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「自然保護の現場から ~アメリカ国立公園滞在記~」バックナンバー

0052024.08.06UPレッドウッドに到着

国際会議の経験

国際会議の様子。スイス・ジュネーブで開催された生物多様性条約の会議にて

国際会議の様子。スイス・ジュネーブで開催された生物多様性条約の会議にて

 2020年からは、本省の生物多様性戦略推進室で勤務し、生物多様性関係の国際交渉に関わることになりました。2020年は、中国で開催予定の生物多様性条約のCOP15(第15回締約国会議)において、2030年までの生物多様性に関する国際目標を決めるという重要な年でした。しかし、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により、対面の会議は当面の間、延期されることになり、代わりにオンライン会議で議論が進められることになりました。オンライン会議は、自宅から国際会議に参加でき、会議の経験を積みやすいという利点もありますが、世界の多くの国が参加しやすい時間帯に会議を開催するとなると、日本時間だと時差の関係で深夜から早朝に会議に参加しないといけないという難点もありました。
 2022年に入るとようやく対面の会議も再開し、海外出張に行くことができるようになりました。久々の対面の会議で、深夜まで議論が続くことも多かったものの、世界各国から集まった交渉官と同じテーブルにつき議論に参画できるのは刺激的でした。また国際会議の場では、他国ではリーダー的立場にいる女性が多いこと、ビーガンの食事も提供されるなど、日本で生活するなかでは意識しづらいことが浮き上がって見えてきて、世界の状況から学ぶことも多く貴重な経験になりました。


研修への再チャレンジ

 もっと海外で過ごしたいという気持ちもあり、気にかかっていた在外研修に再度チャレンジしてみることにしました。前回の失敗の経験も踏まえ、鈴木渉さん(001「ここに来るまで」に登場)をはじめ過去に行った先輩から話を聞きつつ申請準備をしました。ただ、締切の迫る中バタバタと準備したので、語学審査のためにスコアの提出が必要だったTOEICは出張先のカナダで受験してなんとか締切に間に合わせることができたという状況でした。
 野生動物管理に関心があったため、アメリカの魚類野生生物局(Fish and Wildlife Service)での研修を第1希望にして、その内容で人事院の審査は合格することができました。ただ、研修の受け入れ先探しは、そう簡単にはいきませんでした。鈴木さんから魚類野生生物局の方につないでもらい、いざメールを送っても返信がなく、やきもきしたまま日々が過ぎていくだけでした。同時に、国立公園での研修の可能性も模索し、国立公園局(National Park Service)で国際ボランティアの担当をされているリンダさんを鈴木さんから紹介してもらいました。リンダさんは、前向きに協力してくれ、ビザも出せるということで、結果的に国立公園局を研修先にすることにしました。
 アメリカの国立公園では、職員だけでなく、Volunteers-in-Parks(略してVIP)と呼ばれる多くのボランティアが働いています。ボランティアの仕事は、ビジターへの案内、資源管理、施設管理など多岐に渡り、毎年10万人もの人がボランティアをし、国立公園の管理運営を支えています。外国人であっても、国立公園に関連する専攻の大学生や、国立公園などの保護区で勤務している業務実績があれば、国際ボランティアとして働くチャンスがあります。私も国際ボランティアとして、1年間アメリカの国立公園で働くことになりました。


受け入れ先が決定!

