“ユリムン”という言葉を知っていますか? 漢字で書くと寄り物。奄美や琉球列島で使われている言葉で「海岸に漂着する魚、海獣など」で、海の向こうからやってくる贈りものとして人びとに歓迎されていました。転じて、今ではよそから島に移住してきた人をユリムンと言ったりします。
島にとって喜ばしいユリムンになれるのかどうか。ユリムンが島に対してできることは何か? 最近では島への移住を考える人も多いのですが、これは島で生きる上で重要なキーワード。そこで「ユリムン」となったある島の女性の成し遂げていることをご紹介したいと思います。
舞台は八丈島。日本の数ある島の中でも開放的な気質で知られる島です。いまから27年前、一人のユリムンが八丈島に到着しました。
栗田知美さん。彼女がこの3年力を注いでいるのが「ハワイ-八丈 リーダーシッププログラム」です。ざっくり言ってしまうと八丈島高校の生徒をハワイ大学機構の特別授業に参加させる試みなのですが、これは公的なものではなく栗田さんの牽引力によって成り立っている民間事業です。
「当時、19歳でした。会社員だった私は以前訪れたことがある八丈島を再訪したときに『ダイビングショップでスタッフ探しているよ』と聞いて、すぐに移住を決意しました。ずっとダイビングの仕事をしていましたが、5年前からはロミロミというハワイ生まれのマッサージのセラピストとドルフィンスイムインストラクターを仕事にしています」
日焼けした顔に気持ちよい笑顔を浮かべて栗田さんは話してくれました。彼女はまた、八丈島ふるさと観光大使・ハワイ文化交流担当でもあります。
彼女は2005年、八丈島初のフラのチームを立ち上げました。そしてハワイとの縁が深くなるにつれ、ハワイと八丈島の共通点に気づいていったのです。
1898年にアメリカに併合されてから、ハワイは古来からの文化と誇りを失っていきました。親たちは「この遅れた島から早く子どもをメインランド(アメリカ本国)へ送り出さなければ」と考えるようになりました。しかしハワイ全体で徐々に「自分たちのルーツであるハワイの文化を知ろう、大切にしよう」という動きが起こってきました。
ハワイの伝統文化復帰の動きは、ハワイアン・ルネッサンスといわれます。この運動は1970年代、キング牧師が中心となってアメリカ本国で広まった公民権運動に呼応するように始まりました。
自然全てに神が宿るとされるハワイの信仰。ハワイの人びとの生きる「核」ともいえる“クレアナ”(責任、ミッション、生きる課題のような意味)、そして協力し合うという意味の“ラウリマ”など、ハワイという自然の中で作られてきた考え方、暮らし方がいま見直されているのです。
似たような考え方は八丈島でも大切にされてきたことです。情け島と言われ困った人を助け合い、台風など自然の脅威にさらされながらもあがめ、自然と共生し生きる姿勢などはハワイと共通しているでしょう。
八丈島では高校を卒業するとほとんどの若者が島を出ます。18歳で島を離れ本州で進学や就職をしてしまうと、その後、戻ってくる子どもたちは本当にわずかです。20?40代がぽっかり抜けているいまの状況では、島の未来はなかなか描けません。そこでハワイに行くことで若者が八丈島を見直すきっかけになるのではないかと栗田さんは考えました。
ハワイには栗田さんの友人でハワイ大学機構カピオラニコミュニティカレッジ(KCC)の国際交流プログラムのコーディネーターであるヴィンス・ミツハル・オカダさんがいました。
「島と島をつなげよう。島が持つ伝統文化を誇りにしよう」
オカダさんもこの考えに大賛成、2人はKCCの国際プログラムとして八丈島の子どもたちを送り込む体制を固めました。
それが2013年のこと。いまではアンケートや立候補で参加したいと表明した高校生を連れて行っていますが、初年度は栗田さんが「この子なら」と見込んだ生徒たちに直接話をしました。ぜひ参加したい! と目を輝かせたのは当時1年生だった豊田ののかさんと3年生の菊池佳恵さんでした。
プログラムは11月に1週間掛けて開催予定だったので、この間、2人は高校を休まなければなりません。栗田さんは高校に説明に行き、協力を求めました。
「一過性ではなく3年は絶対に続け、実績を作るつもりです。きっと2人は成長の機会をつかむでしょう。ですからプログラムの期間、彼女たちを休みではなく公欠(出席扱い)にしていただけませんか。そしてこの経験を進路に活かせるように内申書に記して欲しい」
今はまだ公欠という形にはなっていません【1】が、内申書にはしっかり記載されました。町長や教育長がハワイの総領事に親書を書き、後押ししてくれたこともあり、2014年11月10?16日、第1回目の「ハワイ-八丈リーダーシッププログラム」がスタートしたのです。
渡航費用は各自の負担。特別授業の授業料や現地の滞在でかかる費用は協賛金でまかないました。栗田さんの呼びかけに賛同した島の人たちやフラつながりの本州の友人たち、そして複数の島内企業が出資してくれました。みんな「島のためになるなら」という思いでした。
島と自然と生きる人々003 ハワイと八丈島をつなぐ未来への道(後編)へ続く
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