2017年4月、伊豆諸島・新島にいままでにない新しい施設がオープンした。「Hostel NABLA(ナブラ)」。新島の海の色のようなマリンブルーと白を基調にした二段ベッドの素泊まり宿だ。昔からの民宿スタイルが多い新島では初めてのドミトリータイプのゲストハウスである。
ナブラの前身は民宿だった。といってもずっと閉業したままで廃屋のような状態になっていたのだが、それに目に留めたのが新島出身の梅田久美さんだった。「建物が好き、空間づくりが好き」と自称する梅田さんにとって、なにか琴線に触れるものがある建物だったのだ。
「持ち主に頼んで内部を見せてもらったとき、入ってすぐの土間のようなところがとても広いのが目に入りました。瞬間、あ、ここは宿だな、それも民宿や旅館ではなくてゲストハウスだ、と思ったんです。そこで、持ち主に交渉して売ってもらい、内部をリノベーションし始めたんです」
ゲストハウスとはバックパッカーなどが愛用する手頃な値段で泊まれる相部屋方式の素泊まり宿だ。寝る場所は二段ベッドになっていることが多い。ゲストハウスの最大の特徴は「交流」。オーナーと、そして同宿者と交流を楽しむために必ずコミュニティスペースが設けられている。ナブラでは改装前に梅田さんがひらめきを得た土間スペースがその場となっている。
「新島には誰もがフラッと気軽に訪れて集まれるような場所がほとんどないんです。ゲストハウスにしたのは、島の人はもちろんだけど、観光でやってきた人と島の人も集えるような場所にもしたかったからです」
実家はかつて民宿をやってはいたが、梅田さん自身は宿をやったこともなければ、当時はゲストハウスに泊まったこともなかった。そこで岡山にある有名なゲストハウス「有鄰庵(ゆうりあん)」が開催する「ゲストハウス開業合宿」に参加して、運営のノウハウを習得。色や素材にこだわり、海外からの観光客にも違和感がないスタイルを作り出した。
内装で1つこだわったのは、ロビーラウンジやシャワールームの壁に使われている石素材。これはもともと民宿時代から使われていたもので、世界で新島とイタリアのリパリ島でしか産出されない“コーガ石”である。
コーガ石は新島の成り立ちと関わっている。新島南部にある向山は、886年に大噴火し、その際、黒雲母流紋岩の溶岩を噴出させた。この溶岩がコーガ石である。ケイ素というガラスの成分を多く含み、玄武岩質の溶岩と異なり粘り気があるのが特長だ。色は白。新島の東側には全長5km以上にもなる真っ白な羽伏浦海岸があるが、その白い砂浜もこのコーガ石が崩壊してできたものだ。
コーガ石は内部に気泡を多く含んでいるため水に浮かぶほど軽く、ノコギリで切れるほど加工しやすいという特性を持っている。新島住民はこの石を江戸時代から利用し、明治に入ると塀や家の壁、蔵、家畜小屋などの建材としても利用するようになった。コーガ石は耐酸性、耐熱性、防音性に優れているので、煙突などの内張やタイル原料、工業材料として島外に移出する会社もできた。一方で住民は届け出さえすれば安価で山からコーガ石を切り出し使用することができたので、家を建てるときには盛んに利用された。新島村博物館の展示によれば、昭和30年代集落内は世界でもまれなコーガ石造りの町並みが広がっていたという。
その風景は島生まれの梅田さんには当たり前のものであり過ぎて、ながらく特別な感情を持つことはなかった。しかし、この数年急激に島内のコーガ石造りの建物が消えていくこともあってか、改めてコーガ石に目をやることが多くなった。
「すると、今までなんとも思わなかった石造りの家や町並みがとても素晴らしいものに思えてきたんです」
そもそも、島外の人間にはコーガ石造りの家は趣といい、味わいといい、新島でしか見られない特別なものに見える。島内のあちこちには渋谷駅にあるモヤイ像と同じようなモヤイの彫り物が点在し「新島は石の島」という他では得られない強い印象を持つことができる。観光地にとって『唯一無二』があることは何より強い。