日本出発。アウトドアギア、衣類、寝具で荷物はいっぱいになった

日本出発。アウトドアギア、衣類、寝具で荷物はいっぱいになった

 とはいえ、まだ具体的に受け入れてくれる国立公園は決まっていません。1年間アメリカで研修する際に、まず課題になるのが住むところです。国立公園によっては、長期滞在するボランティア用の宿舎を用意している場所もあるので、宿舎がある国立公園でのボランティア先をリンダさんに探してもらいました。
 数か月した頃、カリフォルニア州北部にあるレッドウッド国立公園で受入可能だという朗報がリンダさんから届きました。レッドウッドは鈴木さんが9か月ボランティアされた場所で、その縁もあり私を受け入れてくれることになったようです。鈴木さんが築かれたネットワークに感謝です。レッドウッドでの受入担当はジェイソンさんという森林官でした。事前にオンラインで顔合わせし、レッドウッドでの業務内容などの説明を受けましたが、特に印象に残ったのは、レッドウッドはremote and secluded(辺ぴな人里離れた場所)だということでした。宿舎は、近くに人も住んでいない国立公園の中で、携帯電話も通じない、Wi-Fiも通っていないとのことだったので、外国の森の中に一人で暮らすのは大丈夫なのかという一抹の不安を抱え出国まで過ごしました。
 出発までは、日本での通常業務をこなしつつ、渡航に必要な旅券やビザの申請、航空券や旅行保険の手配など様々な手続きに追われました。リンダさんが、ビザ申請に必要となる書類を送ってくれた際には、「あなたの研修は素晴らしい経験になると確信しています。国立公園はお互いを世話する家族のようなものだと感じるようになると思います。ボランティアプログラムが、あなたの期待を上回り、また将来にわたる貴重な思い出になることを期待しています。」というメッセージをくれました。いざ現地に行ってみると素晴らしい環境なのだろうけど、行くまではあれやこれや考えて不安になるもの。リンダさんの言葉は、アメリカでのチャレンジに向け、不安になっていた気持ちを勇気づけてくれました。
 出発準備にあたっては、国立公園ではフィールドでの仕事が中心になるので、アウトドア用のギアなどたくさん詰め込み、荷造りしました。それ以外の準備は、主にインターネットでの事前リサーチが中心で、レッドウッドでの生活で必要となるレンタカーの予約、携帯電話の契約や銀行口座の開設などできることは進めておき、アメリカに行く前にできることはしておきました。


レッドウッドに到着

 2023年の12月中旬、サンフランシスコ空港経由でレッドウッド最寄りのアーケータ・ユレーカ(Arcata/Eureka)空港に到着しました。通路側の席から、空港付近には緑の森が広がっている光景が見えました。空港には、ジェイソンが迎えに来てくれ、その夜は、ジェイソンの家族とクリスマスパーティーに参加することになりました。アメリカは、高校の時に留学していたカナダとはトーンが違う英語で、到着当日から一気にアメリカ社会に投げ込まれ圧倒されるような感じでした。
 翌日は、最寄りの町ユレーカ(Eureka)にてレッドウッドでの滞在中利用する予定のレンタカーを借り、ついにレッドウッドに行くことになりました。レンタカー屋では、車上荒らしを防ぐため車を離れるときは荷物が外から見えないようにするようにと注意があり、身が引き締まりました。右側通行での運転は初めてなのでドキドキしながら、ジェイソンの車の後を追って1時間近く運転し、ついに宿舎に到着しました。宿舎には、ベッド、タンス、冷蔵庫、食洗器など生活に必要な家財がそろっています。家財リストを確認して、入居書にサインして無事入居となりました。到着した日に分かったのは、私が住む家の別の部屋に1人の職員が1週間前から入居しているということ。ルームメートがいると分かり、内心大変安心し、レッドウッド国立公園での生活が始まりました。

宿舎までのゲート。一般にはオープンしていない国立公園の敷地の中に宿舎があり、一般の車は入れないようになっており、アクセス道路にはゲートが設置されている。ゲート付近は、レッドウッドの巨木林が残っている

宿舎までのゲート。一般にはオープンしていない国立公園の敷地の中に宿舎があり、一般の車は入れないようになっており、アクセス道路にはゲートが設置されている。ゲート付近は、レッドウッドの巨木林が残っている

レッドウッドの宿舎。レッドウッドの二次林のなかに、2軒の宿舎が建っている。左手はレンタカー

レッドウッドの宿舎。レッドウッドの二次林のなかに、2軒の宿舎が建っている。左手はレンタカー


(次回に続く)


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バックナンバー

  1. 001「ここに来るまで」
  2. 002「南極係の仕事」
  3. 003「南極で過ごした日々」
  4. 004「ヒグマとの関わりに悩んだ知床時代」
  5. 005「レッドウッドに到着」

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