和歌山県南西部に位置する白浜町に南紀白浜温泉があります。飛鳥時代にはじまった律令制度における紀伊國の牟婁郡(むろこおり)に所在したことから「牟婁の湯」と呼ばれてきました。白浜町は現在も西牟婁郡に属しています。紀伊國は現在の和歌山県と三重県の一部に該当し、この地域は南紀地方と呼ばれています。
古代の文献には「牟婁温湯」「武漏温湯」「紀温湯」などの記載が見られるようです。日本書紀には、657(斉明3)年に有間皇子が牟婁の湯を訪れ病が治り褒めたたえたことを聞き及んだ斉明天皇が翌658年に来湯した、という記述が見られます。続日本紀や万葉集などにも天智・持統・文武など歴代天皇が来湯したという記述が見られます。永い歴史を誇る温泉地で、「伊豫(いよ)の湯」(湯愛媛県の道後温泉)、「有間の湯」(兵庫県の有馬温泉)と共に日本三古湯の1つに数えられています。
江戸時代には、紀州徳川家の人々の来湯が記録されていますが、当時温泉が湧いていたのは鉛山(かなやま)村の湯埼地区で「湯埼七湯」と呼ばれ、白浜という名前はありませんでした。明治時代になると鉛山村は隣接する瀬戸村と合併し、瀬戸鉛山村となります。旧瀬戸村地区では明治時代の末頃から温泉が開発されはじめ、大正時代初期に温泉開発を進めた会社の社名にはじめて「白浜」という名前がつきます。これは、鉛山(かなやま)湾に面した美しい砂浜である「白良浜(しららはま)」の略称ですが、以後「白浜」という名称が広がったと言われています。1940(昭和15)年には瀬戸鉛山村が町制を施行して白浜町となりました。古賀浦や文殊など町内各地で温泉開発が進められ白浜温泉は大きく発展していきます。海岸を中心に高台に及ぶまで旅館・ホテルや保養所そして温泉入浴施設や足湯が点在し和歌山県最大の温泉地となっています。なお、千葉県にも白浜という地名があることから、南紀白浜と呼ばれるようになりました。温泉地のすぐ傍に空港が設置されており、空港名は南紀白浜空港となっています。
南紀白浜温泉は歴史のある温泉です。火山帯ではないのに、非常に高温の源泉が多いという特徴があります。湯崎港のすぐ傍に建つ櫓が目につきます。これは「行幸(みゆき)源泉」で白浜の代表的な源泉で、90℃近い温泉が大量に自噴しており、宿泊施設や入浴施設に配湯されています。白浜には温泉供給会社が7社と町有の源泉もあり、それぞれ施設に配湯されています。白浜の主な泉質は塩化物泉で、保温効果が高く良く温まり湯冷めしにくいと言われています。
南紀白浜温泉には、「崎の湯」「牟婁の湯」「しらすな」「白良湯」「松乃湯」「綱の湯」と6ヵ所の公営入浴施設があります。「外湯めぐり」パンフレットに6ヵ所入浴してスタンプを集めると、白浜町観光課から記念品がもらえる外湯巡りが好評です。このほか「草原の湯」や「長生の湯」など、民営の入浴施設が点在しています。
白浜町内には多くの観光資源がありますが、ここでは南紀白浜温泉の代表的な観光スポットを紹介します。
円月島(えんげつとう):南紀白浜温泉のシンボルとなっている小島で、正式には「高嶋」といいます。中央に円月形の海蝕洞が開いている特徴のある島です。円月島に沈む夕陽は「和歌山県の夕日100選」に選ばれ、特に夕景がお薦めです。
白良浜:白浜の語源となった砂浜です。90%の珪酸を含むと言われる石英砂で、鉛山湾に面した白く美しい砂浜が600mほど続きます。夏季は海水浴場として大変賑わいます。
平草原(へいそうげん):南紀白浜空港近くの高台にある公園で、展望台からは白浜の町並みを一望できます。四季折々の花が美しく、フィールドアスレチックコースなどが整備されています。
千畳敷と三段壁(さんだんぺき):千畳敷は、太平洋に向けて突きだした広い岩畳を思わせる大岩盤です。打ち寄せる荒波に浸食されてできた、壮大な自然景観が広がっています。
三段壁は、千畳敷の南側にそそり立つ高さ50mの断崖です。迫力のある景観が広がります。また、熊野水軍の隠し洞窟といわれる三段壁洞窟があり、エレベータが設置され三段壁内部の洞窟内を観覧することができます。
このほか南紀白浜温泉とその周辺には、パンダを誘致した大規模な観光施設アドベンチャーワールドをはじめ、人とエネルギーをテーマにした白浜エネルギーランド、白浜海中展望塔など、種々の施設があります。年間170万人以上が宿泊する日本有数の海浜温泉リゾートが形成されています。
観光情報の詳細は白浜観光協会のホームページを参照してください。
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