ドイツ連邦議会でチェルノブイリ後の対策について演説するノーネクタイの革新政治家、ヨシュカ・フィッシャー(緑の党、ヘッセン州環境・エネルギー相)、1986年5月14日
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1986年5月から、食品の汚染に対する政府の一連の勧告が出されるようになりました。連邦放射線防護委員会(SSK)は5月2日、臨時の検討会議にて、放射能濃度の高い東欧諸国からの生鮮食品の輸入の中止を決定。同時に国内では、牛乳のヨウ素131を1kgあたり500ベクレル以下と定めた第1回目の勧告を出しています。さらに5月6日にEC(当時)委員会が加盟国内で販売、もしくは加盟国間で取り引きする際のヨウ素131の参考基準値を野菜・果実380ベクレル/kgとしたこと受けて、5月8日の第2回目の勧告で、葉物野菜は1kgあたり250ベクレル以下と定めました。
EC委員会でも言及されていなかった半減期の長い放射線セシウムについては、5月4日に『SSKの見解』として「保存食品に加工される原材料の生鮮野菜について、セシウム137濃度は100ベクレル/kg以下を推奨」しましたが、これは短期的なものでした。5月31日にはEC委員会の輸入基準値【1】に準ずる勧告を出しており、最終的にこれがドイツおよびEU各国で有効とされました。
こうした連邦政府の勧告に対して、地方分権化しているドイツでは食品の安全規制を州政府が管轄しているため、連邦政府やEC規制とは異なる様々な基準が州ごとに設けられました。
牛乳1リットル当たりのヨウ素131の基準値を、ベルリン市州・ザールラント州・ブレーメン市州は100、ハンブルク市州は50、ヘッセン州は20に設定(単位はすべてベクレル/l)。ヘッセン州はさらに牛の放牧を禁止する指示を5月2日に出しています。前回紹介したバーデン・ヴュルテンベルク州では、コンスタンツ郡が独自に酪農家に対して100を超える牛乳の市場への流通禁止の指示を行いました。またセシウム137の基準値を、ヘッセン州およびベルリン市州では100ベクレル/kgとしています。
ただし、これらの各基準値は州の汚染量の高低を反映したものではありませんでした。各地で対応がこれだけ異なるのは、各州議会の政治勢力の影響によると言われています。たとえばもっとも厳しいヨウ素131の基準値を設定したヘッセン州は、前年にドイツで初めて社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権が樹立し、環境・エネルギー相に緑の党のヨシュカ・フィッシャーが就任していたため、反原発を政策的に重点課題とする革新自治体でした。他方で、保守の牙城であったバイエルン州は、SSKの勧告を遵守しています。しかし幼稚園や保育園で飲むミルクは、たとえヨウ素131が基準値の500ベクレル以下であっても、地元産のものではなく他地域からのロングライフミルクかお茶にするようにという州政府の指示もありました。
ともあれ全体として、保守党であるキリスト教民主同盟(CDU)政権の州は、SSKの基準に従うことが多かったようです。連邦健康相(当時)のリタ・ズースムートは、牛乳や野菜の流通を妨げる独自基準は控えるべきという見解を述べましたが、連邦政府と州政府の安全性への見解の不一致は解消されませんでした。
このように健康やいのちに深く関わる食の安全への政府の対応が、政治的な勢力関係で矛盾や相違を生み出していることに対して、市民はますます混乱し、不安や戸惑いの声が聞こえ始めました。政治家の「安全です」の声は信用できず、何かを隠しているように見えました。空気も水も食べものも汚染されましたが、その測定は不十分で、今後の展開も不透明でした。事態にどう対応していいかわからないという当時の若い母親の日記が、市民の困惑ぶりをよく伝えています。
「日常の些細なできごとが突如として注目を浴びるようになりました。私は最大限の注意を払って行動していました。ミルクを買ったのですが、ほとんどパニックとも言える不安の中で、確実に汚染されたものを子どもに飲ませるわけにはいかないと、流しに捨ててしまいました。ある日、八百屋の前を通りかかると、レタスの箱の上に『ハウス栽培もの “カバーされて安心!”』というシールが貼ってありました。人々はそれを見て笑っていましたが、誰もそのレタスを買いませんでした」
不安を持つ市民は、産地や食品の種類による不買、事故前の冷凍食品や保存食の購入など、これまでの豊かな食生活とは異なる消費行動に走らざるを得ませんでした。そんな中、市民の側から独自の自衛策をとろうと、個人や共同で募金や出資をして測定装置を購入し、自分たちで食品を測定するというグループが、ベルリン、ミュンヘン、ケルン、キールなどの大都市で次々に誕生したのです。
これらの「市民測定所」は、最終的にはドイツで40カ所ほどになりました。その多くは、専門知識を持った科学者や学者にアドバイザーになってもらいながら、市民自らが食品をはじめとして土壌や雨水などに含まれるガンマ線を測定し、データを公開するものでした。スーパーに並んでいるものを網羅的に測定する「マーケットバスケット方式」を取る団体もあれば、牛乳・乳製品特集、ベビーフード特集、果物特集、スィーツ特集など、食品を絞って体系的に測定する方式をとる団体もありました。時間の経過と共に、生鮮品に強いのはあそこの団体、加工品はこの団体、といった棲み分けも進んでいったようです。
しかしいずれにも共通するのは、流通している商品を対象に、商品名、原産地、製造加工日、製造者固有番号、メーカー名、販売店舗名を公開していることでした。
実は公的機関の測定では、商品名等詳細を公開する事は法律で禁じられていました。また西ベルリン市の場合、市の測定では一月2,500サンプルの調査のみで、それ以外の食品はノーチェックで流通しているのが実態でした。市民測定所はこのような公的機関の測定の不十分さや情報の少なさをカバーし、市民が実際に買い物をするときに役立つ情報を提供する役割を担っていたのです。
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