自然と共に生きる、よく聞く言葉ではあります。しかし、本当の意味での「自然と生きる」とはどういうことでしょうか。
このことを、伊豆大島(以下、大島と記載)に住む古い友人に教えてもらったときの話をしましょう。西谷香奈さん。ダイビングガイドや陸のネイチャーガイドを経て、現在では伊豆大島ジオパーク推進委員であり、ジオガイドとしても日々活動中です。
自然をガイドする、それ自体が自然と生きるということとも言えますが、久しぶりに西谷さんと大島を歩いてみて「この人は間違いなく自然と共に生きている」と改めて思いました。それは、自然を理解し、受け入れる覚悟の深さです。
大島は中心部に三原山を擁しています。三原山は活火山で今も火口から噴煙を上げ、火口近くには手を当てて地熱を感じられる場所もあり、まさに火山が、そして地球が今も生きている星であることを実感できるジオパークです(大島は日本ジオパーク委員会により「日本ジオパーク」と認定されています)。
噴煙がたゆとう直径3?4.5kmのダイナミックなカルデラや、広い平原に溶岩がゴツゴツと不思議な形を作る溶岩地帯、黒い火山岩の上に常に風が吹き、そのためもあって植物が定着せず、まるで月世界かと錯覚させられる裏砂漠、工事の途中で意図せず発見された100層もの地層断面が見られる間伏の地層切断面など、あっけにとられるような地形や景観は伊豆大島の底力を十分に感じさせてくれます。
これらの自然は単独で歩いて見てもそれなりに圧倒されますが、西谷さんと一緒に歩いて解説を聞くと、まるで物語を読み解きながら歩いているような気持ちになって、大島の自然の迫力や面白さが倍増します。そして、ただ歩いただけでは分からない視点ももらえます。
たとえば、伊豆大島観光ホテルから裏砂漠へ行くルートを歩いていたとき、途中に広がる溶岩地帯を見ながら彼女はこう言いました。
「この溶岩は1986年の噴火の時、この近くで起きた割れ目噴火から出た溶岩なんです。つまり、1986年以前はこの光景はなかったんですよ。
三原山は35年程度の周期で噴火をくり返しています。前の噴火から今、30年ですから噴火もそろそろですね。今、三原山のマグマは相当量溜まっているという説もあります。次の噴火が来たらこの景観も変わるでしょう。今だけ見ることができる光景なんですよ」
次の噴火。さりげなく西谷さんはそう言いました。
「怖くないですか?」と聞いてみると、
「でもそれがこの島に住むっていうことだから」
私たちは目の前のダイナミックな自然に、つい忘れてしまいます。噴火も、地震も天変地異も、自然には人間の力の及ばないパワーがあります。人間が知恵を絞り、英知を結集して作った構造物も「1000年に一度」の想定外の場合にはあっけなく崩れてしまうこともあります。
大島は噴火の火山灰や溶岩などが堆積してできている島。火山灰が降り積もってなだらかな場所はやがて緑に覆われて、人間が建物を建てたりして生活の一部に組み込まれていったかもしれません。でも、大島で暮らすと言うことはある日、その上にふたたび火山灰や溶岩が降り積もる可能性があるということでもあるのです。
西谷さんは車を運転しながら、「見て欲しい場所があるから行きませんか」と言います。どこかと聞くと、3年前、私が来島したときに一緒に行った場所だというのです。そう言われて3年前のことを思い出しました。その半年前、2013年10月、台風26号による豪雨が引き起こした土砂災害があったのです。10月15日夜半から16日にかけて1時間に100ミリを超えるというまさに想像を絶する豪雨が集中的に降った結果、三原山外輪山の中腹が水を吸い込みきれず崩落を起こし、倒れた木々や石とともに大島の中心部である元町地区に向かって土石流(山津波)となって流れ込んだのです。その結果、住宅50棟が全壊、半壊と一部破損合わせて103棟、行方不明者3名、亡くなられた方36名という大災害となりました。【1】
半年後も被害の爪痕は残っており、そのときに見た風景は衝撃と共に今も記憶に残っています。特に流れ込んだ土砂が溜まり、流木や倒壊した家屋、車などが点々としている地区では、2011年以来たびたび訪れている東北の風景が重なり、胸が苦しくなりました。
国土交通省のレポート【2】によると、この土砂災害は14世紀の噴火の際の溶岩の上に堆積した火山灰を主体にした表層土が崩壊したものといいます。
西谷さんが案内してくれたのは、3年前に見たときは「それまで溶岩であまり木が生えていなかった場所」に土砂が大量に流れ込んだ長沢という地区でした。驚いたことに、同じ場所は緑に覆われていました。
「これ、3年前と同じ場所?」
「そう。以前は溶岩だったので植物があまり生えていなかったのだけど、土砂が溜まったのであっという間に植物が芽を出し、こんな緑いっぱいになったんですよ」
自然とはなんとすごいことでしょう。その生命力の強さ、たくましさ。太古の頃から、この島の植物(もしかしたら虫や、動物たちも)は、くり返し起こる噴火により焼かれたり、枯れたりし、いったんは姿を消したかもしれません。しかし時間とともにふたたび立ち上がり、どんな条件であっても生きられる場所であればまた地面を覆い、子孫を残していったのです。この島に暮らす人間もまた、同じです。
「3年半前の災害は、自分がどんな自然の中で生きているかを改めて知ることになりました。土砂が流れた流路は、1338年の溶岩流が流れたあとと重なっている部分もあります。三原山が過去にどんな活動をして、どんな地質を作ってそこはどういう地形になっているか。私が毎日歩いてその日ごとに感動している景色は、そういうものの上に成り立っているんです」
そういう西谷さんは、しかし深刻な顔はしていません。もちろん、大島は最新の計測器が要所要所に設置され、噴火の兆候は常にチェックされています。そして、噴火は突発的に起こるものではなく、前兆がありますから、何か起こったときにはどこに逃げるかは頭に入っているのです。そういう場所だと知った上で生きる。それが「自然と共に生きる」ことかもしれない……。そんな風に思いました。
「覚悟」であり、その土地を「受け入れ」ること。それが自然と生きることなのかもしれません。
とはいえ、実際に噴火したらどうするのでしょう。前にそう聞いたことがある。西谷さんは、
「30年前の噴火の時はまだ島にいなかったんですよ。今度は、今まで勉強してきたとおりに噴火するかな? とか、ああ、あれが溶岩噴泉だ、溶岩流だと確認してみたいですね」
などというのだ。さらに続けていったことは、ああ、これが本当に自然と生きてるんだなという声でした。
「私の住んでいる家、補修しなきゃならない箇所があるんですよ。でも、実は割れ目噴火口ができるかもしれない場所にあるので、家の下から溶岩が噴き出すかもしれないんです。だから、補修するのは噴火が終わった後にしようと思って」
引っ越そうでもなく、島から出ようでもない。そう言っている島の人、結構いるんですよ。西谷さんはそういうと、「じゃあ、もう一つの大島の恵み、温泉にでも行きませんか?」と笑いかけてきたのでした。
Copyright (C) 2009 ECO NAVI -EIC NET ECO LIFE-. All rights reserved.