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シリーズ ドイツ市民の食と暮らしの安全づくり レポート一覧

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ドイツ人の食と暮らしのリスク意識(2)
0102014.04.30UP
ドイツ人の食と暮らしのリスク意識(2)
チェルノブイリ後の市民生活の混乱(コラム003参照)で述べたように、放射能汚染に対する不安は、特に小さい子どもを持つ母親......
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0092014.03.04UP
ドイツ人の食と暮らしのリスク意識(1)
ドイツ人の食と暮らしのリスク意識(1)
 これまでご紹介してきた、チェルノブイリ後に発展したドイツ人の生活を放射線から守るためのムーブメントは、隣国フランスと比べても際だっていました。これは、それまで反原発運動がドイツ国内で活発化していたことと無関係ではありません。独仏の国境を隔てるライン川沿いには、多くの原発が立地しており、事故の可能性と影響は両国で同程度です。ドイツでは市民がそのリスクを大きく捉え、大規模な反原発運動に発展していたのに対し、フランスではそれほどでもなかったというのは、大変興味深い現象です。環境破壊のリスクは、客観的な事実としてではなく、人々の意識のあり方に大きく左右されると言えます。...[続きを読む]
0082013.10.29UP
マルチプレーヤーな環境NGOに発展「ミュンヘン環境研究所」
マルチプレーヤーな環境NGOに発展「ミュンヘン環境研究所」
 多くの市民測定所がチェルノブイリ事故後の数年間の測定活動で解散したのと対照的に、27年後の現在も、食を中心に環境問題全般について積極的な活動を継続しているのが、今回ご紹介する「ミュンヘン環境研究所」。南ドイツにあるバイエルン州のNGOです。ツィッターやフェイスブックなどのSNSも駆使して、ドイツの最新の環境問題を発信し続けています。...[続きを読む]
0072013.07.30UP
科学者達のネットワーク「放射線防護協会」
科学者達のネットワーク「放射線防護協会」
 普段ラジオやテレビを視聴しない西ベルリン(当時)の科学ジャーナリスト、トーマス・デルゼーさんが、新聞記事でチェルノブイリ事故を知ったのは、事故発生から2日後の1986年4月28日でした。“圧倒的な情報不足”の中、トーマスさんは、当時のベルリン医師連盟代表だったエリス・フーバー博士にその日のうちに電話し、事故の現象を記録して、健康被害の見通しを公開することで合意します。2週間後、ベルリン医師連盟の健康部局から『チェルノブイリ 健康被害の評価』と題するパンフレットが発行されました。執筆者は、医師であるフーバー博士、社会学者のブリギッテ・イーヴェルトさん、そしてジャーナリストのトーマスさんです。...[続きを読む]
0062013.06.11UP
公立大学が市民測定所に! 州政府の不満を受けながらも「オルデンブルク大学」
公立大学が市民測定所に! 州政府の不満を受けながらも「オルデンブルク大学」
2011年3月末、長らく実習でしか使われていなかったドイツ北西部ニーダーザクセン州の国立大学の空間線量測定器が、再び通常測定のための常時稼働に入りました。日本の原発事故以来、このオルデンブルク大学の物理学者ハインツ・ヘルマース博士のもとには、メディアや一般市民からの質問がひっきりなしに寄せられたからです。人々の関心は測定値。「確かに微増のヨウ素131を検出したが、自然放射線の通常の濃度の1000分の1であり、健康に全く影響はありません。」...[続きを読む]
0052013.04.02UP
母親たちによる情報誌『放射線リスト』と『ザ・ルーペ』(2)
母親たちによる情報誌『放射線リスト』と『ザ・ルーペ』(2)
 エリザベートさんたちは毎週月曜日、市内に数店舗を持つチェーン店のスーパーで食品を20?30検体購入しました。一般の食卓を反映するこの“マーケットバスケット方式”について、「買い占め客のようで嫌でしたね」とエリザベートさんは笑います。  測定結果は、『放射線リスト』と題するチラシを通じて、ほぼ毎週リアルタイムで公開されました。低ベクレル食品の選択を可能にするため、メーカー名も購入店も実名で載せました。このチラシは、会員に対して郵送されたほかに、毎週水曜日に、ベルリン中心街にある動物園駅(ツォーローギッシャー・ガルテン)近くの、第二次世界大戦の爆撃によって破壊された戦災のシンボル「カイザー・ヴィルヘルム教会」で夕方配られました。また、市内の自然食品店や薬局、自転車店が1店ずつ、店頭に置いてくれました。...[続きを読む]
0042013.03.19UP
母親たちによる情報誌『放射線リスト』と『ザ・ルーペ』(1)
母親たちによる情報誌『放射線リスト』と『ザ・ルーペ』(1)
 1986年の初夏、1児の母でオペラ歌手のエリザベート・ウミエルスキーさんは、西ベルリン(当時)で反原発・環境市民団体「核の脅威に対抗するママ・パパ協会(Mütter und Väter gegen atomare Bedrohung e.V.)」の集まりで、物理学者ヨアヒム・ヴェルニッケ博士が、母親たちと協力して、食品測定を始めようとしている場に出くわしました。ヴェルニッケ博士は行政の食品測定の現状に満足できず、民間の自然科学の研究所の測定器を営業時間外(夜間)に借りて、独自に測定していましたが、食品ごとに1キロの検体を集めるのに苦心しており、母親たちへの協力を呼びかけていたのです。...[続きを読む]
0032012.12.11UP
市民測定所が続々と設立
市民測定所が続々と設立
1986年5月から、食品の汚染に対する政府の一連の勧告が出されるようになりました。連邦放射線防護委員会(SSK)は5月2日、臨時の検討会議にて、放射能濃度の高い東欧諸国からの生鮮食品の輸入の中止を決定。同時に国内では、牛乳のヨウ素131を1kgあたり500ベクレル以下と定めた第1回目の勧告を出しています。さらに5月6日にEC(当時)委員会が加盟国内で販売、もしくは加盟国間で取り引きする際のヨウ素131の参考基準値を野菜・果実380ベクレル/kgとしたこと受けて、5月8日の第2回目の勧告で、葉物野菜は1kgあたり250ベクレル以下と定めました。...[続きを読む]
0022012.10.09UP
汚染に対する州政府対応の違い
汚染に対する州政府対応の違い
 4月26日の原発事故によって1,500km以上離れたドイツに放射性物質が到達したのは、4月30日から5月2日にかけてでした。通常1m<sup>3</sup>あたり1?3ベクレルだった空気ダストの汚染濃度が、ミュンヘンで90ベクレル(5月1日)、シュトゥットガルトで72ベクレル(5月1日)、フライブルクで65ベクレル(5月2日)を記録したのです。しかし、このような最高値を記録したまさにその時に、西ドイツ政府は「ドイツには危機はない」として警報解除を行ったのでした。...[続きを読む]
0012012.08.28UP
圧倒的な情報不足
圧倒的な情報不足
1986年4月26日、旧ソ連(現在はウクライナ共和国)のチェルノブイリ原子力発電所で、炉心溶融ののちに爆発するという深刻な事故が発生し、ヨーロッパ各地で市民が不安のただ中に置かれました。...[続きを読む]
ドイツ市民の食と暮らしの安全づくり

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