北上市は岩手県南西部の北上盆地のほぼ中央にあり、北上川【1】と和賀川が合流しています。現在は高速交通インフラが整備され「北東北の十字路」と呼ばれる流通拠点となり、多くの先端企業が集積する産業都市として発展しています。
和賀川支流の夏油川沿いには下流から瀬峯坂・水神・瀬美・入畑・夏油高原・夏油と温泉が点在し「夏油高原温泉郷」を形成しています。この温泉郷の中心となるのが最上流の夏油温泉です。
夏油温泉は北上市南西端、奥羽山脈焼石連峰の駒ヶ岳西側山麓に位置します。夏油三山【2】の登山口付近(標高約650m)の夏油川の渓谷沿いにあります。栗駒国定公園の北端にあたり、ブナの原生林に囲まれ自然環境に恵まれています。
開湯は、慈覚大師が856(斉衡3)年に発見した説と、平家落人末裔のマタギが1375(永和元)年に深傷を負わせた白猿を追って湯浴している姿を発見したという2つの説がありますが、いずれも永い歴史を持ち、「嶽の湯」とも称されていました。
「夏油」という名の由来も諸説ありますが、その内有力なのは「崖のある所」という意味のアイヌ語「グット・オ」が語源という説と、豪雪地帯のため夏季の利用に限られる夏の湯から「夏湯」と言われ、湯が夏の日差しでゆらゆらと油のように見えたため「油」に変化したという説です。
江戸時代中期、南部藩の武士が1747(延享4)年に記した「従花巻夏油温泉迄一見記」には7枚の挿絵が描かれており、湯小屋の配置は基本的に現在も変わっていません。また藩政時代に京都で発行された温泉番付には、東の大関として夏油が記載されたものが残されています。北東北の道なき秘湯が徳川時代に湯治場として機能していたことは、その泉効が著しいことの現れだと考えられます。
夏油温泉は1965(昭和40)年に国民保養温泉地に指定されました。その4年後に道路が開通して、1972(昭和47)年にようやくバスが運行されるようになりました。その後、国民宿舎や入浴施設が整備され、観光ホテルも設置されましたが、不況や東日本大震災などの影響で休業の施設もあり、現在は元湯夏油と昭和館の2軒の営業となっています。
元湯夏油は夏油温泉の湯守一族が運営する宿で、旅館部と自炊部があり、7?8棟で形成されています。昭和館は昭和初期建造のレトロな佇まいの宿で、別棟の食事処も運営しています。この2軒で10棟ほどの温泉街が形成されています。
夏油温泉には、夏油川の川岸に
夏油川では、川の中や河川敷の至る所から温泉が自然湧出しており、含有成分の炭酸カルシウムが析出した石灰華が見られます。また、温泉の成分によって渇水期は水が白く見えます。
夏油温泉から夏油川を数百mほど遡ったところにある石灰華の巨岩が「天狗の岩」です。牛形山の登山道を経由して10分ほど登り、分岐から川沿いに5分ほど下った場所にあり、一見の価値があります。湧き出した温泉の成分が析出してドーム状に成長した石灰華で、高さ17.6m、下底部の径25mの日本最大と言われる石灰華ドーム。1957(昭和32)年に付近の石灰華と共に国の特別天然記念物に指定されました。
昭和初期に鉱物採取を目的として掘られた坑道です。夏油温泉から夏油川の橋を渡り夏油山荘となった旧国民宿舎の近くにあります。坑道内に温泉が湧出して昭和30年代には湯をためて入浴ができましたが、現在は衛生管理の面で湯はためていません。坑道内の温泉は湧出を続けているため天然の蒸し風呂のようになっています。
夏油温泉付近の紅葉は10月上旬から中旬が見頃です。11月になって雪が降ると道路が閉鎖され、真冬には7mほどの積雪がある豪雪地帯のため宿の建物は雪に埋もれてしまいます。夏油温泉が冬季閉鎖となるのは徳川時代から変わりありません。積雪の量によっては4月下旬から営業を始める場合もありますが、大体は5月初上旬頃から?11月中旬頃までの概ね半年間の開業となります。
なお、現在「東北観光博」が開催中です。東北全部が博覧会場となり「こころをむすび、出会いをつくる」をテーマに28のゾーンで2013年3月まで実施されます。夏油温泉は「北上・西和賀ゾーン」にあたりますが、世界遺産に登録された平泉のある「平泉・一関・奥州ゾーン」や宮沢賢治と東野物語などで知られる「花巻・遠野ゾーン」が隣接しています。温泉と併せて岩手の豊かな自然と歴史と文化に触れてみてください。
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