。
 自分も同じようにいつかアメリカに行ければいいなと漠然と思いましたが、当面は現実的なチャンスのようには思えず、その後長年、アメリカの国立公園のことは脳裏にもほとんど浮かんできませんでした。


南極に行ける?

登山中の写真(2011年頃)

登山中の写真(2011年頃)

 2年ほど生物多様性センターで勤務した後、熊本の九州地方環境事務所で勤務することになりました。九州では、大学院の時の調査地であった阿蘇の草原再生に行政の立場から参加したり、ツマアカスズメバチなど侵入初期段階の外来種対策のための予算をもらって調査や駆除をしたりと、いろんな現場を経験し、やりがいがありました。
 ところで、普通行けないような場所には行きたいと思うタイプの人間で、環境省に入省した際に南極に行けるポストがあると知り、人事希望調書には「国際関係(南極)」とずっと書いていました。熊本に来て2年ほど経ったころ、所長から所長室に呼ばれ、「南極に行きたかったら行かせてやるで。考えといて。」と言われ、公私ともに充実していた熊本から去るのは惜しかったものの、南極に行きたい気持ちは間違いなかったので、数週間考えたのち、「はい」と回答しました。 (次回に続く)


ミニコラム

~日常の一コマ~「スタジオジブリ映画」 

 2023年夏に日本で公開された「君たちはどう生きるか」は、現在(2024年1月)アメリカでも「The Boy and the Heron(少年とアオサギ)」として公開されています。レッドウッド国立州立公園の職員の方からお誘いを受けたので、アーカタ(レッドウッド国立州立公園から車で40分ほど南にある町)にあるMinor Theaterへ見に行ってきました。Minor Theaterは、1914年にオープンした全米でも1,2番の歴史を持つ、趣のある小さな映画館です。字幕版だったので、久しぶりに日本語が聞け楽しめました。
 アメリカでは、映画が大きな娯楽だからかもしれませんが、国立州立公園の職員の方々は過去のスタジオジブリ映画にも詳しく、映画の話題で会話が弾みます。
 環境省のレンジャーでは、特に「風の谷のナウシカ」が好きな人が多いと感じます。私は、子どもの時にテレビで見た時のおどろおどろしい印象が強かったのですが、大人になりコミック版を買って読んでみると、人間が引き起こした環境破壊、森林生態系の再生など、文明の在り方に警鐘を鳴らす示唆に富むストーリーで、レンジャーに人気なのも納得でした。最近環境省では、持続可能な社会のために「行動変容」が必要だと言っていますが、「行動変容」を促すような気持ちを人に起こさせるには、芸術が果たす役割は大きいなと感じます。

「The Boy and the Heron」のチラシ

「The Boy and the Heron」のチラシ

歴史的な外観のMinor Theater

歴史的な外観のMinor Theater


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  1. 001「ここに来るまで」
  2. 002「南極係の仕事」
  3. 003「南極で過ごした日々」

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