2018年4月末、小笠原が展開している「小笠原ネコプロジェクト」(文末のリンクを参照)を10年以上継続取材してまとめた本を出版した。「小笠原が救った鳥?アカガシラカラスバトと海を越えた777匹のネコ」(緑風出版)がそれである。本ではプロジェクトが始まった背景から、どのように島住民、村、都、国やいろいろな組織が協力しあい進んできたか、実働部隊である父島のNPO法人小笠原自然文化研究所の動きを中心に書いたが、私はプロジェクトが始まった頃、ネコ飼い主として島に住んでいた。プロジェクトは山のネコを捕獲するのと同時に、ネコを飼っている飼い主への働きかけにも力を入れていた。
そこでネコ飼い主側から見たこのプロジェクトについて記してみたいと思う。
「じゃ、行ってきます!」
竹芝桟橋に見送りに来てくれた兄と友人に手を振って、私は小笠原行きの定期船「おがさわら丸」に乗り込んだ。片手に小さな黒ネコが入ったキャリー、もう片手にネコのトイレを抱えた状態で。船は当時25時間半かかったので、ネコはペットルームで一晩過ごす。そのため、トイレもペットルームの中に入れたのである。
2009年5月。もっと深く小笠原を理解した上で文章を書きたいと思い、四季すべてを経験しようと1年限定の予定で小笠原に移住した。当時、小笠原では人間の元から脱走したり捨てられたりして山で野生化し、希少な鳥を襲っているネコ(以下、「ノネコ」とする)の排除に向けて、捕獲体制を整えているときだった。
島の親しい友人たちの多くはプロジェクトに関わっていたから「えっ、(ネコ捕獲が始まるのに)ネコ連れてくるの?!」と驚いていた。しかし、私は「避妊去勢済み、完全室内飼いだから大丈夫!」と答えたものだ。
小笠原で起こっているノネコの問題の詳細については「小笠原ネコプロジェクト」を読んでいただきたいのだが、希少種を襲うネコはもともとは人間に飼われていたネコが、脱走したり捨てられたりして野生化したのである。同行したネコはそういう事態を招かない自信があったから、連れて行ったのだ。
私が住んでいたのは母島。到着した翌日に村役場の支所(本庁は父島)を訪れて、自分の転入届と同時にネコの飼養登録を行った。小笠原は「飼いネコ適正飼養条例」を日本で最初に制定した自治体だ。ネコを飼うときには申請書に飼い主氏名、ネコの名前や性別、毛色や種類などを記入して役場に届け出を行う必要がある。届けを出し、これで私もネコも小笠原の住民になった! とちょっと嬉しくなった。
私は小笠原にネコ連れで移住するにあたって、以下の4つを守ろうと思っていた。それは、今まで希少種の保護に関わっていた友人たちから聞く話から、希少種に影響を与えないためにはこれらが必要だろうと思ったからだ。
である。私のネコはすでに避妊していたので、あとやらなければならないのはマイクロチップの挿入だった。これが入っていれば、万が一脱走したとして、捕獲された場合、リーダーでチップを読み取れば登録情報から私のネコであると分かるのだ。チップ挿入は本州の動物病院では数千円から1万円以上かかるが、当時小笠原では無料で挿入することができた。それは2008年から始まった「動物医療派遣団」のおかげである。
移住して1ヶ月半後の7月頭、母島の通称クラブハウスと呼ばれる施設が急ごしらえの動物診療所になった。(公社)東京都獣医師会の獣医師と動物看護師計10名以上の派遣団が、父島と母島でネコとイヌの健康診断、避妊去勢手術、マイクロチップ挿入をしてくれるのである。しかも無料で。さらに夜には獣医師と飼い主の懇親会も開催された。獣医師から最新のペット情報を聞いたり、自由に質問したりすることができたのだ。この事業は2017年に父島に動物対処室ができて獣医師が常駐するようになるまで8年間続いた。最初の2年は小笠原自然文化研究所が民間助成金を得て行い、飼い主たちからあがった事業存続の声を受けて、2010年からは小笠原村が予算を組んで行っていた。
「すごいな。獣医さんからの説明なら、飼い主は素直に聞くもんなぁ」
懇親会で、ネコは窓から外を見るのが好きだが、別に出たいと思っているわけではない、外が見られれば満足、と話した獣医師の話に島の飼い主たちが頷いているのを見て実感した。ほかの人に言われたとしたら「本当にそうかな?」と疑ってしまうかもしれない。
なぜ獣医師たちを招いたか。小笠原ネコプロジェクトでは、山でノネコの捕獲を行うのと同じぐらいの熱量で、飼い主に向けての働きかけが重要だったからだ。だから「なぜ適正飼養しなければならないか」を繰り返し飼い主が聞く機会が数多くあったのだ。
著書にも書いたが、伴侶動物であるネコは人間がいる限り、島に入ってこなくなることはない。だとしたら、小笠原の自然と共存するための適正な飼い方が重要になる。飼っている側がいつまでもネコを脱走させたり、避妊去勢せずに大量の子ネコが生まれ、困って山に捨てたりするようなことを続けていたら、永久に山のネコはいなくならないのである。
だが、「適正飼養しなければダメだ」「希少な生物を守るために」と正論だけで禁止されてもとんとん進むとは限らない。特に外飼いについては、本州でも同じだが飼い主の飼い方スタイルや信条と関係していることもあり、ただ「やめてください」といっても反感を買うだけだ。飼い主自らが「そうしなければいけないのだ」と思うようにならなければ変化はない。変化のために何が必要かといったら、正しい情報と、「世界でここにしかない自然の中で暮らしている」意識ではないだろうか。
もちろん、全飼い主が一気に意識を変えたわけではないが、プロジェクトが進むに連れて、村への登録と避妊去勢はほぼ100%となった。外飼いされていて、どうやっても室内に閉じ込められない気質のネコたちはちらほらいたが、避妊去勢されているので、年を追うごとに、2009年当時に比べると集落内で出会うネコの数はずいぶん減った。
ネコも夢中になって見るという、路地のネコを撮影したTV番組を見ていると、「道にネコがいるのはいいもんだな」と思う気持ちもある。しかし、小笠原にしかない自然を持つ島で、自然と共生しながら生きていきたいと思うのであれば、どちらを取るか? という問いに対して、小笠原は1つの答えを選ぼうとしているように思える。
飼い主に向けての働きかけはいろいろな形で行われた。私が島にいた頃には、2010年に父島での山のノネコ本格捕獲が始まるときに完成した一時飼養施設「ねこ待合所」の開所式には父島の飼い主はもちろん、50キロ離れた母島のネコ飼い主や関係者も招待されたこともあった。一時飼養施設は、6日に一便しかない定期船に載せるまでの間、捕獲されたネコが滞在する施設である。私も招待してもらい、人口2500人足らずの島で、120名も集まった参加者とともに施設完成を喜んだ。こうしたひとつひとつが「自分たちもプロジェクトの一員である」という当事者意識を飼い主にもたらしていると思う。
飼い主への働きかけをノネコの捕獲と同時に行わなければ、小笠原ネコプロジェクトは今、ここまでの成果を出せていなかったのではないだろうか。ネコ飼い主として島で生活してみるとそれがよく分かった。そしてこれは環境問題で言われる「Think globally, act locally」を地で行っているなと、改めて思うのである。
島を離れて8年も経ってしまった。あのとき、鳥どころか部屋に入り込んだ虫もトカゲも捕まえられず、脱走もしなかったネコは今も私の傍らで、そんな人間の奮闘も知らずあくびをしているのである。
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