また建築の世界では、コーガ石が屋根瓦の代わりにも使われたということが注目され、数多い専門家が来島しては石造りの家について調査し、論文を残しているほどだ。さらにいえば、この石を原料にして新島は新しい特産品も生み出した。ケイ素などガラスの原料が含まれているため、ガラスを生産することができるのだ。オリーブ色が特徴的な「新島ガラス」は、島にある「新島ガラスアートセンター」を拠点として、数々のアート作品を生み出している。
「これはこのままなくしてはいけない、なんとか残せるものは残したいという思いがありました。だから、ナブラの前身だった民宿がコーガ石で造られていると知った時、コミュニティの拠点と同時にコーガ石の良さを伝える拠点にもできると思ったんです」
梅田さんは、上に塗られていたモルタルを剥がし、コーガ石をむき出しにしてそれを活かしたデザインでナブラを作った。現代風のデザインに、時を経て再度主役となったコーガ石はしっくりなじみ、まるで海外の石造りの家のようなスタイリッシュさを見せている。そのデザインはもちろん、開放的な居心地の良さでナブラはオープンと同時にたちまちたくさんの観光客が訪れるようになった。梅田さんは運営は若者に任せ、この空間をもっと盛り上げるために何をするかを日々考えている。
「この宿を作ったもう1つの目的は、若者が働ける場をつくることでした」と梅田さんはいう。新島には高校までしかないので、18歳になると子どもたちは進学や就職のために外に出て行かざるを得ない。両親の元に戻りたいと思っても仕事がないためにそのまま本土で就職してしまうケースがほとんどである。梅田さん自身、成人した子ども含め、3人のお子さんを持っている。母親世代として島の未来に何かできることはないかと考えていたときに、地域の拠点、観光客の拠点、そして島の若者の拠点というアイディアがすっとゲストハウスで結びついた。
今、ナブラでは20代、30代の若者が管理を行い、中心となっているのは20代の新島の青年だ。
「活性化なんて大げさなものじゃなく微々たるものですが、若い人たちが楽しみながら島を盛り上げていく拠点になればいいなという思いがずっとありました」と梅田さんは微笑むが、どうやらすでに次のステージを見据えているようである。
「前から気になっていたコーガ石造りの家が、取り壊されるかもしれないという情報が入ってきて、いても立ってもいられなくて持ち主の方に会いに行きました。本当に古い造りで、道から一段下がったところに1階を作ってあるんです。風よけのために古い家はそうやって造ったんですが、それがそのまま残っている。庭には大きなソテツがあって、それもまたいい雰囲気なんです。自分の思いをお話しした結果『壊して建て直すのではなく残してくれるなら』と、売っていただけることになったんです」
つまり2軒目の開業も視野に入れているのだ。梅田さんによれば、石造りの家は経年で少しずつ壊れたりしており、建て替えや取り壊しされることがこの数年集中しているという。それにしても、個人の頑張りでしか家並みが守れないのはなんとも口惜しい。コーガ石を切り出す人も石工も高齢化で技術を継承する人もいない現状では、今ある新島の伝統建築が失われたら、もうそれっきりになってしまう可能性が高い。全国どこにでもあるありきたりな新しいものではなく、トラディショナルこそが地域の個性を際立たせるかけがえのない財産であり、人を惹きつけるものであるはずだ。
梅田さんは「本来なら伝統的建造物群保存地区=伝建地区のようにして石造りの町並みが残れば良いのだけど」と考えているが、そうなるには地域全体の盛り上がりが不可欠となる。
だが、新島にはナブラという基地ができた。ナブラという言葉は、大きな魚に追われた小魚が水面に立てるさざ波のことだという。波はやがて海鳥に察知され、魚を狙う海鳥が鳥山を作る。同時に、漁師たちもナブラを目指し船を走らせる。連鎖のような海の賑わいを表す言葉なのだ。その名前の通り、新島が大きく変わる1つのナブラになるのではないか、梅田さんの笑顔にそんな期待を持った。
9月に新島行きました。
大学で新島の民宿を調査しており、大変参考になりました。
(2018.12.08)
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