鹿児島県の北東部に位置する霧島市には多くの温泉地が点在しています。現在の霧島市は、2005年11月に国分市・溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・隼人町・福山町の1市6町が合併して広域になりましたが、旧牧園町・霧島町・隼人町のエリアに温泉地が集中しています。
霧島市内には、大きく分けると霧島温泉郷・霧島神宮温泉郷・新川渓谷温泉郷・日当山温泉郷の4つの温泉郷が形成されています。これら4つの温泉郷は、霧島と霧島神宮を併せて「霧島」として、新川渓谷と日当山を併せて「隼人・新川渓谷」として、環境省から国民保養温泉地に指定されています。
霧島は古事記や日本書紀に記載されている日本が誕生する神話の舞台となっています。天の逆鉾【1】が山頂に突き立てられている霊峰・高千穂峰は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が「天降り」したという「天孫光臨」の神話で知られます。この高千穂峰をはじめ、韓国岳(からくにだけ)や2年前の噴火が記憶に新しい新燃岳(しんもえだけ)などの山々は、総称して「霧島連峰」や「霧島山」と呼ばれています。
霧島山は鹿児島県と宮崎県にまたがる火山群で、この一帯は昭和9年に長崎県の雲仙などと共に日本で初めて国立公園に指定された地域で自然環境に恵まれています。周辺には温泉が点在し、硫黄山やえびの高原などの観光資源が多数あります。
霧島市にある温泉郷の中で最も規模が大きいのが霧島温泉郷で、霧島連峰の山麓から中腹にかけて丸尾・湯之谷・栄之尾・硫黄谷・新湯などの温泉地区に宿泊施設が点在しています。
霧島温泉郷の中心となるのが丸尾温泉地区で、霧島市全体を対象とした観光案内所があります。この一角は「霧島温泉市場」と名付けられており、特産品の販売や食事処に加え、温泉の蒸気で蒸した卵や野菜などが販売され、さらに足湯も設置されています。大規模なホテルや民宿などの宿泊施設も点在しています。付近一帯ではあちらこちらから湯煙が立ち上り、温泉情緒が感じられます。温泉の噴気で発電しているホテルもあります。
霧島神宮温泉郷は霧島神宮の門前町で、霧島連山の西側山腹にある泉源から温泉を引湯した宿泊施設が点在しています。
霧島神宮は瓊瓊杵尊を主祭心神とした神社です。もとは高千穂峰と火口の中間に本宮がありましたが噴火で焼失し、天暦年間に高千穂河原に移されますがそれも大噴火で焼失。文明16(1484)年に現在地に移されたと伝えられています。朱塗りの本殿は荘厳で、日本有数のパーワースポットとして知られ、近年は女性が多く訪れるようになったそうです。
新川渓谷温泉郷は、天降川の渓谷沿いに新川・妙見・安楽・塩浸などの温泉地が点在しています。鹿児島空港から車で10分?15分ほどに位置しており標高も数十メートルほどしかありませんが、緑が多く山間の雰囲気が漂っています。観光だけでなく保養・療養に対応した長期滞在可能な宿もあります。この温泉郷の中で最も規模が大きい温泉地が妙見温泉で、8軒ほどの宿と商店・飲食店などで温泉街が形成されています。
幕末に活躍した坂本龍馬は、寺田屋事件で傷を負いました。結婚当初の1866(慶応2)年の春に西郷隆盛の勧めで傷を癒すために妻のお龍と共に薩摩(鹿児島)を訪れます。この旅行は3ヵ月にも及ぶものですが、その中で塩浸温泉に計18泊して湯治をしたり、日当山温泉や栄之尾温泉へ宿泊したという記録が残っています。龍馬は薩摩滞在中の出来事について、詳しくしたためた手紙を高知に住む姉宛てに送り、その一部が残されています。それによると龍馬夫婦は、ピストルで鳥を撃ち、高千穂峰に登山して天の逆鉾を見物し、霧島神宮に詣でるなど、傷を癒しながらも幸せな時期を過ごしたと言われています。
当時は結婚して旅行をするという風習はありませんでした。龍馬とお龍との旅行が「日本ではじめての新婚旅行」と言われています。
現在塩浸温泉には宿はなく、清流沿いに入浴施設があり「塩浸温泉龍馬公園」として整備されています。龍馬とお龍の碑や資料を展示した資料館などが設置されています。
龍馬とお龍が辿った地を訪れてみると、霧島の豊かな自然の中に幕末のロマンを感じることができそうです。
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